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殺意との距離を測ろう

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「なんですか、それ」帝人は笑いながら臨也の背中に両手を回す。壁に背が触れているせいで肩甲骨の辺りに縋るように指を食い込ませることしか出来なかったが、臨也のコートを逃さないようにしっかりと抱いた。

「臨也さんが、僕のものだったら……良かったのに」

 暫くして、帝人は呟く。
 鼻孔を擽る臭いごと、全部、臨也が帝人のものなら良かった。そうすれば、帝人はこんな風に臨也にとって反抗的な態度を取ることも無かっただろうし、そもそも帝人は涙を流すようなこともなかったのだ。

「俺は君のものになんか、ならないよ」
「……知ってますよ。わざわざこんな時にまで言わなくたって、嘘でも“君のものだよ”って他の人には言ってる癖に」
「だってそれ、嘘だし」
「僕も、嘘だって喜ぶタイプです」
「……嘘で喜ぶ帝人君は楽しくない」

「なんですか、それ」帝人は少し前と同じ言葉を吐いた。溜息とも呼吸ともつかない調子で口にした言葉は少し震えていたが、帝人の涙は今更隠せない。帝人は溢れる涙を押し付けるようにして臨也に縋り付く。顔面を臨也の首もとに擦りつけると、鼻頭が少し痛かった。

「鼻水拭かないでね」
「……似たような服、沢山持ってるじゃないですか」
「あー…やっぱ君、殺したい」
「死んでやる気は、ないんですけどね」
「あっそう」

 臨也の手の届く距離にナイフはある。ナイフの存在に臨也も気付いている。
 帝人の背を撫でる臨也の手が離れれば、その時が帝人の命に関わる時なのかもしれない。帝人は臨也の掌が帝人の背中にあることを意識しながら考えた。

「臨也さん」
「なに」
「僕が貴方も仲間にしようとしたら、どうします?」
「全身全霊で君を殺す」
「でも僕がこのまま化け物になっても殺すんですよね?」
「そこのナイフで化け物になる前に殺す」
「じゃあ僕、どうやったら生き残れるんですか?」

 臨也は少し考えて、「もう一度人間になったら?」と苦笑した。あり得ないことだと分かっていて言ったのだろう。臨也の手が帝人の背から離れる。

「僕がもう一度人間になったら、殺さないんですよね?」
「出来るならね」

「出来るの?」まさか、出来ないでしょう。臨也の声は皮肉入りだ。
 帝人は瞳を閉じる。ナイフは、どうなった。臨也の手は今、どこにある。空気の振動を帝人は研ぎ澄ませた神経で必死に追った。

「ナイフ、今手に取りましたね。……一つだけ教えて下さい」
「……なに?」

 帝人はいよいよ、見えない位置で帝人を狙うナイフを意識する。背筋は先程からもうずっとぞわぞわと寒気に似た恐怖感を訴えていた。

「どうして僕に拘るんですか。どうして、殺そうなんてするんですか?どうして……放っておいてくれないんですか?」
「……俺のものだと思ってたものが、他の奴のものになったからだよ」
「それは、臨也さんの駒なら誰でも?」
「はは!」

 臨也は笑った。「ばっかだなぁ!」と大仰に言って笑う。揺れる臨也の身体に合わせ、密接に触れている帝人も小刻みに揺れる。臨也の体温や揺れる身体の震動も、全てが帝人は好きだった。だが、その感想は今この時に随分と不釣り合いなものなのかもしれない。

「俺はもう答えを口にしたつもりだ。それでも君は…」
「言葉で、知りたいからです」
「……」

「今更言っても意味がないよ」臨也は瞬間的にそう答えそうになった。けれど、これが数秒後には何の遣り取りも出来ない肉の塊になってしまう少年の、最期の疑問なのだとしたら、答えてやらないのは可哀想だと思う。可哀想だと思えるのも、帝人だからだったのかもしれないが。

「君だけは、俺のものであるべきだった。君を好きだと言ったって、全ての人間を愛してる俺には他にこれ以上の告白のしようがないけどね、つまり君だけは俺以外のものになることが許せないくらい好きだったってことだ。さて、それで、……分かったらさ、さっさと死んでくれない?」

 臨也は声を幾分が低くして、手に握るナイフに力を込めた。振り下ろせば、それで終わりだ。帝人はそれを受け入れるだけで良い。

「それを聞いて嬉しいから、嫌です」しかし帝人は否定した。

「そこは分かりましたって言うところなんじゃないの?こまったなぁ。俺としては君に納得した上で健やかに逝って欲しいんだけど」

 妄執が臨也の殺意の邪魔をする。このまま完全に殺せなくなる前に、帝人は死を選ぶべきなのだ。少なくとも、臨也にとってはそうだった。
 早く、早く。納得を、して、死んで。臨也がそう願えば願う程、強く願わなければ実行に移せない行為なのだという事実が臨也の前に壁となってそびえ立つのだ。それを臨也は酷く惨めな心地で受け止め続ける。

「だから、嫌です。どうせイかせるなら、抱いて下さい。……いつもみたいに」
「はぁ?冗談。なんで俺が化け物抱かなきゃならないの。そーやって命乞いしたって……」

 何故まだ抗うのか。臨也の惨めさが怒りに変わってまっとうな理由からではなく殺意を覚える前に帝人が折れてしまえばいいのに。臨也が半分自暴自棄に陥りそうだと思っている中「僕、人間止めてませんから」という言葉が臨也の耳に触れた。

「…………は?」

 臨也はたっぷり数秒を置いて、顔を顰めて帝人を凝視する。まさしく凝視して、帝人を見つめていた。

「いや、アンプルは貰ってるんです。これ飲んだら吸血鬼になれるっていうものを。でも、なっても中途半端な吸血鬼なのかと思うとどうにもなる気になれなくてどうしようかなって……」
「……君、人間なの?」
「ナイフ刺されたら本当に死ぬんで止めて下さい。普通に出血死しますから。洒落になりませんから。僕、強がってますけど結構……本当に怖いんです今。命の危機に直面してるんで」

 その瞬間の臨也の表情を帝人は一生忘れられないと思った。一瞬にして安堵し、不満を露わにし、怒りを覚え、嫌悪を抱き、赤面し、青くなり、最終的には得心していない不満顔に戻ってしまった。
 とす、と先程聞いたばかりの軽い音がしたことから、ナイフを手放したことは帝人にも分かる。命は繋いだのか、と帝人は明らかに安堵した。

「嘘つき」
「すみませんでした」
「嘘つきな帝人君なんか嫌いだよ」
「すみませんでした。ごめんなさい。……嫌いになりました?やっぱり殺しますか?」
「……殺してやりたいよ」

「殺してやりたい」と言う。けれど「殺す」とは言っていない。帝人は泣きそうな顔で笑った。その表情で帝人が今の今までずっと強がっていたのだということが臨也にも分かる。臨也は口には出さなかったが、やはり帝人を「狡い」と思った。こんな状況でそんな表情を浮かべられては糾弾もしきれない。あまり責めれば、今度こそ人外にでもなりかねないと思った。アンプルを入手してきたということは、少なからず人外になる可能性も視野に入れていたということなのだから、帝人の現状は本当の意味で紙一重だったのかもしれない。

「取り敢えず、……今回は君をヤリ殺すことにするよ」
「はは……死にたくはないので、あまり酷くはしないで下さいね」

 ようやく口にした臨也の強がりは少しだけ掠れた声だった。そして、帝人も。
作品名:殺意との距離を測ろう 作家名:tnk