それが「恋」だと、
そうして、ガラス容器のふたを開けて、その中から首を取り出し、臨也は楽しそうにその首をなでる。ざばり、と水が動く音が静かな部屋に響いた。
「い、ざやさ・・・っ、それ、は・・・」
震えているせいで、上手くしゃべることができない。帝人が辛うじて問えば、臨也はうっとりと、その整った顔立ちに微笑を浮かべた。
「昔、7歳の少年を虜にした首だよ」
臨也が、何を言っているのか理解出来ない。
帝人はただその臨也を、臨也が腕に抱く首を、凝視する。
わからない、それは、何。
「教えてあげよう、首に恋をした男の話だ」
臨也の声が帝人の鼓膜を揺らす。その声に潜む、ぞっとするほど真摯な響きに動けなくなる。
恋とか、虜とか。
どういう意味だ。どういう。
「7歳の夏だ。祖父の書斎でこの首に出会った少年は、首に恋をして、その心の全てを捧げたのさ。その首に出会うまで、自分とそれ以外だけで形成されていた世界を、首は鮮やかに塗り替えた。この首が、これが、男の唯一無二になった!」
舞台にでも立っているかのような大仰な動作で、臨也が言う。
「ねえ、ここまで言ったら分かるでしょう?」
その足が一歩、一歩、帝人を追い詰めるように近づいて。身をすくませる帝人が、震える腕を一層強く握り締めるのと同時に、ずいっと顔を近づけられた。
「それが、俺だ」
囁きは酷く透明に帝人の鼓膜を揺らして。小さく笑って再び距離をとった臨也がずいっとその首を帝人に向かって突き出す。
「ほら、もっとよく見たらいいよ。君の大好きな非日常だろ?それとも・・・首が怖いの?」
「っ・・・!」
「変なの。君の顔なのにねえ?」
けたけたと笑って、臨也が帝人の顔をした首を自分の首の高さまで持ち上げ、その頬に自分の頬を合わせる。まるで自分と臨也が寄り添っているようで、しかしそれは帝人ではなくて。混乱が帝人の脳裏に渦巻く。状況についていけず、体から力が抜ける。壁に沿ってずるずると座り込む帝人を見下ろしながら、臨也が小さく息を吐く。
「ねえ、帝人君さあ」
帝人の顔にそっくりな首にゆっくりと唇を寄せて。
その唇に音を立ててキスをする。
瞬間、帝人はあまりの光景にビクリと体を揺らして、息を飲んだ。
「意味、分かるよね?ねえ、君は賢いもんね?そうだよ、この首は俺の「恋」なの。だから、この首と同じ顔をしている帝人君もそう」
「な・・・にを、言って・・・」
精一杯で搾り出した声が震える。体も震えている。どうしようも無いくらい、目の前の光景が信じられない。
かたかたと歯を鳴らして、それでも否定の言葉を返そうと口を開いた帝人の言葉を遮るように、臨也は鋭く言葉を投げた。
「だから、君は俺のものだ、って言ってる」
一切の感情を削ぎ落したかのような声は冷たく帝人に突き刺さり、もう一度首にキスを落とした臨也が大事そうにそれをデスクの上に置いてから、帝人の前に歩み寄ってきて膝を付いた。
「っ!」
覆いかぶさるように壁に手を付いた臨也が、帝人に顔を寄せる。数センチの距離で見つめ合ったその目が、激情に揺らめく、そのゆらぎを凝視する。
息が、できない。
どういう事だか理解出来ない。
「君は俺の運命の人なんだよ。でも君はいくら待っても全然俺自信を見ようとしない。そんなのは不公平じゃないか、俺ばっかり君に囚われてさ」
頬に、臨也の手が触れる。
大げさに体を震わせた帝人に、傷付いたような目をして、臨也がさらに近づく。
「だから俺も、君を囚えることにしたんだ」
言うやいなや。
「・・・っ!?」
ぐいと顎を持ち上げられ、すぐさま唇が塞がれた。
抵抗などできるような精神状態ではなくて、帝人はそのままその唇をただ受け入れる。まっすぐに、縋るように、泣き出す寸前の子供みたいに見つめてくる瞳から逃げたくて、かろうじてまぶたを閉じた。唇を割って、臨也の舌が帝人の歯を軽く舐める。それに驚いて口を開けば、待っていましたとばかりに食いつかれて、もう一度体がびくりと跳ねる。
「んっ、ふ、ぁ・・・っ、」
なに、これ。
わからない、理解出来ない、どうして、どうしてどうしてどうして!
自分の口の中に、自分のものではない舌が動いている。
怖い。
そう思って初めて抵抗を思いつき、臨也の両肩に手をおいて必死で突っ張ろうとしたけれど、うまく力が込められなくて。
「ふ、っ・・・んっ」
脳神経を焼くような唾液の音が、脳裏に響いて響いて消えない。息が苦しい。怖い。なんでこんなことを。恋って、虜って、本当に?
臨也が、あの折原臨也が、こんな一介の高校生に恋をしているって?
運命の人だって?
なんでそんなことに!
帝人は急激に薄れていく意識の中、力が抜けて床に落ちた自分の手が、絨毯に触れる、その感触だけを最後まで引きずっていた。
視界も、思考も。
徐々に徐々に、許容範囲オーバーのエラーに侵食されて。
そして、ブラックアウト。