弁当男子
弁当男子ー先輩LOVEー
焦っていた。黒沼青葉はとても焦っていた。
昼休み受信した母親からのメールに、青葉のその幼い顔が一気に色を失せ青ざめていった。
母からのメールは至ってシンプルだった。普段は用件のみで簡潔に済ませたいところを、余計なことが何点か追記してあるようなメールばかり送り、時間があるときなのだろうか、そんな時のメールは果たしてどれが用件なのかわからない程余計なことしか書いていない、そんなメールを寄越す母親だった。だからこそ、簡潔過ぎるメールに青葉の背筋にひんやりしたモノが流れた。
『お弁当間違えてるわよ』
たった一言。一瞬首を捻ったが、間違いがわかる要因はたった一つしかない、つまりあの帝人用に作られた弁当が母の元にあるのだ。
あれを見て母はどう感じたのだろうか、思うところがあったからこそあのシンプルなメールなのだろう。
なにせ、あの弁当と来たらここ最近での最高傑作だ。時間に余裕があったので少し遊んだのだ。ピンクのでんぶでハートを描き、海苔と玉子で『センパイLOVE』と書いたのだ。
母が帰宅したら、何を問われるのだろうか、それよりもどう言い訳しようか、そんなことよりも今はしなければならないことがある。
青葉は慌てて教室を飛び出した。
走りながら、青葉は考えていた。何故、自分は弁当一つに奔走しているのかと、そもそもそこまでするモノなのかと
事の発端は、盗聴されている可能性があるという話からだった。色々と推論を重ねた上での結論は、携帯電話が怪しいという結論だった。会話を盗聴することは可能らしく、ならば買い換えましょうという青葉の提案に、帝人は静かに首を振った。曰く、それでは、盗聴側にこちらが気付いたとバレてしまう。こちらとしては、相手を知りたい。ならば、暫くは泳がせて相手の動きを探ろうということだった。
おそらくターゲットは帝人一人で、もしくは青葉も含まれているだろうということで、他のメンバーには仕掛けられている可能性はないだろうから、今まで通りにということにしてある。また、買い換えなども特に規制はしていない。
念のための予備の携帯を青葉も帝人も持つことにしたが、それに気付かれては意味がないので慎重に使用している。そのため、ほぼ互いだけしか使用相手がいない結果になっている。
その制限があるせいで編み出されたのが、この古典的な伝達方法だった。手紙というアナログな手段だ。
弁当は遣り取りをするための方便であり、実際はその中に入れられたメモが大事なのだ。伝書という実にアナログな手段で重要事項の伝達を行っている。
初め弁当にでも忍ばせますかと話した時に帝人は酷く驚いていた。そんな帝人の提案は『交換日記とか……』だったのだから、全力で青葉は断った。
母親の分も毎日作っている青葉にしてみれば、一人増えたところで代わりはないのだと言えば少し照れたような表情で帝人はお願いするよと笑っていた。
それと、これは青葉が口出す立場ではないのだが、帝人の食生活が気になったのもある。ただでさえ細いのに、その食生活は杜撰そのものだ。
一人暮らしとはそういうものなのかもしないが、栄養ドリンク剤を常飲し、これ一つで栄養取れるのだからと、固形栄養食を常食している姿はあまり良いモノではない。
帝人には情報だけを扱って貰いたく、実働部隊には入れないつもりだったのだが、あの人と来たら、自分も行くのだと一点張りで青葉としては譲るしかなかった。勿論、戦力にはならないがそれでも厭わない姿勢は青葉の好む所だった。なによりも、安全な場所で眺めてから屍肉を貪るハイエナよりも、弱いが敵陣を突っ切る方が好感が持てる。
だからこそ、そのひ弱な身体にまともな食事を取らせたい。そんな思いがあったのも事実だ。
帝人には仕掛けている相手に思い当たる節が無く、誰であるかを探りたいとのことだったが、青葉にとってはその相手とはたった一人名前しか浮かばない。むしろ、それ以外の可能性があるとすればその方が恐ろしい。その恐怖は、おそらく帝人が感じている以上のモノを青葉は感じることになるだろう。
帝人は馬鹿ではない。むしろ、逆で聡明で行動力もあり、それを実行する技術や知識も持ち合わせていた。与し易いと接近したが、想像以上の彼の動きに青葉は興奮を隠せないでいる。同時に、目前で幼い笑顔で笑っている彼を恐ろしいとも思う。
ただ一点に於いて彼はとても愚かだ。この件もたった一人の名前しか浮かばない青葉に対し、帝人の中にはその名を疑うことは一度もないのだ。
ことある事に、その男に対し青葉は忠告と不快を表に出すが、帝人はあの男に対しては、そんなことはないという一点張りの盲信ぶりだ。
その名は折原臨也。新宿のうさんくさい情報屋ということにしてある。青葉が臨也と因縁があることは帝人には伏せているため、帝人としては臨也を直接知らない青葉に言われるのは良い気持ちでは無いらしい。
もとより、印象など最悪から始まった仲だから、どう思われようと構わない。印象という意味ではだ。ただ、自分は帝人にとって有用な人間であればいいのだ。そう青葉が帝人に示し続ける限りは、利害で契約した関係が崩れることはない。それは、帝人にも同じことが言える。
何が臨也と帝人の間にあったのかは、詳しくは青葉にはわからない。ただ、あの男のやることだから、沢山帝人に甘い汁を吸わせていたのだろう。その甘さに、聡明であるはずの帝人すら誤魔化されているのだ。
最後の仕上げは自らの手でやるのが、あの男の主義とする所だろう。どうしても、己の手で下さなくてはならないのだ。それが彼の弱みでもある。完全に隠れて計画を行うことは出来ない、どうしても顔出さずには居られないのだ。自ら隠れたはいいが、誰にも探されずに結局姿を現す子供のような男だ。
そんな男が帝人に対しどう仕上げるのかを青葉は楽しみにしている。それは臨也の手段に対してではなく、むしろ逆で、帝人が全てを知ったときどう反応するのか、動くのかそれが見たいのだ。
青葉のような、帝人にとってはそこまで信用していなかった相手の時にさえ、あのような反応をしたのだ。
それが、ここまで全幅の信頼をしていた相手が、全ての元凶であると知ればあの人の怒りはいかようだろうと、それ思うと青葉は笑いが止まらない。その時は、こちらのことも帝人にバレることになるが、まあそれはなんとでもなるだろう。
予想することが困難な帝人の行動を思うだけで、酷く青葉は興奮を覚えるのだ。だからこそ、長く、その時を持たせたいとも思うのだ。まだ、露見するには早すぎる。
愉悦のために歪んだのか、急いで走ったために崩れたのか、その頬を軽く叩くと勢いよく帝人の教室の扉を開けた。