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その時ハートは盗まれた

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 阿部はそう呟いてしゃがみこんだ。プリーツがきれいにプレスされたスカートに顔を埋めて小さくぎゅっと膝を抱え込んだ。
「阿部……」
 泉と浜田が一歩、しゃがみこんだ阿部に近づいた、そのときだった。
 バタン、とドアが外れそうなほどの音を立てて金属製のそれが勢いよく開いた。その音に驚いて二人揃ってびくんと入口を見る。飛び込んできたのは栄口だった。続いて三橋と田島。栄口ははぁはぁと膝に手を付いて荒い息を吐いて呼吸を整えている。どうやら階段を駆け上ってきたらしい。
「き、きっつー」
 ぜえぜえと後ろの二人も肩で息をしている。すぐに復活したらしい栄口がきょろきょろと辺りを見回した。泉と浜田を素通りする。それから何かを思い出したように視線を泉に戻した。
「な、なんでお前らがここにいんの?!」
「それはこっちの科白だよ」
「あっ、田島どこ行ってたんだよ!」
「まぁまぁ」
 一番後ろ、ドア近くで田島がにこにこしながら手で食って掛かる浜田を抑えるように振っている。栄口はやっぱりきょろきょろと辺りを見回している。
「まぁいいや。なあ、ここに女の子来なかった? 髪が長くて、セーラー服の」
「セーラー服……」
「あの、例の、三橋の」
 栄口の説明に、いや、わかるけど、と泉は返す。それからしばらく考えてあのさぁ、と恐る恐る切り出す。
「すぐに気がつかなかったオレもアレなんだけどさ、うちの学校でセーラー服っておかしくないか?」
「え?」
「うち、私服多いからちょっとピンとこなかったけど、うちの規定服、セーラーじゃないだろ」
「あっ!」
 そういえば、とたまに篠岡が着ていた規定服を思い出す。確かシャツにリボンとチェックのスカートだったような。どう贔屓目に見てもセーラー服には、見えない。
 じゃあアレはなんだと栄口は頭を捻る。気のせいだったのか。三橋の思い過ごしで、「黒髪のきれいなセーラー服の上級生」というのは架空の人物だったのだろうか。いや、でも自分も確かにこの目で見た、ついさっき。
 うんうん唸って腕組みする栄口の目の前の泉がちらちらと下の方を気にしているので、彼はその視線を辿るように目を下ろした。
 金網のすぐ傍に、黒くて紺色の塊があった。なんだこれ。じっと見つめるとそれが小さく動いた。うお、と小さく退いてじっと見つめるとそれがしゃがみこんだ人間だということに気がつく。長いストレートの黒い髪と紺色のプリーツのスカート。腕の間からちらりと見える赤い布。あれ?
「ここにいるじゃん」
 セーラー服に長い黒髪ストレート。正しく。あのー、と栄口が恐る恐る声を掛けると、件の少女はますます固く小さくなる。泉に目でどういうことだと促すと、泉はしばらく視線を彷徨わせてからその塊に近づいた。視線を合わせるようにしゃがみこむ。ぽん、と肩に手を置いた。
「……もしかして、そこ、三橋いる?」
 塊からくぐもった声がする。
「もしかしなくてもいる」
「……」
「観念すれば?」
 言うと、塊はもぞりと手を出して長い髪を掴んだ。泉はその手を掴む。お前その顔でヅラとったらやばいから、というとしばらく塊のまま考え込んだ挙句、開き直ったようにそれは立ち上がった。
 じっとそれを見つめていた栄口は目を剥く。え?
「あ、え、阿部?」
「おう」
 立ち上がった阿部はスカートを手で払うと大きく仁王立ちになった。長い髪が胸元で揺れている。きりと、上がった眉、いつも感じる以上に目が印象的なのはそういう化粧をしているからか。とにかく、完璧な美少女だった。確かに、これは、きれいだが、だけど、ちょっと待て。
「お前なにやってんだよ!」
「何って、文化祭の」
「阿部お姉さまじゃん!コスプレ喫茶だよな!」
 コスプレじゃねえ、と言いたいところだったようだが阿部は黙って田島を睨んだ。確かにこれは既にコスプレだった。花井のアレはともかく。
 栄口はまじまじと舐めるように阿部を眺めると、ついと目を逸らした。うっぷ、と手を口に当てる。
「なんだよお前失礼だな」
「腹痛くなりそう」
「なんでだよオレ似合ってるじゃねーかよ」
 なんでそんなに偉そうなんだ、というほど阿部はふんぞり返って文句を言う。泉はちらりと阿部の顔を見上げる。無表情を装っているけれど、耳が真っ赤になっているからよほど照れているのだろう。開き直って我慢しているだけか。
 だが混乱した栄口はそれとは気がつかないようだった。自分も真っ赤な顔をしてわたわたしている。
「似合ってるよ、確かに似合ってるよ! それは認めるけど、似合いすぎててキモイんだよ!」
「あ、あべくんはキレイだよ!」
 急に後ろから飛び込んだ声に、皆して目を向ける。栄口の後ろに今まで黙って立ち尽くしていた三橋が、真っ赤な顔をしながら真剣な目をしてじっと阿部を見つめていた。
「三橋」
「き、キレイ、だっ」
 その声に、必死で耳だけで抑えていた阿部もかっと赤くなった。思わず目を逸らす。なぜか釣られて栄口も、浜田まで赤くなる。空気がふんわり変わった。
 何でオレまで赤くなるんだ、と栄口は頬を両手で押さえながら考える。そしてふと気がつく。ちょっと待て。オレたちなんのためにここまで走ってきたんだっけ。とりあえず阿部の女装を見るためではなかったわけで。
「あ」
 思わず声が漏れた。
「もしかして、三橋の好きな人って……」
 栄口がぼそりと呟くと、三橋はがばっと顔を腕で覆った。くるりと踵を返す。
「い、言わないでっ!」
 驚いた田島が飛びのくのも構わず、三橋はばたばたと転げるようにドアを駆け抜けて階段を飛び降りていった。途中でびたん、と音がする。ああ、あれはこけたな。顔面からモロに。
「何がどうしたんだ?」
 あっけに取られた阿部が泉に目で問うと、泉はさぁと肩を上げる。栄口を見る。
「三橋が、一目惚れした人がいて」
「それは聞いた」
「屋上にいるのが見えて、慌てて上がってきたら阿部がいた」
「え?」
「黒髪の長い、セーラー服のきれいな人だったって」
「あれ、でもあれって3年4組の人だって言ってなかったっけ?」
 ようやく復活した浜田に突っ込まれて、栄口は俯く。少し、心当たりが。うわ、今更言えないかも。
「阿部がいたのって4階の家庭科室だろ? あ、もしかして真下って4組だったっけ」
 田島がええと、と思い出しながら喋るその口を、栄口は塞いでしまいたくなる。しまった、オレなんか間違えてる。
「栄口、お前一階間違えただろ」
「スイマセン」
 泉に突っ込まれて栄口は俯いたまま頷いた。ああしまった、でも、ということは、やっぱり。三橋があの時校舎を見上げて見つけた人は。魂が抜けたような顔でじっと見つめていたあの人は、やっぱり阿部だったのか。
 泉がまだ呆然と立っている阿部を肘で突付いた。
「よかったな。三橋が一目惚れしたの、お前だったんだって」
 突付かれてよろりと阿部は体を崩した。顔は無表情を装っているけれど、今きっとありえないぐらい頭の中がぐるぐるしているのだろう。泉はそんな阿部が可愛くてしかたなくなる。大きく手を振り上げて、そのセーラーの背中をばしんと叩いた。
「早く行けば? 追いかけないと三橋、あと3回はこけるよ」
作品名:その時ハートは盗まれた 作家名:せんり