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その時ハートは盗まれた

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 面白かった花井の文句もそろそろウザイ。水谷は同じくウエイトレスに抜擢されてしまった阿部を指差す。阿部はまだ学生服のまま、腕組みして平然とした顔をしている。いつもと全く表情が変わらない。
「なんでお前そんな普通なんだよ」
「しかたないだろ、ジャンケンに負けたんだから」
「そこであっさり諦めるな!」
「花井が諦め悪すぎるんだよ。阿部みたいにちゃんと現実と向き合いな」
 やがて衣装合わせのために女子に呼ばれてカーテンで仕切った簡易更衣室へと阿部が入っていくと、花井は被せられていたカツラを取って椅子にどかっと座った。惜しげもなく大股開きのその仕草は無駄に男前だった。ああ、なんかやんなってきた、と花井はぼやく。冗談じゃない、今からが面白い時なのにと水谷は思う。
「田島んとこ、なんだっけ」
「ん、なんか焼きソバとかなんかそんなやつ」
「手伝わなくていいの、準備」
「オレ当日がんばるもん」
 あっけらかんと笑う。確かにこれが現場にいたとしても準備段階ではあまり役に立たないかもしれない。むしろ邪魔。なんか三橋とじゃれあって物壊しそう、で当日はつまみ食いしまくってやっぱり追い出されてそう、なんてふりふりスカートのまま花井はぼんやり考える。
「阿部、どんなんなってんのかな」
「あいつも似合わねーだろ」
「オレちょっとみてこよ」
 妙にうきうきした顔の水谷が立ち上がる。急に意識がカーテンの向こうに注がれるから、女子たちの声が漏れ聞こえる。花井と違って阿部は甘んじて状況を受け入れているらしく、特に叫び声も抵抗も聞こえなかった。水谷はそっとカーテンに手を掛ける。
「ちょ、ちょっと、私の鞄取って!」
 中から衣装を担当していた女子の高い声が飛び出す。
「誰か下地持ってない? コンシーラーとか」
「化粧水持ってるよ。クリームなら」
「私のファンデ使う?」
「眉毛弄っていい?」
 妙に浮き足立った声に、花井はぞくりと立ち上がる。こんしーら?ふぁんで?なんだそれ。まさか化粧させられてるのか?! 花井は自分のすべすべの頬を両手で挟んだ。よ、よかった。そこまでさせられなくて。
 だがカーテンの中では一大プロジェクトが行われているらしい。水谷は首だけ突っ込んでいるが、いまだ無言だった。時折、やだぁ阿部って肌きれいムカツク!とかいう声が上がるぐらいで。その静けさが逆に怖かった。みんな殺気立っている。
「お、おい水谷」
 呼ぶと、しばらくしてから水谷はカーテンの中から頭を抜いた。どうだったんだと聞いてもはぁ、とため息を吐くばかりだ。
「わ、わらえねぇ……」
 水谷の微妙な表情に花井と田島は顔を見合わせた。どういうことだ。やりすぎておてもやんみたいになっているのか、阿部は。気の毒なような。ぷりぷりジャンパースカートに頬が真っ赤で唇がサザエさんみたいなメイクになっている阿部が花井の頭の中に浮かぶ。よ、よかった、オレこれで頑張る。
 できた!という女子の声に、ついにカーテンが開いた。
 花井と田島はごくりと唾を飲み込む。
 出てきたのは濃い茶色の胸まであるロングヘアのきれいな女性だった。同年代の女子よりも余計な肉がない分、妙に大人びて見える。すらりと高い背に紺色の裾の長いセーラー服が似合っている。印象的な目元にはしっかりアイラインがきれいに引かれ、茶色いシャドウがきれいな影を作っている。きゅっと引き締められた唇はほんのりベージュが乗り、うっすら濡れていて艶かしかった。胸元の赤いリボンが揺れている。
 ああ、阿部って睫毛長いんだ……なんてぼんやり考えて花井は首をぶんぶんと振った。なんか余計なことを考えそうで必死に振り払う。そしてじっと目の前のセーラー服を見た。
「あ、阿部?!」
「だから言ったでしょ、あんまり似合ってたら洒落になんなくて笑えないって」
 水谷がぼんやり魂が抜けたみたいな声で呟く。確かにこれは笑えなかった。あまりに普通……いや綺麗過ぎる。これでは高校生のオカマ喫茶でなく、ただの凛とした美人だ。さっきまで花井を指差して笑っていたクラスメイトたちも出来すぎの作品を見てざわざわと寄ってくる。
「うわ、マリ見てみてぇ」
「なんでそんなの知ってんだよ」
「お姉さまって呼んでいいか?」
「呼ぶな」
 幾重にも重なった人の輪がわいわい騒ぐ中で、ぱしゃり、と音がした。皆その音の方向を見る。美少女阿部の真正面、少し下に携帯を構えた田島の姿があった。画面を覗き込んで「おお、綺麗に取れた!」とはしゃいでいる。
「おい」
「あ、阿部動かないで。もう一枚」
「何してんだよ」
「何って写メ取ってるにきまってんだろ。三橋に見せよ」
 田島がそう呟いた途端、いままで冷静だった阿部がぴくりと動いた。長い手をぐっと田島に突き出す。
「てめぇ、それ消せ! み、見せるな!」
「なんでだよーせっかく綺麗なのに」
「データ消してやる、よこせ!」
「イヤだ、これオレ待受画面にするもん」
 で花井のはメールの受信画面にするもんね、と田島は嬉々として携帯を後ろ手に隠した。あれが待受でオレが受信。なんか差がつくな、とかそういう問題じゃないか。花井は追いかける阿部と逃げる田島を眺めながら思う。かわいそうに、阿部は慣れないセーラー服であることと相手が田島であることが重なってなかなか追いつけないでいる。
「いいじゃん、なんでイヤなの。三橋お前に惚れるかもよ?」
 うるさい、と阿部は必死で掴みかかる。何が哀しくて女装姿で惚れられなければいけないんだ。こんなのを好きになってもらったって意味ねぇよ。阿部は必死だ。誰に見られても別にどうでもよかったけれど、三橋だけは別だった。三橋にだけは見られたくない。
「どうせ当日ばれるんだからいいだろ」
 しつこくいい募る田島に、阿部は折角綺麗に整えられた長い髪をぶんぶん振った。ああっと女子が声を上げる。折角綺麗にしたのに、阿部暴れるな。
「三橋が来たらオレは逃げる」
 女子軍団に肩を押さえつけられて、阿部ははぁはぁと荒い息ををついた。妙に綺麗な分、迫力があって阿部の怖さは当社比1.5倍だった。般若のようだ。
 田島は追ってこれなくなった阿部を、つまらなそうに見る。手の中の画面を見て、いいのになぁ、なんて本気で呟いているのがちょっと怖い。こんな女いたら三橋だってぐらっとくると思うけどなーなんて無責任なことを。
「阿部さー、三橋にヤらしてって言われたらどうするー?」
 どうするー、ってどうするもクソもないだろう。いくら見た目がきれいめでも中身は阿部だぞ、これ。花井と水谷は揃って力いっぱい思うのに、女子の下の阿部は、ううん、なんていって眉根を寄せて真剣に考えている。
 お願いだから考えるな、そんなことはありえないから。




作品名:その時ハートは盗まれた 作家名:せんり