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Kataru.(かたる)
Kataru.(かたる)
novelistID. 12434
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貴方の色で私を染めてください

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「はじめ!」
 鋭い声が、突き刺さるように放たれる。同時に、大きな銅鑼の音が鳴り響いた。不定期に開催される両羽林軍対抗の武術大会、第十五試合の開始だ。もっとも、訓練と称してはいるが、それが両軍の力比べであることは誰から見ても明白であった。
 大将軍の思惑はともかくとして、両軍代表である二人の男は、日頃の扱きの恨みを晴らすため、もとい、鍛錬の成果を試すために剣を掲げて走り出した。
 気合、一閃、激しい衝突音が響く。
 振り下ろし、振り下ろされて、甲高い音を奏でる剣が、右へ左へと流れるように動いていく。
 そうやって息つく間もなく切り結ばれていく部下二人の試合を眺めながら、左羽林軍将軍は熱気に包まれる会場にそぐわない溜息をついた。
「………」
 思考が、目の前の試合から全く関係のない他の事へと深く潜っていく。
 ────『お前だけが俺の特別じゃない』
 珍しくも後宮へ姿を現した彼は、ただ一言そう言った。
 話の脈絡や展開を無視して、唐突にそう言われた楸瑛は、その言葉に喜ぶことも出来ず、また悲しむことも出来ず、ましてや責めるわけにもいかずに、ただ「そう」と頷くことしかできなかったのだ。
 どうしてこんなに苦しいのか、自分でも分からない。いつだって、本気になったことがないために挫折を味わうことなく──もっとも楸瑛の場合は大して努力しなくてもそれなりの成果は出せるのであるが──過ごしてきたのだ。こんな感情は知らない。筆をとっても、剣をとっても、そして大勢の女性との間でも経験したことがない、狂おしいこの想いは。
 楸瑛は、小さく右手の人差し指へ口づける。
 先程の台詞を言い、すぐに帰ろうとした彼が迷わないように手を、……否、それは言い訳か。自分から離れていきそうな彼を捕まえておきたくて、離したくなくて、楸瑛は手を差し出した。すぐに突っぱねられると思っていたのだが、逡巡の後、彼はその人差し指だけを掴んで歩き出した。その指を握る手は痛みさえもたらしたけれど。
「……優しいんだね、絳攸」
 きっと、どれだけ迫っても、陥れても、辱めても、彼は変わらずに自分と接してくるだろう。彼は、もうすでに自分の中で境界線を引いてしまったのだから。それを、優しさというならば、なんと残酷な優しさなのだろう。
 もっと嫌って、突き放して欲しい。
 顔も見たくないくらい、嫌悪してくれたなら、こちらも諦められるのに。
 自分だけが一番ではないのだと告げた彼の顔を思い出す。思いがけなく静かな顔をしていた。
 それほどまで、紅色に染まりたいのだろうか。
 それほどまで、紅い霧の中で迷いたいのだろうか。
 違う、誰もそんなことは要求していない。誰もがみんな、そばにいて欲しいと願っているだけなのに。
 否。楸瑛は軽く首を振る。
 自分は、彼が藍色に染まってくれることを望んでいるのではないのか。
「おかしいな…、私も、あの人も、彼が何の色にも染まっていない、真っ白な李の花だからこそ愛しているというのに……」
 手が無意識のうちに鍔に彫られた花を弄る。
 ふいに、楸瑛は燃え上がるような悔しさを感じた。
 負けたくない、……何に?
「次、対戦者前へ!」
 腹の底へ響き渡るような銅鑼の音が再度響き渡る。どうやら、思案に耽るうちに、試合が終わってしまったようだ。
 左羽林軍の歓声に後ろから押されるようにして、楸瑛は壇上へとあがった。
 次は自分の試合だ。
 右羽林軍からも、歓声があがって、壇上へと美丈夫があがってくる。
「よろしくお願いします、藍将軍」
 小さく頭を下げた姿に、楸瑛の口が笑みを刻む。
「こちらこそ。私も、君とは手合わせしたいと思っていたんだよ、静蘭」
 静蘭は羽林軍所属ではないのだが、白大将軍たっての希望で召集された。以前行われた武術大会で優秀な成績を収めたことは、今や殆どが知っている。静蘭は丁重に断ったらしいのだが、結果によっては褒美を出すと告げられると、悩んだ挙句に渋々了承したそうだ。
 剣を抜き出す。白銀の輝きが楸瑛の顔を映し出す。
 対戦者の顔の高さまで上げられた剣の、その鍔に、目が吸い寄せられる。
 そうだ。自分と彼との繋がりは、これしかないのだ。この花だけが、二人の存在を認めてくれている。
 この弱い繋がりが切れてしまったら、そこには色の違いという単純なようでいて強大な溝が横たわることだろう。
 その溝は飛び越えることができるのか。
「藍将軍、……」
 同じく剣を抜いて構えた静蘭の言葉は、鳴り響いた試合開始の銅鑼の音でかき消された。
 楸瑛は考える間もなく相手の間合いの中へ踏み込みざまに剣を繰り出した。正確に首を狙った剣は、静蘭の縦に構えた剣に阻まれる。上手く受け流した静蘭は、楸瑛の勢いを借りて半回転、そのまま胴を狙う横薙ぎを放った。咄嗟に楸瑛は後ろへ飛びのき、そのまま間合いの外へと退却する。目標を失った剣は、そのまま宙を切った。
 流れるような試合展開に、周りの兵士から大きな歓声がわきあがる。
 喧しい中で、楸瑛は冷めた目で静蘭を見つめた。
「いくよ」
 言葉尻が消える前に、楸瑛は駆け出していた。
 間合いの中へ果敢に踏み入り、相手に反撃を許さないほどに攻める。
 防戦一方になってしまった静蘭に野次が、そして楸瑛には多大な応援が飛んだ。切り結ぶたびにそれは大きくなっていった。
 しかし、群集の後ろで静かに試合を眺めていた両大将軍には、真実が見えていた。視線を交わし、確認する。……このままでは、楸瑛が負ける。
 何合も何合も打ち合った後、鍔迫り合いになった。火花が散るほどに剣を押し込みながら、静蘭は戸惑ったような視線を楸瑛へと投げてきた。
「藍、将軍」
「なんだ」
「今日の将軍は、太刀筋が読みやすいですね。どうされたんですか」
 楸瑛の瞳に衝撃が走り、一瞬にして背後へと跳躍する。
「何を考えているんですか、真剣勝負の中で」
 静蘭が剣を構えなおす。一見我流に見える独特の構え方は、彼の美貌を一層際立たせた。瞳が、苛烈に煌き、楸瑛を貫く。
「負けますよ」
 言葉とともに、今度は静蘭が攻めてきた。
 先程の楸瑛と同じ、ただ前へと攻め続けてくる。右へ、左へ、上へ、下へと。高速ながら単調なその全てを受けながら、やっと楸瑛は思い至った。先程の自分はこんな感じであったのだと。
「気付きましたか、将軍? 先程のあなたは私を切ろうとしていたのではなかった。何か別のものを叩き潰そうとしていたように見えましたよ」
 あれが剣の使い方ですか、と静蘭は左肩を狙って剣を振り下ろす。
それを受けた刃が悲鳴をあげた。
 それは、行く場の無い自分の気持ちが、悲鳴をあげたのに似ていた。
 だが、どうすればいいというのだ。自分にはもう何もできないのに。家名がある以上、なりふり構わず、というわけにもいかない。せいぜい腰に佩いた花にすがり付いて傍にいることしかできない。
 相手の肘を狙って身体をひねりながら、楸瑛は唇をかむ。
 いっそ、全てを脱ぎ捨ててしまえればいいのに。
 そして、彼の色で自分を染め上げることが出来たら——。
「将軍!」
 叫ばれて、目が覚めた。一瞬の隙を突いて、静蘭の剣が、高く掲げられる。
 ———避けられない!