それが「恋」だと、
ふと、声をかけられて我に帰った。臨也は不思議そうな顔をする帝人に、ああ、ごめんと軽く謝罪を返し、暑いね、と意味のない言葉をつぶやいた。いい加減、もう、限界に近いのかもしれない。
「君に見せたいものがあるんだよね、実は」
「え?」
「帝人君に、是非見てもらいたいものが・・・。ねえ、俺の家に来てよ」
ファミレスに行くよりそのほうがずっと有意義だよ、と付け足せば、炎天下の路上で、帝人は思案するように立ち止まった。
その目がまっすぐに、臨也を見据える。
帝人は帝人で、色々と考えているのだ。この折原臨也という男が孕む危険性についてと、それから、どうして彼が自分に対してこれほど優しく接するのかという理由。さらには、彼がどうして帝人に固執するのかという、その理由を。
好意を持たれている?でも、どうして。そんなきっかけなんて何もなかった。
正臣は決して近づくなと、彼は歪んでいるとそういう。
帝人は親友の言葉を信じる。そうすると臨也は歪んでいる男だ。そんな男の家へとのこのこ付いていくのは危険ではないのか。
しかし、危険と言っても、何が危険なのだろう。
ジリジリと照りつける太陽が、帝人の黒髪を焼くようだ。思考回路が上手く通じ合わない。では、帝人個人の感想としてはどうなのだろう。帝人は自分に問いかける。この男を信用すべきか、否か。
「えっと、」
帝人は臨也を何故か、時々かわいそうな子供だと思うことがある。
その表情が、帝人にすがっているように見える時が、ある。そんなはずはないと思うのに、それでも。
だから、個人的な、全くもって個人的な心情でいうならば、帝人は臨也を信じたかった。何か放っておけないような気が、していた。でも。
「正臣が、」
「・・・黙って」
正臣が臨也さんにはあまり関わるなっていったから。
そう告げようとした言葉は、しかし、鋭い言葉と突如押し付けられた手のひらによって遮断された。
「っ!?」
唇に触れた手のひらは、この日差しの中だというのに酷く冷たい。そしてひたりと帝人を見据えた臨也の目が、冴え冴えと鋭さを増す。
「・・・別に君が何を考えようと、干渉はしないつもりでいたけど」
声が、だいぶ低い。
臨也もそれを自覚していた。
でも押えきれない激情がある。濁流が押し寄せるように臨也の中を駆け巡る、暗い感情がある。泣きたい、と臨也は思う。彼の前でみっともなく声を上げて泣いてやりたい、そうすれば彼はもう少し臨也に対して、優しくなるんじゃないかなんて、考える。
「俺の前で他の男の名前を出すのは許せない」
歯を食いしばって告げた言葉に、帝人が目を見開いた。どういう意味なのか分からないと言いたげな目が、臨也を見上げる。
吐き出された息が臨也の手をくすぐる。ぞくり、と背筋が震えた。
「臨也、さん?」
慌てて手を離すとすぐ、こわごわとした声が臨也を呼ぶ。その揺れる声に、確固たる愛情がにじむその日を、ずっと乞い願っているのに。
ぎりりと唇を噛む臨也に、焦ったような帝人の声が問いかける。
「あの、どうしたんですか、臨也さん?」
「・・・どうって?」
「なんで、そんな・・・」
帝人が困ったように手を伸ばす。白い指先が、そっと臨也の目元に触れた。
「泣きそうな、顔してる」
言われて臨也は、一瞬虚を突かれたような気になったが、すぐに呼吸をして気持ちを落ち着けた。それから取ってつけたようにおどけた顔を貼り付ける。
「俺は泣き虫なんだよ」
誰が聞いても冗談だと分かるように言えば、一瞬怪訝そうな顔をした帝人は、そうですか、と小さくつぶやいた。納得をしているのかいないのか、微妙な顔だ。
「ねえ帝人君。俺は君に今まですごく優しく接してきたつもりだよ」
ああもういいんじゃないか。仕方が無いんじゃないか。臨也は自分に問う。
折原臨也にしては、最大限の努力と譲歩をしてきた。そうだろう?と。
「君の不利益になるようなことは何もしていないし、君に対して不誠実な態度も取らなかったはずだ。違うかい?」
「え、あ、はい・・・。個人的には、臨也さんはいい人だと、思ってます」
いい人!
帝人が吐き出した単語に、それこそ苦虫を噛み潰したような顔をして、臨也は心のなかで叫んだ。いい人だなんて!そんなの、一番望んでないポジションじゃないか!毒にも薬にも何にもならない!
「・・・その俺が君に見せたいものがあるから家においでと誘って、君がなぜ嫌だと言うのがわからない。理不尽で不公平だ、と思うんだけど」
努めて無表情を装って言う臨也に、帝人は言葉に詰まって少しうつむく。
「だからもう、いい加減にさあ」
臨也は臨也個人として、常に帝人に向き合っているのに。
帝人は紀田正臣を通してしか臨也を見ない。それが酷く臨也の心をいらだたせる。
「仕方ないと思うんだよね」
言い切った臨也に、帝人が目を瞬かせる。
「仕方ない・・・?」
「何が、とでも言いたそうだね」
事実そう言ったいのだろう帝人に微笑んで、臨也は距離を詰めた。ほんの少ししか開いていなかった距離を、一瞬で埋める。
「だからさ、俺がこれほど譲歩しているのに、わからず屋の帝人君が悪いってことだよ。あんまりこういう手は使いたくなかったんだけど、それじゃあしょうがないじゃない。だから、恨みっこなしだよ帝人君」
真正面から顔を覗き込んだ帝人の顔は、やっぱり暑さのせいかほんのり赤く、その頬は汗でてらてらと光っている。ごめんね、と小さく告げて繰り出した手刀に、「え、」と、心底不思議そうな声だけを残して帝人が崩れ落ちるのを、熱いアスファルトに触れる前に掬い上げて、臨也はゆっくりともう一度繰り返した。
「恨みっこなしだからね、帝人君」
抱えた少年の重さと体温。
臨也がずっとずっと、7歳の最初の時から求め続けてきた「恋」。
「・・・嫌いになったら、嫌だよ?」
なにより一番それが怖くて、やっぱり声を上げて子供みたいに泣いてしまいそうで。
臨也は強く、強く腕の中の少年を抱きしめた。
鼻をうずめた首筋から、太陽の匂いが鼻腔をくすぐる。触れた皮膚と皮膚との間に熱が生まれ、汗が溢れる。ああ、ああ、これだ、これを、ずっと。
ずっとずっと、探していた。
臨也の唯一無二。