神様のギャンブル
そんな折、何の前触れもなく、高校時代に共にバンドをやっていたことのある臨也から小さな封筒が届いた。正直開けるのも嫌だったのだが、開けなかったら爆発くらいは軽くしそうだったので仕方なく開けると、入っていたのは簡素な手紙とMD一枚だけ。妙に拍子抜けした気持ちを抱きながら手紙を開けば、暫く(ほぼ故意に)音信不通になっていたというのにやけに此方の内情に詳しい雰囲気の文面で、新しく立ち上げるバンドに加わらないかという、否、どちらかというと、このデモテープを聴いても入りたくないって言うシズちゃんなんか想像出来ないなあ、と挑発されているような言葉が連ねてあって。売り言葉に非常に弱い静雄はコンポにMDを叩き込み、絶対に臨也などとバンドを組むまいと目を吊り上げながら流れる音楽を待っていたのだが。
結果、思いの正反対へと事は動いてしまった。
元々音楽的なセンスは抜群な臨也が持ち出して来たものなのだから、半端な物ではないとは思っていたが、文字通り、ブッたまげた。想像を絶するハイパークオリティのミックス、何より楽器を物理的な音を出す為のものではなく、個々に内面に秘めている性格で解しているとすぐに分かる曲の展開に、体中が燃え上がるような昂揚を感じた。腹の底から突き上げてくるようなベースの重低音に乗って流れるピアノの繊細な旋律、挑むように同じフレーズを交互に歌い上げるツインギターのディストーション、退廃的なメロディラインの奥に隠れる一筋の光に似たストリングス。何度も何度もリピートして、空でスコアを書き出せる程に聴き直して、漸く胸の奥で燃えさかっていた炎は下火になる。それまでずっと息を止めていたかの様に、深く熱い溜息を吐き出して、静雄は陶然とした表情で臨也からの手紙を手にする。
強いエクスタシーの余韻に浸りながら、夢中になって、手紙の末尾に記載されていたメールアドレスへと静雄は短い文章を送信した。
『このアレンジをした奴に会わせろ』──それは、臨也からの申し出を受けてしまったも同義であった。そして、間もなく新生ロックバンド《ダラーズ》が誕生したのだ。
「……そりゃあ…嬉しいんだけどよ…」
すぐにやたらと嬉しそうな臨也から紹介されたそのアレンジの天才が自分より年下の、それも無名の高校生であったことに驚いたのは一瞬で、すぐに静雄の心に広がったのは強い羨望と期待と、そして一握りの嫉妬。
「駄目ですか、どうしても…、駄目なんですか…?」
この少年と共に曲が作れるのが本当に誇りだった。憎らしい程に、この細い両腕が創り上げる曲は素晴らしかった。色眼鏡を外してもメジャーで食っていける自信がある。
だけど。
「帝人、俺は…」
「───自分の実力じゃなくて、他人の偉功に乗っかる形になるのが嫌なんだよね、シズちゃんは」
「!」
急に後ろから伸びてきた黒い影がまだ口の付けられていなかった静雄のカフェオレを攫って行った挙げ句、ピンポイントで急所を突かれて静雄は一瞬全ての動作をフリーズさせた。
「…ん…ちょっと、コレ甘過ぎない? まあ、糖分摂り過ぎて糖尿病で死ぬのはシズちゃんだから別に良いんだけど」
ギギ、と軋む音が聞こえてきそうな程にぎこちない動作で金髪が振り向けば、そこには立ったまま自分のカフェオレを不味そうに飲む黒ずくめの男が居て。
「イ…」
「臨也さん! 丁度良かった、ちょっと話がゴチャゴチャしてしまって…」
眉を一瞬にして限界まで吊り上げて叫びだそうとしていた静雄を遮って、帝人は立ち上がった。
キレるタイミングを逸してしまった静雄は空回った怒りをぶつける様に銜えていた煙草を灰皿へとねじ込んだ。みしり、と煙草が立てるには随分と硬質で不穏な音が聞こえたが、帝人は無視するように笑顔で臨也へと席を勧める。
ちらりと臨也は訝しげな視線を帝人に向け、しかし小さく片眉を上げると素直に勧めに従って帝人の隣へと腰を落ち着ける。勿論、カフェオレは持ったままで。
猛禽類の様に犬歯を剥き出して威嚇する静雄と、にこにことそれを受け流す臨也と、そんな二人を困ったように見詰める帝人と。三人が座るボックス席はいつの間にかぴりぴりとした雰囲気を纏っていた。
「あっ、あの…丁度、おやつ時ですし、何か食べませんか?」
「うん、良いねえ。シズちゃんはドッグフードとかどうかな」
「こいつと同席で何かを食うなんて考えただけで吐き気がするぜ。…っつーか、何でコイツがココに居るんだよッ!」
「君が呼んだんじゃないの?」
「だ・れ・が・よ・ぶ・かッ!」
「ま、まあまあ…」
明らかに逆効果な助け船を出した帝人は、しょぼしょぼとボックスの隅の方へと身体を縮込ませる。
それを眺めた臨也は先程よりも強く瞳の色を怪訝なものに変える。数秒そのまま考え込んだ臨也は、しかし小さく溜息を吐いて、机へと両肘を突いて静雄へと嫌な笑みを浮かべて見せた。
「取り敢えず、話を戻すけど」
「も、…戻すな、馬鹿野郎ッ」
「《ダラーズ》のメジャーデビューは、今をときめく人気俳優、羽島幽平が出演予定の香水のCMのタイアップソングにご指名だって所から始まるんだけどね」
慌てて静雄が口を挟もうとするのを見事に無視して、臨也は先程の静雄と同じく身を乗り出すようにしてひそひそ話を始める。
「何でも、企業や事務所じゃなく、羽島幽平直々のご推薦らしいんだよねえ。えー…『昔からファンで、いつか一緒に仕事がしたいと思ってました』だっけかな。いやあ、思わぬファンが居たもんだねえ」
からからと笑う臨也を射抜くように睨み付けながら、静雄は何かを言おうと口を開いては唸るような声を漏らすだけで何も喋らないという奇妙な動作を続けていた。
感情を抑えなければ、口を閉じなくては、しかし、このお喋り魔神の口も永遠に黙らせなければ、でも、感情を抑えなければ……帝人に、秘密がバレてしまう。
ぱくぱくと額に生々しい青筋を立てながら口を開閉する静雄を見て、帝人は困ったように眉を寄せる。臨也はいよいよ面白くなってきたのか、口に浮かべた笑みを益々大きくした。
「そんなに《ダラーズ》が好きなら、もっと早くに言ってくれれば良いのに…ねえ、シズちゃん?」
はっきりと意志を持った微笑みが静雄を貫く。もう、我慢できそうになかった。否、我慢したくなかった。
「る、っせえええ!」
どん、と木の軋む音を響かせながら静雄が立ち上がる。帝人は驚いて仰け反ったが、臨也は余裕の笑みを浮かべながら楽しそうに激昂する男を見上げていた。
「やだなあ、何怒ってんのさ、シズちゃん。ここは人間なら普通喜ぶところだよ、ねえ、帝人くん」
「え、いや、その」
「そのふざけた名で呼ぶなと何度言えば分かるんだ、臨也ァ!」
瞬く間に、長身の静雄がテーブルを越えて手を伸ばし臨也の襟を掴んで引きずり立たせる。喧嘩か、と店の中が騒然とするが、当の臨也は涼しい顔で怒りの炎を燃やす静雄の目を真っ直ぐに見詰め返した。
「今ここで暴れて、俺達…いや、俺と帝人くんの《ダラーズ》の名にに少しでも傷を付けたら許さないよ」
作品名:神様のギャンブル 作家名:Kataru.(かたる)