惚れ薬と恋心
(ちっ、かなりヤられたなぁ。あの馬鹿力、死ね。あんな怪我じゃ足りないっての)
げほっと込みあがってくる胃液と血の塊を地面に吐き出す。
服やコートにも返り血が飛んでいる。気持ち悪そうに服をつまむと、もうこれ着れないじゃんと臨也は1人呟いた。
ここ数日間、重要なクライアントからの依頼を受け池袋のみならず東京まで離れていた臨也は、僅かな情報だけは掴んでいたもののこの状況に対して全く手を打つことができなかった。
セルティが帝人の味方であり、同時に新羅も帝人側に回るうえに、帝人自身がチャットや携帯を通じた臨也との接触を避けたことが原因でもある。
(惚れ薬帝人君が、どれだけシズちゃんに忠実だったのか、って話だよ!むっかつく!)
静雄に嫌われたくない、その一心で天敵たる臨也を完全に帝人は避けまくったのだ。
何度か仕事を放り投げようかとも思ったが、どうせ惚れ薬の影響下にある帝人にはすげなくあしらわれることが目に見えていたし(実際ブルースクエアの動きはなかったため青葉がその状況だったことはわかっていた)、静雄が帝人のことを好きになるなんて考えたくもなかったため、無理な帰還はやめてしまった。
臨也から見れば静雄の感情など簡単にわかる。それでなくても静雄はわかりやすい。
(シズちゃんは人の近くにいるのとか好意を受けるのに慣れてないから、すぐ転ぶんだよ。なんでよりにもよって帝人君かなぁ)
傷だけではない痛みに、重苦しい溜息を吐くと、臨也は静雄と会う直前まで話していた帝人のことを思い出す。
「やぁやぁ帝人君。災難だったねー」
へらへらと笑いながら帝人の家に押しかけた臨也は、帝人の言葉も聞かずにあがりこんだ。
文句を言われる前に小さなテーブルへ土産と言う名の贈呈品(中身は焼き鳥セット)を置く。
「臨也さん?どうして池袋に・・・自殺志願ですか?」
冷たい言葉を告げながらも、帝人の手は焼き鳥にかかっている。
包装を剥ぐスピードが普段と違った。
「しないよ!俺はね。うーんそれにしても普通だね。シズちゃんなんて化物好きにならされて怖くなかったの?」
「静雄さんは化物なんかじゃないです。あと怖くないですよ、静雄さんですから」
「そういう帝人君の非日常に対する好奇心と愛情は、俺の人ラブにも匹敵するかもね・・」
遠い目をする臨也を一切見ることなく、帝人は焼き鳥をパクついた。
当然臨也にはお茶すら出ないが、臨也も気にせず話をすすめる。
こんなことで傷ついていたら帝人と付き合ってなんかいられない(ここまで酷い扱いを受けているのは臨也だけだが)
臨也から見れば、帝人も可愛さ余って憎さ百倍だった。
こんなにも目をかけてやっているのに、帝人の想いは臨也へは向けられない。
それを悔しくも思ったし、逆に思い通りにならないところにさらに惹かれたものだ。
だというのに、帝人が見ているのは臨也ではない。
「でもさ、いつか食われるよ」
だから少しぐらい傷つけばいいのだ。
「・・・何がです?」
「君自身の想いにさ!求めるあまり溺れ死ぬなんて、どこにだってある話だろう?だから今すぐ手を引くべきだ」
「・・・静雄さんから離れろと言いたいんですね」
「だーいすきな田中太郎さんが甘楽以外のやつのために苦しむ姿を見たくないんですぅ。だからー、田中太郎さんは甘楽のものになるべきなんですよぉ?」
最後の竹串がパックの上に投げられる。
一瞬その串で刺されるかも、と覚悟した臨也だったが肩透かしに終わった。
帝人としては臨也の気持ちなんかに構っていられない。それにどこまでが本気かもわからない。
「すみませんが、僕の気持ちは僕が決めます。あと、静雄さんの件がなくても僕はあなたを選びませんよ」
「ひっどいなぁ俺がこんなに君を愛してあげてるのに。ははっ、ま、略奪愛も乙なものだよねぇ。シズちゃんが君に告白できればだけど!」
「・・・・・・静雄さんは、惚れ薬でおかしくなってた僕を手助けしてくれてただけです。あの人の親切心を変な風に捉えないでください」
焼き鳥のパックを捨てに立ち上がった帝人へ、静かな声がかけられた。
「君はシズちゃんが好きなのに?」
下からじぃっと見上げてくる臨也の視線の強さに、帝人は顔を逸らした。
臨也はわかって言っているのだ。
疑問形で問いかけているが、もう知っている。
解毒剤を飲んだその時から、自分のことは自分が一番よくわかっていた。
惚れ薬によって影響を受けていた時のような強い、強すぎるほどの感情ではない。
(あの時は静雄さんのためなら死ねる、とか思ってた。だけど今は・・・)
静雄の側にいたい、支えになりたい、幸せになってほしい。
解毒剤によって惚れ薬の効果が切れたあとも、帝人からその想いだけは抜けなかった。
静雄のアプローチをかけていたときの記憶はあるものだから、静雄がどれほど頑張って自分に対応してくれていたかを知っている。
男に告白されて付きまとわれて、大変な思いをしていたのをわかっている。
アイマスクを取ってしまった罪悪感によって自分を構っていてくれていたのを知っている。けれど、
(愛されたいと願う自分が、あの時も、今もいる――)
静雄に対して申し訳ないと思う気持ちと、振り払わないでいてくれた優しさに、帝人の心は傾いてしまった。
静雄にとっては最悪な方向だ――と帝人の気持ちはさらに沈む。
惚れ薬によって大変な目にあって、それでも解毒剤があるから静雄も頑張れたのだ。
だというのに、今度の帝人の想いには期限がない。
帝人にとって、少なくとも嫌われないようにするためには、自分の気持ちを隠し通すより他に道はなかった。
悲しそうに眉を寄せる帝人を、臨也は薄笑いを浮かべながら見つめる。
その視線に気づき、帝人は拗ねた表情で言い訳がましく呟いた。
「・・・惚れ薬、まだ効いてるんじゃないですか」
「その言い訳、可愛いけどシズちゃんにしないでよ。あとその顔反則」
「うるさい死ね」
「君は本当に俺に容赦ないね!?」
(あーあ、ホントに決定打だったなぁ・・・)
壁に背を預けたまま臨也は心の中でため息をついた。
なぜよりにもよって気にいっている人間と、一番気に入らない人間が想いあう様を見なければいけないのか・・・
(まぁ原因は新羅だよね。あいつがあんなの作って帝人君に飲ませなきゃ良かったんだから。むしろ俺の前で帝人君に飲ませればよかったのに)
このまま怪我の手当と復讐を兼ねて、重い体を引きずりながら臨也は新羅の家へと向かった。