彼らと取り巻く彼らの思惑
粉が舞っていたが、それはいつものことである。ちょっとした爆発はお菓子作りのスパイスである。スコーンが爆発するんだ、などという質問を投げかけられたときにはそう答えてひとりからは非常な感謝を、それ以外の人間からは遺憾ながら非常な抗議を受け取ったローデリヒは、粉雪の如く舞落ちる小麦粉と火花で美しい惨状と化したキッチンからゆうゆうと優雅な足取りでダイニングへと移動した。右手にはザッハトルテ、左手にはケーキナイフと数枚の皿。コーヒーセットは既にダイニングに出してある。あとは切り分けて、家主兄弟の帰宅を粛々と待つだけである。
「わたしだって、ただの居候ではないんですから」
家事くらいできます、とぷりぷりと怒りながらサイフォンに点火をする。その間にザラメをコーヒーカップに入れる。甘いウィンナーコーヒーにザッハトルテ。完璧な布陣ですね、とローデリヒは北叟笑む。背後のキッチンの惨状など今の彼の目には入っていない。常ならば、どうして爆発するのでしょうね、程度には気にするのだけれど、それすらもない。
ローデリヒは、腹がたっていたのだ。訳も無く、苛々していたのだ。あのメールときたら! トマトケーキだなんて! そんなもの認めません。絶対に。まああのフランシスが作るものなのだから不味いことはないのでしょうけど、絶対に認めません。ぶつぶつと呟きながらローデリヒはふつふつと沸騰するサイフォンを眺める。そろそろロートをセットしたほうが、とロートに手を延そうとした、瞬間。
響く、ピアノソナタ第2番。ローデリヒはハッとして慌てて携帯を開いた。新着メールが一通。差出人は、予想通りの名前。彼からはよく連絡がくる。メールが来れば返すし、電話がくれば取りもする。けれどこちらから連絡をすることは一切ない。そんな間柄の人間。かつてはそうではなかったけれど、そんな間柄になった、けれど決して嫌いになったわけではない相手。アントーニョ・ヘルナンデス・カリエド。ローデリヒは僅かに眉間に皺を寄せた。メールを開く。彼の文章は本人と同じようにのらりくらりとしていて、捉えどころがない。目を通す。ふむ、とローデリヒは首を傾げた
「はしって?」
長いメールの本文を要約すれば、ギルベルトが走って家に帰った。トマトケーキは美味しかった、と写真付き。トマトケーキだなんて邪道です、と呟きながらも、意外にも食欲を唆る造形に流石はフランシスと舌を巻き、次いで走って帰っていったという旨の文章が示す意味に遅ればせながら思い至り、ローデリヒはぽん、と手を叩いた。
「ああ、キッチンですね」
そこではじめてローデリヒはキッチンを振り返り、僅かに眉をしかめた。それからテーブルの上のザッハトルテに目をやる。何かを考えるように首を傾げてザッハトルテを見る。我乍ら見事な造作である。細かい作業は、嫌いではない。凝り性がすぎる、とアントーニョに言われることがあるがそれがどうしたというのだ、ローデリヒの一族は皆基本的に凝り性だ。ギルベルトとルートヴィヒ兄弟だってそうだし、ああ見えてロヴィーノとフェリシアーノだってそうである。大体、彼がぞんざいすぎるのであって…………
などとローデリヒが考えていると、耳元で叫ぶ声が聞こえた。ローデリヒは思わず耳元を抑えた。
「お黙りなさい! このお馬鹿さん!」
「ってぇテメエッ! どっちがお馬鹿さんだよこンの坊ちゃんが! どうすんだよこの惨状!」
「ああ、キッチンですか? 片付ければいいでしょう?」
「…………なぁ坊ちゃん、一応聞いとくがな、だ れ が だ ?」
「作ったのは私ですから片付けるのはあなたがやればいいのではないですか?」
当然でしょう、とばかりに言い切ったローデリヒに、ギルベルトはうをおおおおお、と雄叫びをあげて頭を抱えてしまう。常規を逸したとしか思えない行動にローデリヒは些か心配になった。
「ギルベルト? どうかしたのですか? 何か変なものでも食べたのですか? あなた、また床に拾った飴でも舐めたんではないでしょうね? なんなら病院に――――」
「しっねーよ! ばか!」
「なっ、誰が馬鹿ですか!」
「お前に決まってんだろうが! ああもういい! いいから坊ちゃんはそこで座ってろ! 俺が片付けてくるから!」
「と、当然ですっ!」
強がりを叫んで、ぷい、とローデリヒは横をむいた。
作品名:彼らと取り巻く彼らの思惑 作家名:はな