口説く。
3.ルートがフェリを
動きやすい旅装にバックパックといういでたちで、ルートが訪れたのはフェリの自宅だった。
ふたりで南イタリア周遊旅行をしようという話は、数か月前から決まっていたのだが。
事前に打ち合わせをしておいたにもかかわらず、フェリの準備ができていないのは相変わらずのことで。
「テントは俺が準備したと言っただろう。お前は簡易調理器具担当だ!
寝袋と着替えは各自準備。
できれば水も多めに……こら、寝るんじゃないっ!
パスタはかさばるから現地で買う! ピッケルなんかどこで使う気だ馬鹿者!
面倒でも歩きやすいひも靴を選べと言っておいただろう!
どうなってるんだ、何も準備してないじゃないか!」
追いかけまわす勢いで次々注文をつけるルート。
フェリはぶうぶう文句を垂れ流しているが、それでもいそいそと荷物を詰めなおしている。
「出かける前に疲れちゃったよ~」
窓に施錠しながら、フェリが呟いた。別に文句を言うつもりはなく、ただ思ったことがそのまま口から出てしまっただけだ。
叱られて、それに泣き言を言うのはいつものこと。そのはずだった。
だが。それを耳にしたルートが、ため息をつく。フェリが振り返ると、友人のいつになく暗い表情が目に入る。
「それならいい。お前はここで好きなだけシエスタしていろ」
自分の荷物を担いだルートは、はき捨てるように言うと次の瞬間、足早に玄関に向かっていた。
「え? ちょっと待ってよルッツ! 嫌だよ置いていかないでっ」
走り出したフェリは、玄関前で足を止めたルートのバックパックに、顔面から衝突した。
痛かったが、それより逃げられないようにと必死で彼の背中にしがみつく。
「……お前は、いつまでたっても捨てられた子イヌみたいだな」
「え?」
「しがみつくばかりで、それがどんな意味があるのか考えてたこともないんだろう」
「ルッツ? やっぱり怒ってる?」
ルートは首を振り、「お前はいつもそうだ」と再び呟いた。
肩を揺すって、バックパックを外す。しがみついていたフェリが受け止め損ねてふらつくほど、重い荷物。
「来たくないなら来なくていい。無理に付き合われても、嬉しくない」
「違うよルッツ! 俺、お前と旅行に行くの楽しみにしていたよ」
と言ってから、自分がろくに荷づくりもせず、ルートが来るのを待っていただけなのを思い出した。
「荷づくりができてなかったのはね、ほら。俺いつもルッツに怒られるでしょ? だから最初から一緒にやった方がいいかな~と思ったんだ」
お願い信じて~。と、フェリがいつものように泣きつくと。
「俺の顔色をうかがうような言い方は、やめろ」
低い声には怒りより、もっと苦い悲しみの気持ちが染み出していた。
ルッツ? と、フェリが声をかけるが、彼は頑固に背を向けたまま、何かをこらえるように両拳を握りしめている。
「キスしてほしい、ハグしてほしい、一緒に寝てほしい。お前の望みは可能な限りかなえてきたつもりだ」
振り返ったルートの目が、限りなく暗い。
「俺にも愛情表現を絶え間なくよこしてくれる。だが……」
ルートの右手がフェリに向かう。思わず後ずさったフェリだが、狭い玄関ホールではたちまち背後の壁にぶつかってしまった。
「お前の本心は、どこにある? 俺は、それがいつも不安だったぞ」
ルートは両手を壁につき、フェリを見おろしている。彼の腕の間に挟まれたフェリは、どう答えていいか分からず、ただ友人の目を見つめていた。
「お前の中身は今も子供のままなんだな。迷子のように、不安をもてあましているだけだ。
誰かがそばにいればいいだけで……本気で人を好きになったことなんて、ないんだろう」
「ルッツ」
いつになく多弁な友人の表情を見つめていたフェリは、見たまんまの真実をぽんと口に出してしまう。
「……どうしてそんなに、泣きそうな顔をしているのさ」
フェリには悪気はない。まったくないのだが、ルートの気持ちを逆なでするには十分だった。
「悪いか畜生っ!」
だん、とフェリの顔のすぐそばで壁が鳴る。ルートが拳をたたきこんだ震動で、フェリの頭まで揺れた。
「ご、ごめんなさい。でも俺……」
「謝るな頼むからっ」
再び壁が鳴る。フェリはすでに涙目だが、ルートがどうしてこんなに悲しんでいるのかが、判らない。理解できない。
「俺、好きな人いたことあるよ! それに、ルッツのことも大好きだよ! 嘘じゃない、これは本気じゃないの?」
ルートの身体が傾き、フェリに覆いかぶさってきた。壁に額を押しつけた姿勢のルートは、フェリには全く触れていない。
「本気か。それを本気というなら、お前は俺の気持ちもわかるはずだ」
「ルッツの……気持ち?」
一生懸命に考えたフェリが得た結論は、ひとつだった。
「泣くほど、好き?」
「……そうだ」
「もしかしてそれ、俺のこと?」
「殴るぞ」
重い、疲れた声で呟くルート。フェリはやっと、彼が求めている物の片鱗に触れることができた。
「俺、どうすればいいんだろう」
思わず呟くと、ルートの唇が笑む形に釣り上った。
「キスを」
壁から離れ、ルートの顔がフェリに近づく。
「俺の本気が判るなら、お前からキスを」
感情をゆすぶられやすいフェリは、すでにぼろ泣きになっている。それでも両手を伸ばすとルートの頬に触れ、引き寄せた。
ルートの唇に、羽のように軽い口づけ。
「俺ね。お前の気持ち、判ったと思う。だから言えるんだけど」
両頬にも心をこめてキスを贈ってから、フェリは囁いた。
「俺の好き、はルッツに比べたら、全然足りてないんだね」
だから本気のキスは贈れない。と、フェリは言った。
「頑固者め」
「ごめん。でも俺嘘つくの嫌なんだ」
「酷い奴だな」
「もっとひどい事言っちゃうよ? だって、俺やっぱりお前のこと好きだもの。
だからこれからも、友達でいてほしいんだ」
ルートの額が壁に激突した。「本当に、酷い奴だ」
「うん。お前の弱みに付け込んでるよね」
「わかって望むんだな」
「……ごめん」
見上げたフェリの目前で、ルートの唇が再びにやり、と笑みの形を作る。