貴方に贈る子守唄
静雄の驚き様から察するに、僕の推論は恐らく間違っていなかったのだろう。
静雄は多分、耳が、聞えないのだ。
だから先程の僕の自己紹介なんて分かる訳無いし、幽が妙にゆっくり、大きく口を開けて話していたのにも納得が行く。
ついでに、あの時の幽の褒め言葉も、当然聞こえてはいなかったのだろう。まぁ、聞えていなくても互いの意思の疎通が出来ているなら、特に今更反応を返す必要も無いのかもしれないけれど。
『幽君とは高校入学、1年生の時から今も同じクラスで、仲良くして貰っているんです。』
見せた言葉を読んだ静雄は再び僕をマジマジと見て、ふわりと、くしゃりと、本当に嬉しそうに、笑った。
「そっか・・・お前、幽の友達か。・・・・・・良かったな、幽。お前、前に比べて楽しそうに学校行ってたから、どうしたかと思ってた。
竜ヶ峰、っつったか?これからも、幽と仲良くしてやってくれな。」
言って、幽にしたのと同様に、大きな手でクシャクシャと頭を撫でられた。
子ども扱いされている様であまり好きでは無い行為なのに、何故かとても安心で来て、こそばゆい気持ちに駆られた。
2人の対面を見ていた幽は、腕に嵌めた時計をチラリと見、次いで僕と、彼の兄を見て、再度僕に視線を戻すと、「ねぇ、」と僕に呼び掛けた。
「帝人君、この後忙しい?」
「えっ?ううん、特に。これから帰って食事の支度する位かなぁ。」
首を傾げつつ返答すると、僕と同様に携帯を取り出した幽が操作して、静雄に見せた。
それを読んだ静雄も満足げに頷いている。
1人取り残されて話が見えない僕に、幽はスッと手を伸ばすと、僕の手を取った。
「なっ、何?」
「折角対面も果たせたんだし、もし何も無いなら、一緒に何所か食事でも行かない?兄貴も良いって。」
弾んだ様子は、似た面影を浮かばせ、しみじみ、あぁ兄弟なんだなぁ、と感嘆してしまう。
この絆の深そうな兄弟の間に割って入るのは勇気が要りそうな行為だなぁ、と思いつつも。
珍しく華を飛ばしかねない程上機嫌な幽と、緩やかに笑みを浮かべる美貌の青年を前に、僕に否定の言葉が紡げる訳が無かった。
「あっ・・・あの、出来たら、あまり値が張らない所だと有難いです。」
それでも、苦学生として言うべき所は言っておかないとと、釘を差したら、またしても珍しい事に、幽が表情を僅かに崩し、笑っていた。
幾ら幼馴染が誘ってくれたとは言え、高校生で親元を離れて1人、新境地に立つにはそれだけの理由では足らない。
結局僕が池袋と言う街に来たのは、僕のこの性癖とも言うべき悪癖である、非日常を渇望する探究心だった。
新しい街に来て、新しい友達が出来て、新しい経験も沢山した。
鳥籠に納まったままでは得る事すら儘ならなかった、多くの事を、この身で体験出来た事はとても素晴らしい事だと、今でも思っている。
それなのに、僕は何所か、満ち足りなかった。
都市伝説に会って、幾つかの事件と関わりを持って、自分と言う既存の殻を破る事が出来たと言うのに。
心は、何かを求めていたのだ。
それが何かなんて、分からない。
更なる新しい非日常なのか、刺激なのか、はたまた自分が完全に変革してしまう事だったのか。
ずっと、満たされない気持ちを抱えて、日々を過ごしていた。その僕が。
信じられるだろうか。貴方に言ったら、きっと、首を傾げるだろうけど。
埋まらなかった心の隙間に、確かに何かを灯したのは、貴方の存在だったのだと。
その事実に気付くのは、もう少し先の事だった。
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ゆらりゆらりと、切り替わる視界の中、時折掠めるソレが、やけに目についた。
池袋で暴れる俺の行動は、偶に、などと言う生易しい頻度で起こる騒動では無い。
言ってしまえば気に食わない輩をぶっ飛ばす為に衝動的に身体が動いてしまうのだから、自分の堪え性の無さに自己嫌悪を抱くものの、高校時代から顔を合わせてしまったあの天敵だけは消さねばならないと、義務でも無く、最早天啓のように心に巣食うので、奴がちょっかいを掛けてくる回数だけ、見慣れた街並みが壊れて行く回数も増える。
聴力を失った俺のそうした活動に疑問を持つ輩も当然いるが、音は聞こえなくとも、その分冴えわたってしまった感覚だとか、視力だとかが、俺の逆鱗に触れる何かを勝手に感じ取る。
中には、完全にとばっちりだって居ただろう。理不尽に勘違いされて俺に伸された輩も居たかも知れない。
でも、だからと言って、俺にはどうする事も出来ない。だって俺は、耳が聞こえないから。
言い訳の様に、唯一の免罪符の様に、付随する負を渋々受け入れて盾にする、そんな俺こそ本当は嫌いなのに。
分かってくれる者なんて居やしない。血の繋がりだけで俺の傍に居てくれる弟や、こんなどうしようも無い俺を見捨てない両親だけは、そうした俺の心の内を分かった上で、受け入れてくれていた。
何故ソレが目についたのか、理由は明快だった。
だって俺が暴れた現場に残ろうなんて輩が、居る筈無いのだから。
元々俺は物覚えがあまり良く無い。大学だって、結構ギリギリのラインで入れた。偏に、なんだかんだ言いつつも絶妙な所で俺と付き合いを持っていた幼馴染、新羅が、俺のハンデを知っていて、合わせて一緒に大学に入れるよう勉強を教えてくれたどころか、ランクまで下げて、共に入学してくれたからだ。
だから、視界の端に捉えた、1度掠めた程度の顔ぶれなんて、覚えている訳が無い。健常者は大抵、竜巻の様な騒動に巻き込まれまいと、見た瞬間散って行く。
しかし、ソレは居たのだ。割れた道筋の向こう、公道の只中に、微動だにせず、此方を凝視していた。
口を半開きにして、唖然とした表情で見詰める、幼い印象を抱かせる子供の、年齢がなんとなく分かったのは、その身に纏う制服からだった。
かつて自分が通い、今は弟が通う、来良学園の、浅葱色。
ピシッとした装いに、キッチリ上まで締められたネクタイが、真面目さを存分に顕していて、浮かべる表情とミスマッチだと思った。
いい加減鬱陶しくまとわりつく輩達を沈め終えると、垂れた前髪で晴れない視界を開ける様に、掻き上げる。
サングラス越しに見た子供は未だその場を動かず、先程浮かべていたものよりも更に輝かしい色で以て、俺を見ていた。
久しくそんな目で見られた事の無い俺はたじろぎ、だがどうして良いかも分からず立ち尽くしていると、ポンっ、と唐突に肩を叩かれる。
「あぁ?」
まだ残党が居たかと凄んで振り返ると、件の弟が、ゆっくりと片手を上げて俺を微かに見上げていた。
「よぉ、幽。何してんだ、こんなトコで。学校は終わったのかよ。」
幾分か気分が落着いて行くのを自覚しながら、弟の頭をクシャと撫でる。
弟は短気で直ぐ顔に出る俺とは正反対に、滅多に感情を表に出さない子供となってしまった。
その一端に俺が関わっているから、余計に申し訳なくて、甘やかし過ぎなのではないかと思う位、溺愛してしまっている。