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野ばら

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 始めた当初こそ優勢だった陣営は、しかし戦況は移りゆくものだ。連合国側の仕掛けた大がかりなオペレーションを皮切りに、物資も乏しくなってきた頃にはとうとう苦しい状況へと追いやられていた。
 今やもう、終戦は近い。
 どの国も、まさしく喘ぐようにして戦っている。誰もが限界を感じていた。
 そして、終わったときに勝者としていられるのはどちらでもないということも皆知っているのだった。

 火に焼かれ爛れた己の身体。頭蓋に反響する呪詛のような人々の悲鳴。外傷も勿論厳しいが、元より内政がひどいものだから、時折意識すら持っていかれそうになるほどに臓腑が痛む。焼かれている、というよりは煮られているような、そういう重苦しい痛みだった。
 目の前で、またひとりふたりと兵士が倒れゆく。きっと見えない場所でもそうして命の灯火は消えてゆく。
 なんの権利があって我が愛しい民を殺す。誰に断ってこの美しかった我が国土を踏み荒らす。許すまいと、己もまた同じように見も知らぬ敵兵――自国の民と正しく同じだけの重さのいのちを持った――を撃ち抜き、既に荒れ果てた他国――美しかったのであろう――を蹂躙した。
 もう、いいじゃないか。
 壕に籠もり、血生臭く赤黒く汚れた身を見返り、目を閉じた。もう、終わるのだろう。抗い、どうなるというのか。これ以上苦痛を与えたくない。自国の民にも、…彼にも。
 いつからこれほどまでに甘い考えをするようになったのだろう。腑抜けたものだな。自嘲が漏れ、ああ、まだ自分は笑うことが出来たのかと思った。
 場所によっては、これは本当にあの地獄のような戦争なのかと疑いたくもなる生ぬるい戦線もあった。しかし、ドイツが身を置き続けたのは、常に戦陣を切る部隊だった。「国」は皆、そうしただろう。イタリアですらそうしたのだ。守られるのではなく、守りたい。もっとも、イタリアはそういった戦火を厭う嫌いがあったので、戦陣をきり脱路を拓いたものだったが。
 ――…もう、イタリアはいないのだったか。
 勝敗は決したと言ってもよかった。今となってしまえば、これは完全な負けだ。
 もう、もう。…もう、いいだろうか。上の者はこの状況をどう考えているのか。もう、終わりだとわかっているはずだ。さあ、もう終わりにしよう。
 戦を始めたのは誰だった。激化していく戦争を止められなかったのは誰だった。銃を突きつけあったのは誰だった。……誰と、誰、だった。



「おまえ等の処遇は、もうほとんど決定してんだけどね。アメリカは日本との戦線に夢中だし、イギリスもそっちに夢中。勿論中国も。ロシアはどうだか知らねえが、まあ、今はとりあえずあっちの終戦を待ってるわけだ。」
 せいぜい勝者然としてフランスがそう説明する。しかし、本人こそが誰よりも理解しているだろう、その表情には疲労がありありと見て取れた。深く痛んだ、ともすれば麻痺してしまった、そういう顔だ。自分もさして代わり映えしない顔つきをしているのだろうが。
 ――終わっても、なお会えないのか。否、会えずともそれで良かったのだ。少し延びた再会への猶予が、要らぬ想像を働かせる。顔を合わせ、彼はなんと言うのだろうか。「会いたかった」?それとも「おまえのせいで」?あるいは万感こもごも至る、そんな顔で「馬鹿」とでも。
「………」
 ここにきてようやく俯くのは、脳裏に浮かんだままの顔が、こちらを振り向かないような気がしてならなかったからだ。この激しい戦を経て、あの目を忘れられるかと思った。しかし、当然のようにそんな易い感情ではなかったらしい。むしろ苛烈に想う。
 こうなってしまった今も、まだ、どうしても。恋い焦がれているというのは妄言だろうか。
 片手で顔を覆い、そのなかで目を瞑ると、深く短いため息が落ちた。今ここで、自分に限り、戦争は終わったのだと痛感する。これからもまた、より一層の不況に喘ぐのだろうが、ともかく、この手は大儀を持っての引鉄を引かずに済む。人を殺すには、あの反動はあまりにも些細すぎた。人の命は、どんな場にあっても、あんなに軽いものじゃない。違うというのに。
 国が具現化されて在るというのなら、何故自分たちだけですべてを終わらせられない。なんのために、生まれてきた。外交の駒にもならず、丈夫な身体と培ってきた記憶だけが唯一の武器だった。
 ごうごうと身体を吹きすさぶのは、形容しがたい感情だった。二度の大戦を戦い、得たものはなんだった。失ったものはなんだった。

「…あーあー、疲れたなー」
 この状況にふさわしくないような、些か間の抜けた声が聞こえ、そこでフランスがいたことを思い出した。
「やーあっとかわいこちゃんと遊べる」
 長い禁欲生活だったぜ、とフランスは大げさにおどけてみせた。ドイツはどんないらえを返せばいいのか推し量りかね、気むずかしく眉間にしわを寄せる。
 それを視界に入れたフランスは、少しだけ笑った。安堵、の表情のように見えた。そうして「でもおれはまだ良かった」とつぶやく。
「おれもね、愛の国ですし?まあ結構な割合で大切にしてるひとっていうのがいるわけ。」
「……」
「寿命とか、…思想とか属するものとか、そういうのを押し退けても大切に思う相手はいるのよ。」
 なにが言いたい、と剣呑な顔をした自覚はある。するとすかさず「せかすなよ、坊や」と苦笑とともにいなされる。この男は、こう見えてずっと長く生きてきている。引き継がれた自分などとは生き様も大きく異なる。あの男と同じ、この欧州で名を馳せたひとつの大国として、長い生を生きてきている。未熟でまっすぐなだけの若さを目の前に、フランスはなにを思うのだろう。
「でもな、おれは今はいないんだ。」
 軽い口調に二転三転する語り口、つかみ所のないこの男はどこへ導こうとしているのか。
「ほら、良かっただろ?」
 肩をすくめ、気障ったらしく口角をあげる。
「ざまあみろだ」
 そう軽薄に言い捨てたが、ドイツが眉をはねさせるよりも先にフランスは組んだ手を額に寄せた。表情は隠されて見えない。
「馬鹿だよ、お前等は」
「……」
「お前等、ほんと、見てらんねえ」
「……フランス、」
「まじでなんなの?なんでこうも不器用なの。馬鹿だろ、馬鹿。ふたりして大馬鹿だ」

 ――あいつは隠すのが巧いね、だけどボロボロだった。あんまりにも長くて陰惨なもんだから。

 馬鹿だな、とフランスは言う。どちらにも向けて。
 自分たちはなんのために生まれてきたのだろう。そういつも自問自答して、いつだって答えは出ない。きっといつまでも出ないのだろう。
 生まれた意味を問うのは、生きていたいからに他ならない。
 恋しい存在が在ることが、こうも己をかき立てる。それは国民であり、友人であり、無二に恋い焦がれるものであり。彼らを想うから、国として命を受けそれでも人の形をとって生きていられる。誰かを恋しがることは弱みでもあり、意地にもなった。
 声を枯らすほど名前を呼びたいと思い、もう思い出したくないと目をきつく閉じた。戦場に在りながら己の甘さに辟易とし、しかしそれを失くしてしまえばと考えることそのものが怖かった。
作品名:野ばら 作家名:佐藤