gambling game
さて、ゲームを始めてからどれぐらい経っただろうか。数えていなかったので数字は解らないが、取り合えず少なくは無い回数のゲーム全てをいつも通り俺の勝利で終えた後のことである。飽きもせずに再びオセロで勝負をしようと白と黒の石を分けていた古泉が、視線を落としたままに口を開いた。
「次のゲームで、賭けをしませんか?」
「賭け?」
口調はいつもどおり、冬の冷え冷えとした空気には似つかないほど爽やかなテナーである。
あまりに唐突だったせいだろうな。俺が咄嗟に出した言葉は、露骨に怪訝なものだった。机の上のオセロ盤に向けていた目を上げてみると、困ったような笑みを浮かべた古泉と視線がかち合う。
「念のため、『機関』は関係ありませんからご心配なく」
「別にそんな事は心配しとらん」
「それは失礼しました。では改めてお尋ねしますが、ちょっとした刺激も兼ねてどうでしょう? 乗っていただけませんか?」
言いながら古泉は、机へと両肘をつき、長い指を組み合わせて形の良い顎を載せ微笑んだ。相手の出方を窺う時にこいつがよくやる仕草だ。
「賭けるもの次第だな」
俺の返答を聞いた古泉が軽く目を見張った。自分で振ってきたくせに、なんだよその驚いたような面は。
「いえ、てっきりあなたは渋るかと思っていたもので」
なんだ、断られたいのか?
「そういうわけではありません。……ただ、あなたは僕を警戒している所が少なからずあるように見受けられますから」
お前は俺をどんな酷い人間だと思っているんだ。確かにお前はかなり胡散臭い奴だし、お前のバックにいる『機関』は幾ら警戒しても足りない奴らだとは思ってるさ。だが、ダチとゲームで軽い賭けをするなんてのは、きわめて一般的なことだろ。
「ダチ、ですか」
さっき以上に驚いた顔をして古泉が呟く。
それ以外当てはめようが無いだろ。確かに友人というには付き合いが濃すぎる気はするが。一般的な友人間では、超能力やら神やら世界の崩壊やらなんて言葉を真面目な顔して言いあったりはしない。
「あなたに友人と思っていただけているとは、光栄です」
滑らかな仕草で指を組み替えながら、古泉が小さく笑んだ。神経の末端に触れるような、微かな違和感を覚える。俺がその正体を掴む前に、古泉が再び口を開いた。
「賭けるものですが、僕が負けたら、僕の秘密をひとつあなたへ差し上げようと思っています」
お前の秘密、ね。まあ興味が無いといったら嘘になるな。なにせ古泉一樹の成分は、八割方が秘密で出来てるといっても過言ではない。
「謎の無い超能力者というのは、涼宮さんの望むところではありませんからね。……それで、あなたに賭けていただくものですが」
古泉はそこでいったん言葉を切り、擬音語にするならばにっこりとしか表現しようの無い完全な、それゆえに感情の見えない笑顔を浮かべた。
「無くて結構です」
「は?」
「貴方は何も賭けなくて構いません。これから行う賭けは、ある種、僕自身への運試しのようなものなので」
なんだその罰ゲーム的ルールは。しかも自分から被害者側に立とうとは、まさかお前、被虐嗜好でもあったのか。
「さて、どうでしょう」
古泉は変わらない笑顔のまま、イエスともノーとも取れる解答を投げてきた。
「勿論、あなたがお嫌なら普段どおりのノーレートでも構いませんよ」
構わないと口では言いながら、その表情はちっとも構わないという様子じゃない。お得意の笑顔の仮面で上手く隠してるつもりだろうが、僅かに入ったひびから必死さがちらちら見えてるぞ。長門のミクロ単位で表現される感情ですら、おぼろげながらに読めるようになってきたのだ。楽勝とまでは言わないが、それでもある程度はこいつの表情の変化を察する事は出来る。
「解った、お前の提案の提案に乗ってやる。ただし、俺が負けたら缶ジュースをお前に奢るからな。今から何が飲みたいか考えとけ」
「……了解いたしました。楽しみにさせていただきますよ」
有無を言わせないように強い口調で言い切ると、古泉は安堵と困惑を足して二で割ったあげくどういう表情をすべきか見失い、とりあえず笑顔を混入して誤魔化してみましたという表情で頷いた。
これは俺の予想だが、おそらく古泉には『機関』や『ハルヒ』絡みで何か俺に言いたい事があるのだろう。しかしそれを素直に言うには些か問題があり、且つ古泉自身も言うべきか言わないべきかで迷ってる。だからこうした遠回しで不確実な、それこそ運試しのような方法でもって俺に伝えようとしているわけだ。あえて勝率が滅法低いボードゲームで挑んできたという事は、ただ単に話す切欠が欲しいだけなのかもしれんな。
なんにせよ、非常に回りくどい。全く持って古泉らしいが、遠回しなのは論調だけにしてほしいものだ。付き合う身にもなれ。
「それでは始めましょうか」
俺の耳がおかしくなっていなければ、始まりを告げる古泉の声は、巨大カマドウマと対峙した時や繰り返される夏休みに翻弄された時よりも――いや、下手をすれば世界崩壊の危機に直面した時よりも、硬く強張っているように聞こえた。
作品名:gambling game 作家名:和泉せん