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祭囃子は聞こえない

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ナイフが抜けたそこは所々土がこびり付き、玉のような血を次から次へと溢れ流していた。
「根回しの大半は幽だけどな」
「シズちゃんうるさい」
そんな男の惨状には目もくれず、青年と化物は嫌味混じりの会話を始める。
男は震える右手で口内の布を取り出すと、ようやく自由になった口で存分に空気を吸い込んだ。
そして震える体を無視して、目の前の二人に怒りと恐怖が綯い交ぜになった視線を送った。
「…は……っ…な、何なんだお前等…っちくしょう…ちくしょう…ぅ、げほっ…警察に行って、やる……行ってやる…っ…それ、に訴えてやる…っっ絶対に…許さ、な…げほげほっ…ちくしょう…ちくしょう…っ」
涙や鼻水を垂れ流しながら、男が恨みの篭った言葉を吐く。
ホスト風の青年はそれに嬉々として目を輝かせると、愉しげに声を張り上げた。
「はっ!これは恐れ入った!呆れるくらい自分の立場と置かれた状況を理解していないなぁ!おまけに人の話も聞いてないときた!あはは!いいよ、いいよ!やれるものならやってみればいいよ!」
血のついたナイフを器用にくるくると回しながら、歪んだ笑みを浮かべる青年。
隣にいる化物は男と青年を見比べた後、どちら共にも呆れたように溜息を吐いた。
「まあ…とにかくよ、おっさん」
そして殺気を纏った目で男を見下ろすと、

「帝人に詫びろ」

「―――がっ!!??」

容赦なく頭を踏みつけた。








額から血を流した男が夜の路地へと逃げ消えていく。
それを黙って見送りつつ、バーテン服の男―平和島静雄は詰めていた息をゆっくりと吐き出した。
――なんとか耐えれたか。
ストーカー男と相対中、何度もこめかみに青筋が走り、キレそうになった。
それに隣には彼がもっとも嫌悪する対象、折原臨也。
傍目からは冷静を保っているかのように見えたが、いつストーカー男を潰して臨也に喧嘩を売ってもおかしくない状況だった。
耐えることが出来たのも、ひとえにあの少年のことを思えばこそ。
――帝人…。
静雄はその少年の名前を胸中で呟いた。
自分を支える存在、大げさにも聞こえるが、もうどうしようもない程に彼のことが好きだった。
――末期だなぁ。
自分も、この男も。
そう思い、静雄は隣の男――臨也を横目で見る。
「で、具体的には何を仕掛けたんだ?」
静雄の問いに、僅かに思案顔になる臨也。
「んー?…そうだなぁ、分かりやすく言うと人生崩壊レベルかな?ほら、俺がいつも皆に提供する『非日常』があるだろう?それに彼を招待したんだよ。しかも中心人物。凄いVIP席でしょ?情報操作、大変だったんだから」
さて、彼はどんな結末を迎えるのかな?
舌なめずりをして楽しそうに語る臨也に、静雄は分かりやすく溜息を吐いた。
――ご愁傷様だな、おっさん。
心の中で合掌をする。形だけだが。
そんな静雄の態度は気にもせず、血のこびり付いたナイフを布で拭うと、臨也は楽しげな表情を僅かに潜めた。
「…今回はシズちゃんに譲るけどさ。本音を言えば俺の所にも相談に来て欲しかったなぁ。まあ、仕方ないけど」
ナイフを懐に仕舞い、肩をすくめる臨也。
彼にしては珍しく、その顔には苦笑が浮かんでいた。
「……」
「じゃあ、もう行くよ。あの男の動向を見ないといけないしね。帝人君のことは頼んだよ。あ、勿論今日だけだけど」
「…うるせぇな、言われなくても分かってるよ。とっとと行けノミ蟲」
「あーもうほんと腹立つなぁ。じゃ、またね。シズちゃん」
黒いコートを翻しながらヒラヒラと手を振り、臨也は去っていった。
静雄はその背を見つつ、自らも帰路についた。






玄関を開け、靴を脱いでいると、廊下をパタパタと駆けてくる音が聞こえた。
靴を置き、廊下に立つと帝人が駆けてきた。
「静雄さん…っおかえりなさい」
心配と安堵を声と表情に滲ませつつ、ほっとしたのか小さく微笑む帝人。余程心配していたのだろう。
「ああ、ただいま」
その優しさに胸が温かくなった。
「なんかいいな、こういうの」
らしくもなく薄く微笑み、思ったままの言葉を口にすると、帝人が目を丸くさせた。
「?」
何かおかしなことでも言ったのだろうか。
しかし静雄がそれを問いただす前に、目の前の少年は柔らかく笑った。
「あ、いえ。…兄弟なんだなぁ、と思って」
「…?」
「大した事じゃないんです。ふふ…ごめんなさい、気にしないで下さい」
「…ならいいけどよ」
控えめな笑い声を上げながら、楽しげに話す帝人に静雄は問うことを止めた。
この少年が楽しそうにしている。それだけで充分だった。
それにさっきから大きめのシャツの隙間から白い肌や鎖骨が覗いていて、なんとも落ち着かない。静雄の意識はそちらに奪われっぱなしだった。
そんな静雄の様子には微塵も気づかず、帝人は話しかける。
「とにかく怪我がなくてよかったです」
「え、あ、ああ。ありがとよ」
多少どもりながら返事を返すと、廊下の先から幽が顔を出した。
「兄さん、おかえり」
「ああ、ただいま。…首尾よくいったぜ」
「…そう、よかった」
端的な会話で報告を済ませると、不思議そうにしている帝人の頭に手を置いた。
「もう”解決”したから大丈夫だ。安心しろ」
「…!え…っほ、本当、ですか?」
大きな瞳が驚きに見開かれる。
「ああ、本当だ」
そう言って、帝人の頭を優しく撫でてやる。
すると僅かに不安の色を浮かべていた顔が、ほっとしたように緩んだ。
それに思わず静雄も顔を綻ばせる。
「ね、大丈夫だったでしょ」
「幽さん…」
いつの間に距離を詰めたのか、幽が帝人の後ろに立っていた。
「ええ、そうですね…。静雄さん、幽さん、今回は本当に…」
「帝人君」
「っ」
帝人が二人に対し、お礼の言葉を述べようとした瞬間、幽が急にそれを止めた。
口調は相変わらず淡々としていたが、その言葉には明らかな制止の言が含まれており、同時に問うような色も含まれていた。
静雄は意味が分からず幽を見つめるが、帝人は何かを思い出したのか、はっとする。
「え……あ、幽さん。本当に、するんですか…?」
その顔には戸惑いや不安、そして僅かばかりの羞恥が浮かんでいる。
しかし幽はそんな帝人の言葉を、無慈悲にも一蹴した。

「うん。『約束』したでしょ?」
「…!」

迷いなく真っ直ぐに伝えられた言葉。
その言葉に帝人は肩をびくつかせると、頬に朱を走らせた。
「…え、いや…でも…幽さん。こんなことされても気持ち悪いだけですって」
「嬉しいよ」
「…っ…き、きっと怒られますよ」
「怒らない」
「……ええっと、その…」
「帝人君」
「…………………」
「…………………」
幽の容赦ない視線が帝人に絡みつく。
その瞳は「観念しろ」と言っているかのようで、向けられている帝人も、傍で静観している静雄も、閉口するしかなかった。
「…………分かりました」
「うん」
ややあって、帝人が降参の意を示す。
しかしその口は相変わらず「気持ち悪いだけだと思うんだけどなぁ…」とぼやいていたが。
「さ、帝人君」
「……どうなっても知りませんよ、もう」
そう言って帝人は今まで黙っていた静雄に向き直ると、決意を込めた瞳を向ける。
「し、静雄さんっ」
「お、おう?」
「失礼しますっ」
「? ―――っ!!!」
作品名:祭囃子は聞こえない 作家名:鷲垣