I Love Booooo!
「・・・・ブタ・・・・・・・」
根城にしている民家の垣根から出てきたところに、アーサーが立っていました。彼は黒いスーツを着て、黒い鞄を提げていました。ごく普通の、二十代前半の青年です。ただ、彼が異常だったのはその目の色でした。
ブタフレッドを見ると、人間は決まって老いも若きも「ブタだ!」とか「ブーちゃん!」などと言ってブタフレッドを指さします。そうこうしているうちに、ブタフレッドはまんまと逃げおおせるのですが、この日ばかりは勝手が違いました。アーサーは、立ちすくんだまま声を上げるでもなく驚くでもなく、じっとブタフレッドを見ていたからです。
どうしよう、この人間は、愚図でのろまな今まで会った連中とはまるで違うんだぞ! どうしよう!
ブタフレッドは、彼とにらみ合ったまま肝を冷やしました。ブタフレッドは豚一倍賢いブタでしたから、飼い主のいない野良犬や猫がどうなるか、よく知っていました。今日こそ保健所送りになるのかもしれない。そう覚悟したとき、アーサーはブタフレッドを軽々と掴みあげて、
「・・・・ミニブタでも食えるのかな」
ちょっと待ってくれ! 俺はブタだけど、そんじょそこらの養豚場のブタじゃない! 食べるなんてとんでもない、俺は誇り高きミニブタなんだぞ!
ブタフレッドは声を限りに鳴き叫びました。
これだから人間って奴は信用できないんだ。前の主人だってそうだった。やさしそうな人だったのに、ある日突然俺を捨ててしまったんだ!
悔しくて、悲しくて、瞳から涙がこぼれそうでした。
ですが、アーサーは冗談だよ、と言って鼻先に噛みつくようなキスをくれました。
「お前、痩せてるもんなあ。あーあ、あばら浮いてら・・・お前も苦労してきたんだろ、ブタ野郎? 俺と一緒のお前をなんで食べたりするもんか!」
青年は、くしゃっと泣きながら笑いました。目の前に突きつけられた顔が見たことのない不思議な顔をしていたので、ブタフレッドはいったいどんな反応を返せばよいものか迷って、それから様子を伺うようにブヒと一言鳴きました。
アーサーは、抱き上げたブタフレッドを狭い彼のアパートに連れて帰りました。アーサーは部屋に入ると、黒いスーツを脱いで部屋着に着替えます。部屋をうろうろしていると、テキストやレジュメの積まれたデスクがあり、書きかけの書類も散乱していました。どうやら彼は学生のようです。
「おーい、ブタ!」
むっとして振り返ると、アーサーがおいでおいでをしています。体はちいさくとも心はおおきい、気宇壮大なブタフレッドのことでしょうか。そんな呼ばれ方をして腹を立てない方がおかしいでしょう。ブタフレッドがぷいとそっぽを向くと、彼は「素直じゃねえなあ」と太い眉をしかめました。
「おら、メシだメシ」
縁の欠けた皿にキャベツの芯が載っていました。それは冷蔵庫から出したばかりの新鮮なもので、芯と言えどブタフレッドにとってはとんでもないごちそうでした。
ブヒー!
ブタフレッドはキャベツの芯めがけてまっしぐらに、文字通り猪突猛進しました。カラスと一緒に残飯を漁る生活をしていたブタフレッドにとって、皿に載ったご飯などどれくらい久しぶりものだったかわかりません。
「そうか、美味いか」
すっかり平らげて、ブタフレッドは青年が満足げな顔をしていることに気づきました。前の飼い主も、ブタフレッドを飼い始めた当初はこんな顔をしていました。こんなふうにやさしい顔をしていたのでした。
青年は、自分のためにキャベツの葉の部分を刻んで、レンジでチンすると塩を振って食べ始めました。大食らいのブタフレッドは彼にもらった分だけでは足りずに、椅子にかける彼の膝に前足をかけておねだりをしました。
もっとちょうだいよ! これっぽちじゃ全然足りないんだぞ!
もしかするとこの人は前の飼い主よりもけちなのかもしれない。ブタフレッドは思いました。前の飼い主は、ブタフレッドを捨てましたが、飼っている間はいつだってブタフレッドに十分なご飯をくれたからです。
「おい、そんな不服そうな顔すんなよ・・・・・・これは俺の晩飯なんだから」
彼は、不本意そうに、すこし恥ずかしげに言いました。最後の言葉は、アーサーはきっと知られたくなかったでしょうが、ブタフレッドの耳は彼の言葉を聞き逃がしませんでした。人間なのに、彼はキャベツしか食べるものがないのでしょうか。
「今は、就活中で金がねえんだよ」
アーサーは、それからぽつぽつと身の上を話し始めました。彼は大学生で、学校に通いながらリクルートスーツを身にまとい、就職活動をしているのです。当然、その間はアルバイトも満足にできません。親の反対を押し切って大学に入ったアーサーは、金の無心をすることもできないのだと言いました。思い切って頼めばいいのに。そうすればこんなみじめなキャベツ生活とはおさらばできるのに。ブタフレッドがそう考えるのを見越したように、アーサーはそれは俺のプライドが許さねえ、と虚空をにらんだのでした。
ブタフレッドは、この人はけちなのかもしれないなどと思った先ほどの自分が恥ずかしくてなりませんでした。この人は自分が食べるものも満足にないのに、同じ境遇のブタフレッドを哀れんで家に連れ帰ってくれたのです。
それからアーサーは、出ていけとは言いませんでした。キャベツの芯や時々人参の切れ端が混じった、アーサーとほぼ同じ内容のご飯をくれました。自分が食べるものにも困っているのに、アーサーはブタフレッドを疎んじたり追い出したりしませんでした。
ブタフレッドは、アーサーに一生ついていこうと思いました。ほかの誰がもっといいごちそうをくれると言っても、絶対についていくことはないでしょう。その人が、どれほどお金持ちでも、どれほどブタフレッドにごちそうをくれたとしても、ブタフレッドはきっと信用できないでしょう。ブタフレッドは、一度そうやって前の主人に裏切られて捨てられているからです。
でも、アーサーはどん底の貧乏学生です。この不景気なご時世、就職先をみつけることがどれほど困難か、ミニブタのブタフレッドだって知っています。アーサーは心身ともにくたびれ、貯金は底をつき、赤貧洗うが如き毎日を送っています。にもかかわらず、アーサーはブタフレッドを拾ってくれました。きっとアーサーなら、どれほどお金持ちになっても、どれほど立派になっても、ブタフレッドを大事にしてくれるだろうという確信めいた予感がありました。
アーサーは、ブタフレッドの頭を撫で、そうだ、お前にも名前が必要だな、と言いました。
彼は、デスクに開きっぱなしになっていた、ローマ字のびっしり書かれた本をちらりと見やって、
「アルフレッドなんて名前はミニブタには上等すぎるな・・・・そうだ、ブタフレッドにしよう。今日からお前ブタフレッドだ。いいな、ブタフレッド」
開きっぱなしになっていた本はどうやら西洋史の本で、アルフレッド大王に関するページが開いていたようです。ブタフレッドが抗議するのも聞かずに、そうかそうか、嬉しいか、なんて言ってアーサーは満足げに、いやがるブタフレッドの頭を撫で続けたのでした。
作品名:I Love Booooo! 作家名:あさめしのり