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21:35(TOA/ガイジェ)

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それが、正式な口実つきで実行に移せることになっただけの事――――そう思うことにして、俺は少将の感謝の言葉を背に、本部の奥へと歩き出した。

期待に満ちた少将の視線を背中にビシバシ感じたけど、俺には少将が期待している通りの働きをする自信はなかった。





■                    ■





兵士の詰め所や会議室のあるフロアを通り過ぎた更に奥にある、ジェイドの執務室。
騒がしい軍本部の中でも奥のほうにあるせいか、人通りは少なく、地下のタルタロスのドッグのような数の見張りもいないので、人の気配もそう多くはない。
単にここが執務室が集中するエリアであるせいなのだろうか、軍本部の中でもこの辺はやはり、特に静かだった。
何だか、旦那が好みそうな静けさだ。
そんなことを考えながら、先日と同じ見張りが立つジェイドの執務室へと視線を向ける。

「あ――――」

「えーと…こんにちは」

あっちも、俺がこの間旦那から締め出しを食らった相手だと分かったのだろう、一瞬呆けたような顔をしたかと思うと、気まずそうに苦笑を浮かべる。
と、次の瞬間、彼はちら、と扉を見やったかと思うと、小走りにそこから離れて俺の方へとやって来た。

「ガイさん、ですよね」

「あ、ああ」

「少将や陛下からお話は伺っております。あの――――」

「分かってるさ。様子を見て来い、だろう?」

「ええ…そうなんですけど……先ほどからペンの音がしなくて」

「……………居眠りか?」

心配げな(恐らくはジェイドの部下の一人なのだろう)兵士の言葉に、俺は思わず、そうであってくれ、という願いもこめて、小さく尋ねる。
だが俺の願いも虚しく、兵士は逡巡の後、はっきりと首を横に振った。

「いえ。大佐は仕事の最中に机で眠ってしまわれるような事はありません。――――眠る際は必ず私どもに声をかけられます、し……もしや倒れているのではと心配で」

「!なら早くッ」

「ですが、『誰も部屋に入れるな』…と、先ほど言付かったばかりでして」

困ったようにそう答えて、彼は殊更心配そうに、そっと扉の方を見やる。
そう指示を受けたのはさほど前の事ではないのだろう、そうした師団長の命令があるから、自分は入るに入れない。
そういう事らしい。

「…じゃあ俺も通すな、と?」

「ええ、そう言いつかっております。『特に、ガイには注意してくださいね』と…」

まさか、邪魔立てする気か…?
俺は思わず身構えたが、しかしそうではない、とばかりに兵はぱっと顔を上げ、小声だがしっかりとした声で、それを否定した。

「邪魔をするつもりはありません。こちらも大佐の指示の後で、陛下より『ガイラルディアを通すように』と仰せ付かりましたので」

にっこりと笑ってそう言うと、「ですから、さぁどうぞ」とばかりに道を譲る。
こうした食えない所―――長口上の上道を明ける、という回りくどさ―――なんかが、ジェイドの部下たる所以なのだろうか。
なんだか妙に疲れた気分になりながら、「ありがとう」と短く言って、俺は執務室の扉の前へと立った。
成る程、見張りも心配になる訳だ。
以前ここへ来た時にこの位置からでも聞こえていたペンの走る音と紙が盛大に移動する音(おそらく紙を一枚一枚ではなく、数百枚単位で動かしていたのだろう)とが、今では全く聞こえなくなっている。
これは、力尽きてそのまま寝ているか、あるいは過労か何かでぶっ倒れているか。
平和な選択肢が思いつかないあたりが旦那らしいし、ちょっとどころじゃなく笑えない所だ。
どちらかといえば前者の方が平和だろうが――――そうだとしても、医者に診せる必要があるだろう。
というか、寝ているなんて選択肢が現れる事自体俺にとっては信じられない事だ。
大地が崩落しようと眉一つ動かさなかった男だ―――仕事が詰まっていたからといって、ぱったりと寝入ってしまうような…そんな人間味があるとは思えない。
失礼なことを平然と考えながら、俺は一応、一声かけてからノックをする。

「だんなー、入りますよ?」

もう一度。
その一声で、わずかに身じろぐような気配がしたが、しかしやはり、大きな反応はない。
そう判断すると、俺は後ろの見張りの視線を感じつつも、ゆっくり扉を開いた。

「!っ」

…と、そこには、見張り兵の指摘通り、ペンを持っていない旦那の姿があった。
しかし、その代わり額に手を当てたまま、ぴくりとも動かない。
倒れている訳でも、寝ている訳でもなかった。
その事実にほっとしながらも、しかしペンを持っていないという状態それ事態が異常だと感じ、俺は眉を顰める。
…というか、どう見ても異様だ。
仕事が終わって一息ついている、という風景には、とてもじゃないが見えない。
その証拠に、旦那の執務机の上には、山のような量の書類が載っている。
そして、旦那の目の前に置かれている報告書のようなものも、書きかけのようだ。
おかしい。
明らかにおかしい。
いっそ怖くなってきて、俺はそのままその場から立ち去りたくなった。
…しかし、ここで逃げてしまっては、少将の必死の願いも陛下の心配も、全部投げ出したことになってしまう。
そんなことを脳裏に思って、俺はなんとか旦那へと一歩にじり寄った。

「…えーと…なに、してるんだ」

若干震えてしまった声は仕方がない。
驚いているからだと思ってもらおう、と開き直り、俺はとりあえず旦那にその妙な状態の説明を求めた。
すると、顔は動くのだろう…ぎぎぃ、と片目だけが見えるくらいこちらを見ると、ジェイドの旦那はその瞳だけでにぃ、と器用に笑ってみせた。

「……そんな事はどうでも宜しい」

「………………いや、どうでも宜しくないから聞いてるんだが」

「それよりも……っく」

言いかけた途端、ジェイドの顔が歪む。
その僅かに現れた表情は――――苦悶。
瞬時にそれを読み取った俺は、顔色を変えて旦那へと駆け寄る。
体勢の面白さはともかくとして、ジェイドがどういう状態なのかを探らきゃあならない。
…何かがあって、ジェイドは動けないのだろう。
逃げ出そうとしていた自分を叱咤しながら、俺は旦那の次の言葉を待った。

「………を」

「うん?」

「……水を」

「飲みたいのか?」

「……そこの、なかに」

不可解な指示だった。
てっきり、水を飲みたい、だとかそういう言葉だと思ったのに、一体何を――――と視線の先を見やって。
そして俺は、固まった。

「………それからそこの三番目の引き出しから豆を。ミルはすぐ隣の棚に」

「………薬とかじゃないのかよ………」

ジェイドの旦那が水を入れるように、と指示したのは――――なんとまぁ、コーヒーを淹れる器具、だった。
薬を飲むにしても、コーヒーなんて飲み物は適しているとはいえない。
しかし、そう指摘したくとも、旦那がそう指示するのだから、従わない訳にもいかない。

「……わかったよ」

きつい視線が浴びせられるのを感じて、俺は観念したようにそう言うと、指示された通りの引き出しを開けて豆を取り出し、隣の棚からミルを出した。
作品名:21:35(TOA/ガイジェ) 作家名:日高夏