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その時ハートは盗まれた

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 あっさり言うその言葉が泉の本心とも思えなかった。浜田はぎゅっと膝に顔を押し付ける。ちらりと横目で泉を見ると、彼もよっこらしょと声を出しながら隣に座った。
「泉はさぁ」
「うん」
「三橋は阿部とくっついた方がいいと思ってんの?」
 泉はすぐには答えなかった。風が吹いて泉の長い前髪がばさばさと靡いている。屋上の錆付いたドアもギシギシと鳴っていた。泉は喘ぐように空を見上げて、光がまぶしかったのか目を細めている。
「わっかんねえ」
 青と白が広がる空に鳥が一瞬横切った。黒いその影を追いながら、泉は両手をコンクリートに付いたまま、重い首を後ろにだらんと垂らした。ゆっくり首を振る。
「ただ、三橋のことだけ考えるとさ。好きな子が出来て、それが女の子なら、絶対そっちの方が世間的にも楽だと思うし、少なくとも阿部とどうこうなるよりは、いいかなとか」
 思うけど、という続きは泉の口からは出てこなかった。言葉と一緒に息も止まる。
 空を仰いでいた泉の視界にいきなり影が落ちる。逆光で何か分からない。人、長い髪。風が吹いて長い髪がさわっと揺れた。誰だ、見覚えのある。泉は目を擦る。次第に影の落ちた顔に目が慣れてくる。赤いリボンが胸元で揺れている。きつく上がった眉、垂れがちな大きな目、どこかで見た知らない誰か。
「あ、阿部か?!」
 泉は目の前の事実がいまいち捉えきれなくて、それ以上声にならなかった。最初から座り込んでいたからいいものの、立っていたら絶対腰を抜かしていたはずだ。ていうか今でも体が付いていかない。阿部は長いスカートをばさばさと風に揺らしながら男前に仁王立ちになっている。だが妙に整った顔は空ろだった。隣を見ると既に浜田は泡を食って阿部らしきセーラー服を指差して口をぱくぱくさせている。声が出ないらしい。
 必要以上に驚く浜田を見て少し冷静になった泉は覗き込むように立つ阿部の下から這い出した。なんだその顔は。ていうかなんでセーラー服? ついにそういう趣味に走ったのか。化粧で整えられた顔がきれいなのが逆に気持ち悪い。
「んだよ、脅かすなって。ていうか何だその格好は!」
「……三橋の好きな子?」
 阿部は泉の質問には答えずにぼそりと呟いた。その言葉に泉は思わず片目を瞑った。
 しまった。聞かれたか。


作品名:その時ハートは盗まれた 作家名:せんり