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Kataru.(かたる)
Kataru.(かたる)
novelistID. 12434
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貴方の色で私を染めてください

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規則正しい寝息が漏れる。夢見がいいのか、その表情は穏やかだ。
白い敷布に零れる銀糸を手で梳きながら、長い黒髪を後ろでひとつにくくった楸瑛は窓の外を眺める。
勢いで藍邸まで連れてきたはいいが、本当によかったのだろうか。後悔はしていないが、自信たっぷりに胸を張ることも出来ない自分がいる。
横たわる絳攸の顔へ身を乗り出す。その拍子に、耳にかけておいた髪の一房が絳攸の顔にかかり、くすぐったいのか、絳攸の眉が少し寄った。震えるまぶたが薄く開く。
「あ、…起こしたかい?」
 慌てて髪を戻そうとすると、絳攸の手がその一房を掴んだ。
「…れ、し…さま……?」
 寝ぼけた口調で呼ばれた名は楸瑛のものではなかった。
 練習試合の日に燃え上がった悔しさの炎が、再び燃え盛る。
「…っん、ふ…っ」
 気付けば、口唇を奪っていた。何も考えていなかった。ただ、その唇の甘さを味わいたかった。
 吐息も、夢も、幻影も吸い込むような、深い口付け。
 夢中でその舌を吸えば、酔いの所為か、それとも自分を他の人と思っているのか、絳攸も応えてきた。
 ぷちりと何かが切れる。もう、どうでもいいと思った。もどかしい熱が、体の中心へと集まってくる。
 欲しい。何を失っても、絳攸が、欲しい。
「最近後宮に行ってないから、……分かっているだろう?」
 再び口を塞げば、その口からは熱い息が零れ落ちた。それすらも奪い取るように口付けながら、楸瑛の手が絳攸の衣服へと伸びて行く。合わせ目から手を這わせば、酔いのせいか肌が燃えるように熱くなっていた。
 腰の細い線を辿れば、ひくりと白い肌が跳ねた。
 二歳しか離れていないはずなのに、この瑞々しい膚は何だ。手に吸い付くように柔らかく、それでいて、少しでも突けば破裂しそうなほど張り詰めている。
 口の端に、小さな笑みが浮かぶ。
 この白い膚を、汚すのは自分が最初になるのだろうか。
「絳攸……」
 思わず名を呼べば、焦点の合わない目が、こちらを覗いてきた。酔ってはいるが、無邪気な瞳。どこまでも澄んだその瞳に、楸瑛は恐怖心さえ覚える。
 この瞳に、自分はどう映っているのだ。
「好きだ、君が……、とても」
 何度も好きだと呟きながらそっと抱きしめると、弛緩していた体が急にこわばった。怪訝に思って開放すると、すかさず平手が飛んできた。
「っ、…!」
 酔いが覚めたらしい。思い切り張られた頬をかばいながら、楸瑛は力なく笑って見せた。
「何だ、目が覚めたのかい?」
 無言で、もう一度殴られた。今度は痛いだけでなく、寝台の端まで吹き飛ばされる。
 手で乱れた衣服を整えながら、絳攸は楸瑛に背を向けた。
「……ごめん、とは言わないよ」
 そう呟いた瞬間、絳攸は懐から抜き出した短刀で楸瑛に切りかかった。
「うわ、ちょっと、危ないってば」
「うるさい、貴様が悪い!」
 振り下ろされた手を軽く掴む。刃が楸瑛の首のすぐ隣で止まる。
「私を切り裂く? 私を殺す? 私は、君になら殺されてもいいよ」
「……っ」
 絳攸が憤怒に瞳を燃え上がらせて楸瑛を睨んでくる。その視線を真っ向から受け止め、楸瑛はじっと動かなかった。絳攸が本気で刃を振るおうとすればできるであろう力でその手首を掴みながら。
 そうして、どれくらい時が過ぎただろう。
 静かに、絳攸が瞳を伏せた。それを合図にして、楸瑛が絳攸の手の中にあった短刀を奪い取る。
「君に刃は似合わないよ」
 短刀を自分の懐に仕舞い込めば、絳攸は一瞬顔をあげ、しかしそれには構わずに立ち上がった。
「帰る」
「じゃあ送って……」
「いらん」
 にべも無く、絳攸は真っ直ぐに室を出て行った。
 残されたのは、戻ってこない彼の微笑みを想って俯く楸瑛の姿だけだった。
「これで、……」
 嫌われただろうか。諦められるだろうか。
 笑みを浮かべるはずだった口は、奇妙な形にゆがむ。軽薄な声を出そうと思ったが、その声は弱弱しく震えていた。


+++


 どうやって帰ったのかは覚えていない。
 気付いたら、自分の室で酒を飲んでいた。
「何なんだあの男は。くっついたと思ったら離れて、離れたと思ったらふらっとやって来て……」
 触れられた口唇に手を寄せる。
 黒い髪が、視界一杯に広がって、気付いたら唇を許していたのだ。
 情熱的な唇と、熱い舌が、自分の中を這い回って……
「一体、何なんだ!」
 机を拳で叩く。杯に入ったままだった酒が、机の上へ零れた。
 さすがに呑みすぎだと思うが、酒でも呑まなければやっていられなかった。
「俺のことを好きだとほざきやがって……っ!」
 叫んだ“好き”という言葉の意味に気付いた絳攸の頬に、酒のせいだけではない赤味が差す。
 今までも思いを寄せられたことはあったが、あんなふうに、なりふり構わず求められたのは初めてだった。
「……俺は」
 あのこんな満月の夜、絳攸は彼にはっきり告げた。
 彼だけが自分の特別ではないのだと。
 ただ一人の一番ではないのだと。
 結局、それは逃げたに過ぎないのではないか。思いをぶつけてくるときに一瞬見せる彼の真剣な瞳から、逃げるためにそういったのではないのか。
「違う、違う! 俺は、……!」
 間違った方向に流れる思考を止めるように、頭を激しく振る。
 楸瑛に唇を奪われたときから感じている行き場の無い感情が、絳攸の中で荒れ狂っていた。
 静めるために酒を呷れば、さらに身体が熱くなる。
「大嫌いだ、あんな奴!」
 飲み干した杯を机に叩きつければ、さほど広くない絳攸の私室に大きな音が響き渡った。
「絳攸」
 と、突如聞こえる、落ち着いた声。冷水を浴びたように、絳攸の身体が固まった。
「れ、黎深様……」
「呑むか、喋るかどちらかにしなさい。うるさいぞ」
 扇で隠された口から、刃物のような言葉が飛び出してくる。
 うなだれた絳攸が、謝罪を口にする。その謝罪さえ黎深は鼻で笑い飛ばした。
「行動には節度を持ちなさい。……時に、絳攸」
「はい?」
「お前にあげたあの短刀は持っているか」
 どきり、と心臓が跳ねる。
 あの短刀は、楸瑛に奪われてしまったのだ。
 物などほとんど貰ったことがない黎深からある日突然貰ったあの短刀。塵を屑箱に入れるように投げられたのだが、とても嬉しかった。
 それに、あれは紅家当主が持っているだけあって、相当な意匠が施してある高価なものである(と思う)。
「……はい」
 藍家の者、それも楸瑛が持っていると知られては、まずい。絳攸は、鞘だけとなったそれを、懐から少し出して見せた。再び黎深が鼻を鳴らす。
「ならいい」
 そして室を出て行こうとし、黎深は顔だけで振り返った。
「早くその涙を拭きなさい、みっともない」
「え…」
 その瞬間、絳攸の頬から一滴涙が零れ落ちた。それを契機に、止め処なく透明な液体が頬を流れ落ちてくる。
「あ、あれ…、なんだこれ」
 拭いても拭いても、あふれ出てくる涙で、絳攸の服の裾に染みができていく。
 悲しいのか、悔しいのか、虚しいのか。
 その感情を特定できないまま、ただ涙だけが流れて行く。
「全く……」
 今度こそ背を向けて、黎深は室を出て行った。
「自分の感情の整理も出来ないようでは、私の補佐は勤まらん」