神様のギャンブル
運転手の声に、は、と我に返る。慌てた素振りはちらとも見せずに料金よりも多めの紙幣を運転手に握らせ、臨也は颯爽とタクシーから降り立つ。
本当に、機嫌が良かった。全てが上手くいき過ぎている。
まるで幸運の神様に騙されているような錯覚を覚えながら防音用の重い扉を押し開けてスタジオへと入ると、そこには予定時間より早いというのに既に帝人の姿があった。
「おはよう、帝人くん。どうかな、調子は?」
「おはようございます。いや、調子が心配なのは臨也さんの方ですよ、デモ収録まで今日やっちゃって本当に大丈夫なんですか?」
「俺は早く歌いたくてうずうずしてるけど」
にこにこと帝人がスコアを臨也へ手渡す。受け取った臨也は。そのスコアが何故か二つある事に気付いて首を傾げる。
「二つ作ってみたんですよ。今日、臨也さんと合わせてみてからどちらをデモで出すか決めたいな、と思って…」
ぺらぺらとスコアを捲って、一週間の間によく二曲も作ったと感心しながら、臨也は小さく肯いた。頭の中は既にメロディで一杯で、声を出す余裕はなかったのだ。
「じゃあ、一つ目、流しますね」
ミキサーに手を伸ばした帝人が慣れた様子で臨也が眺めている方のテープを回す。
透明な月明かりを彷彿とさせるメロディから始まり、しかしAメロの最後で曲調はがらりと変わって、サビへとノンストップで駆け抜けるディープなハードロックになる。恐らくCMにはBメロかサビの部分が使われるのだろうが、事前に仕入れて置いた広告される香水のイメージとぴたりと合う、大人の男のワイルドでどこか艶のある魅力を見事に表現した一曲。多少高低に落差の激しいサビ部分が唄いづらいかもしれないが、しっかり臨也の音域の中に収まるように曲は填っているので問題はないだろう。
「うん…良いね、凄く、俺の詞と香水のイメージを理解してる。俺、殆ど歌詞に解説付けなかったのに良く分かったね」
曲が次第にフェードアウトしていく中で素直に臨也がそう呟けば、嬉しそうに、本当に嬉しそうに帝人が頭を下げた。
「臨也さんにそう言って貰えると本当にホッとします。でも、良かったらもう一曲も聴いてみて下さい」
褒められて嬉しいのかうきうきとした手付きで、帝人がもう一曲を流し始める。
ドラムソロから始まり、街のネオンとトラフィックを彷彿とさせるごちゃごちゃとしたシンセとベースが加わって現代の社会をそのまま体現したかのような、尖っているのにどこか寂しい、そんな曲風で一貫されている。が、…どこか物足りない。
む、と臨也は眉を寄せた。テーマとアレンジはとても良い。だが、この曲は一貫した曲調を求める余りに所々歌詞の意味を置き忘れている箇所が目立ってしまっている。展開もセオリー通り過ぎて独創性に少し欠ける。
二番の半ば辺りで、臨也はスコアから目を上げてしまった。それに気付いた帝人が曲の音量を下げて、此方を窺っているのが分かったので、黙って首を横に振ると、少し傷付いたような表情をした後、何故か小さく嬉しそうに笑ってから、テープを完全に止めた。
「分かりました。じゃあ、一曲目の方で調整しますね。…あの…臨也さん、…」
怖がるような、期待するような、微妙な上目遣いで此方を見詰めてくる帝人をどこか違和感を感じながら見詰め返せば、ゆっくりと二度瞬きを繰り返した帝人は、にっこりと笑いながら一つ頷いた。
「《ダラーズ》のメジャーデビュー、絶対に成功させましょうね!」
「ははっ、当たり前な事を今更! 俺が良いと認めて、売れない曲なんて無いんだから」
自信でも、願望でも、見栄でもない。ただの事実。そう言い切れる程に、臨也のマネージメントは完璧で、本人も強く自負している。
きっちりとそれを分かっているらしい帝人は力強く頷き、そして、ブースへと繋がる扉を臨也の為に開いてやった。
「……最高の一枚にします。僕にとっても、臨也さんにとっても、《ダラーズ》にとっても…」
噛み締めるように呟く帝人の肩を励ますように軽く叩いて、臨也はひらひらと手を振りながらブース内へと入っていった。
その後ろ姿を、見送る帝人の目が笑っていなかった事に気付かないまま。
+ + +
臨也は不機嫌だった。
それもそのはずで、出来上がったデモテープを幽の事務所宛に送った後折り返し来た返事が、やはり企業側が審査を行いたいと言い出したというものだったからだ。
予想外の手間が増えてしまった。幽が譲らなかったという話を聞いていたから、てっきり幽を是非使いたい企業側も折れたものだと思っていたのだが…自分の知らない所で何かが動いているのかもしれない。帝人と共に本社ビルへとタクシーに揺られながら、臨也は益々眉間の皺を増やす。そんな様子を知ってか知らずか、帝人は緊張した面持ちで膝の上に握りしめた自分の両拳をじっと見詰めて一言も喋らない。
「そんなに固くならなくても大丈夫だって。…リーダーの君が自信持ってなくてどうするのさ」
前にも言った事のある台詞を囁きながら、臨也は考える。
予想していた静雄が抜けた事に関する幽からの文句は何故か一切無かったが、きっと静雄が直接幽に掛け合って《ダラーズ》贔屓を止めるように説得したのだろうと想像する。だが、一度口にして無理矢理通してしまった《ダラーズ》とタイアップするという無茶な企画を企業相手に急に翻す訳にもいかないはずだ。それが急にどうして審査などと言い始めたのか。静雄から余計なアプローチでもあったのか、否、アーティストとしてはまだ駆け出しな静雄程度が企業とレーベルを動かせる訳がない。
「…臨也さん…もし、駄目だ、と言われたら…」
「なんて事は考えない。だって、駄目だなんて言われる訳ないじゃない、俺達《ダラーズ》はメジャーへの切符を絶対に手にするんだ、あの、…あの曲でね」
そうだ、曲の出来は完璧なのだ。イレギュラー要素がいくつあったとしても、この曲の出来だけは誤魔化せない。
まだ不安がる帝人を宥めているうちに、本社ビルへとタクシーが滑り込む。料金は企業持ちなので、その待遇に逆に帝人の緊張が増していくのを背中で感じながら、臨也は受付に案内された会議室へと足を進める。
ノックを響かせて室内へと顔を覗かせれば、そこには企画担当らしき人影と、羽島幽平…平和島幽の姿があった。
「《ダラーズ》のお二人、ですね。本日はわざわざお呼び立てしてすみません」
「いえ、こちらこそ、まだ実力の浅い《ダラーズ》にお目をかけて頂き光栄です」
社交辞令のような言葉を交わしつつ、二人は勧められた席へと座り込む。臨也は何が待ち受けているのかと顔は平静を装いつつ身構えていたのだが、意外にも口火を切ったのは企業側の人間ではなく幽の方だった。
「実は、…お恥ずかしい話、今回《ダラーズ》にタイアップをお願いしたのは、《ダラーズ》のメンバーに俺の兄である平和島静雄が所属しているから、だったんです」
感情を欠いたような淡々とした口調で幽が語る内容の大半は予想の範疇内だったので、臨也は特に思うところもなく黙って抑揚のほとんど無い語りを聞き続けた。帝人も黙ったまま、幽の方をじっと見詰めている。
作品名:神様のギャンブル 作家名:Kataru.(かたる)