drogue
「なっ!何故です! 何が起きてるんですか?兄さんの身に!!」
「今は説明している暇はない。全てが終わったらゆっくりと説明をするから、とにかく、言った通りにして欲しい。事は一刻を争うんだ!」
私は起こり得るだろう悲惨な状況を、この純真で、兄に絶対の信頼を寄せている弟に見せたくなかった。
アルフォンスは理解できないまでも、何かよくない事が兄の身に訪れているのだろう事だけは感じ取ったらしい。私の指示通りに紐を準備し手渡すと、
「僕は宿の一階で待期してます。大佐を信用してない訳じゃないですけど、兄さんを置いてここから離れるなんて事、出来ませんから」
そう言うと、辛そうに踵を返して部屋から出て行った。
これだけ大声で騒いでいるにも関らず、エドワードはピクリともしないで仰臥している。
彼は基本的に身体を抱え込んで小さくなって寝ている事が多い。それは取りも直さず警戒心が強い表れなのだ。その彼が仰臥している。
「どれだけ薬に侵されているのか……。何がそんなに君を追い詰めた。帰って来い、鋼の。君はそんなに弱い男じゃないだろう?」
私は紐で彼の両手足をベッドの足と繋ぎ、そっと頬を撫ぜた。
かさつく触感に無意識に眉が寄る。
長い一夜になりそうだ。
2007/08/05
4
「・・・・・・・ん・・・・・・」
微かな声が粗末なベッドから漏れた。
私は壁に預けていた背中を離し、ベッドサイドへと足を運んだ。
床上を覗き込むと、先程まで表情をなくしていた小さな顔に苦痛が刻まれ、弓形な眉が眉根に寄せられている。
「やっと覚醒するか…」
私はベッドに腰を掛けると、やつれた頬に掌を当てた。
辺りはすっかり闇の色を濃くしている。
私がここに来た時には午後の日差しが室内を照らしていたのだから、軽く5・6時間は経過している事になる。
「どれだけ・・・本当にどれだけ使ったんだ?急性麻薬中毒の様相だぞ。鋼の・・・」
答えが返らないと知りつつも、つい愚痴が口をついて出た。
ひんやりとしていた頬は人形めいていたが、今は熱が戻りつつある。しかし、代わりにじっとりとした脂汗が滲み出してきた。
「・・・・・・いっ・・・・・・ぇ・・・」
掠れた苦鳴が小さく耳を掠める。
金色の頭を左右に振り、苦痛を訴え出す身体を、私は両肩を押さえる事で覚醒させようとした。
「起きたまえ、鋼の!」
私の声に反応したか、金色の睫がふるえて上がる。
「は・・・がね・・・、の」
何をしてるんだと怒鳴りつけようとした私の言葉は、喉の奥で絡まった。
現れた瞳に、私は息を止める。
いつもの意思の強さを表す光りは無く、どんよりと濁った視線が宙を彷徨ったのだ。
「ぁ・・・・・・あるぅ・・・。く・・・すりぃ・・・。・・・ぁるぅ」
呂律の回りきらない口を開けて告げた言葉は、常の彼ではあり得ないほど頼りない声と内容だった。
「あるぅ〜ぁるぅ〜・・・く・・・りっ」
エドワードは身体を捩りながらたどたどしく要求を告げるが、視線を私に留めない。
これ程傍にいる私を居ない者としている彼に、胸の奥が不快感に焼かれた。
「駄目だ!鋼の!あの薬を使わせるわけにはいかない!しっかりするんだ。己を保て!!」
私は両肩を握ると軽く上下に振った。それだけで軽い身体は床上を跳ねる。
と、彼の視線がのろのろと私に向けられた。
「鋼の」
声をかけた私に、彼は見る見るうちに恐怖の表情を向け、私から逃れようと暴れ出した。
「いっいやだぁ〜〜!!」
突如として発せられた声は引き攣った叫び声だ。
「鋼の!」
「いやだっいやだぁ〜。あるぅあるぅ〜。くろいばけものぉ〜。たすけて!いたい。いたいよ。くすりぃ〜。あるぅ〜」
“幻覚を見ている!これは麻薬中毒による禁断症状!!何と言うことだ。アルフォンスは鎧に魂だけが定着された身体…。この麻薬の臭いの異常さに気が付けないのも致し方ない・・・が。だが国家錬金術師が麻薬に侵されるだなど…”
拘束された手足をばたつかせ、背中を弓形にそらす小柄な身体は、私が満身の力を込めて押さえつけなければ関節を壊しかねない程の暴れ方だ。
「駄目だっ。鋼の。薬を使わせるわけにはいかないっ!耐えろ!耐えるんだ!!」
私はエドワードの身体の上に身体を乗せ、背中に腕を回して抱え込むと、全身で彼を拘束した。
「いやぁ〜!まものっ、まものがぁ〜。あるぅ〜、たすけて、いやだ。いたい!いたいぃ〜。たすけてっ、かあさん!」
真円に開かれた瞳から涙を零し、恐怖の対象から逃れようと足掻き、母に弟に助けを求めるこの身体は、どれだけ大人びて見えても、また見せていても、まだまだ子供なのだ。
親の庇護のもと、楽しい時を過ごせている筈の子供だったのだ。
私はその事をすっかり忘れ去っていた自分にこの時初めて気が付いた。
「大丈夫だ、エドワード!私が居る。私がここに居る!怖いことなど無いっ!私が君を守る。君と弟を守る。だからっ」
だからの後に何を告げたかったのか分からないまま、私は心の叫びを言葉にして告げ、機械鎧を装着しているにしては華奢な身体を抱き締めた。
激しくもがく彼が唯一自由になる口を使って私の肩口に噛み付いてきた。食い込む力に流血を予感したが、彼が今味わっている痛みと苦悩に比べたらどれ程のものか。
「構わないよ、エドワード。いくらでも私を攻撃したまえ。だが、この手は離さない!君を麻薬の闇に閉じ込めさせはしない」
私は更に腕の中の身体を抱き締めた。そして耳元に囁いた。
「帰ってこい、エドワード。私の・・・私達のもとに」
暴れる身体との攻防は、窓の外が紫色に染まるまで続いた。
2010/08/12
5
「久しぶりの朝日だな」
宿の窓から差し込む清浄な朝日が目に痛いくらいだが、本当に久しぶりの晴天は、気分を爽快にする。
室内に目を転じれば、簡素なベッドに金髪を散らした小柄な体。
私が身体を動かした事で当たる日差しに、その表情は迷惑そうに見えた。それでも、昨日までの人形めいたもので無い事に、私は安堵した。
「…んっ……まぶしっ……」
「いい加減、起きたまえよ。この寝ぼすけ豆っ子」
「だれが、シーツに埋もれて見えないまめ…」
途端に彼はガバリッと身体を起こして怒鳴ろうとし……。結果、ぐらりと身体を大きく揺らした。
「危ない!!」
私は素早く痩身を腕に収める。
「…あ、れ?…なんで、オレ……こんなに、からだ、だる…い?…ってか、たい…さ?何で、あんたが?」
「君がまたもや、とんでもないトラブルに巻き込まれたから、私が助けに来たんだろう?」
「トラ…ブル?」
「そうだ。覚えがないとは言わせんぞ。薬の使い過ぎで中毒に陥っていたんだ。君は!」
「中毒?……くすりって…」
「何処ぞの男から貰った痛み止めと称する麻薬だよ」