空を泳ぐ
あまりにも綺麗過ぎて、いっそ吐き気がした。
目の前に座る菊は澄まし切った顔でアーサーを見つめている。テーブルの下に置かれたアーサーの手はしっかりと拳を作っていた。
「……俺とフランシスの面会はお前の自己満足なんだな」
「はい」
「なら、フランシス自身は何と言ってるんだ? まさか本人に何も言っていない訳じゃないだろ」
担当医と患者である以前に二人は旧知の仲だ。
本人に何の相談もなしに菊が動くとは思えない。
菊に聞くまでもなくアーサーの中で答えは決まっていた。
アーサーのよく知るフランシスならこう言うであろうと、しっかり予想出来た。
きっとフランシスは柳眉を困ったように下げて、口元にも同種の苦笑を浮かべるのだ。
(どうしたの、坊ちゃん。お兄さんに会いたくなっちゃった?)
アーサーの頭の中でフランシスの声が作り出されて再生される。
菊が唇を開いたのは、アーサーの中で穏やかな声が再生されるのと同時だった。
「会いたくない、と」
「な……」
「本人達の意思を無視して事を運んだ私を、どうぞ好きなだけ軽蔑してください。憎んでください。嫌悪してください。私も、それぐらい最低なことをしている自覚はあります」
アーサーを見つめる菊の瞳は力強かった。
アーサーの驚愕を、菊は自分に対する嫌悪を含んだ感情だと思ったのだろう。だから先程の開き直った言葉が出てきたのだ。
しかし実際は全く違っていた。アーサーの驚愕は自身の予想が裏切られたからだ。
あの幼なじみは、自分に会いたがっていると思っていた。自惚れていたのかもしれない。
アーサーはその小さな裏切りに大きく傷付いていた。
菊のことを言えた立場ではない。勝手に期待して勝手に裏切られたのだから。傷付いた、と感傷に浸ることすら許されないかもしれない。
アーサーには傷心と自己嫌悪で己を省みる時間も用意されていなかった。
菊がすぐに次の言葉を繋げていく。
「ですからこれは、医者としての私と、フランシス・ボヌフォアの友人としての私と、二人の私からの懇願です」
音も立てずに立ち上がったかと思うと、菊は深々と頭を下げた。
突然の行動にアーサーはその深緑の瞳を目一杯見開いた。
「どうかフランシスさんに会ってください、アーサーさん。私は空っぽのまま笑うフランシスさんを見るのは、辛いんです」
091109(090611)