君と僕の六ヶ月
§
「阿部、気持ち悪い」
「なんだよ」
向かい合って宿題の確認中。別段ベタベタしているつもりはなかったけれど、なんとなく同じ部活の連中とは仲良くなってしまう。そりゃああの苦しみを分け合った仲間なわけだし。7組の教室の雑然とした中、やっぱりくっついてノートを確認しあうのは花井だった。水谷は横にいるけれどノートは白紙だったので写すほうに専念している。役に立たないやつだった。阿部はむっとした顔をわざと作っていきなり変な発言をした花井を睨んだ。
睨んだつもりだったのに花井はなぜかほっとしたような顔をする。
「お前、笑ってる方が怖いんだよ。今気づいてたか、すっげぇニヤニヤしてて怖かったんだけど」
「オレが?」
「うわ、気づいてないんだ」
頬を撫でる。自覚はしてなかったけれど、確かに今三橋のことを考えていた。にやけていたと言われても、否定はできない。
「でも打者としては阿部がニヤニヤしながら思い出し笑いとかしてる方が怖いかもよ」
「うわぁ、想像するだけでぞくぞくするって。阿部、一回試してみたらどうだよ」
「うっせえよ」
ノート見せるのやめるぞ、というと水谷は慌てて手を合わせた。ごめん、ごめんなさい阿部様、数学は苦手なんです。
水谷にノートを投げると、阿部は椅子に背中を預けて顔を上げた。なんとはなく扉を見る。昼休みの廊下は騒がしく人が行き交っている。あ、浜田だ。
見知った顔を見つけてその周りを見る。やがて視界に入ったのはやっぱり三橋だった。泉と浜田がなにやら談笑しながら通り過ぎる後ろを、教科書を抱えてとぼとぼと三橋が歩いている。なんとなく元気がなさそうだった。ふうと大きくため息を吐いている。
阿部は立ち上がってドアに近づいた。廊下に出ようとしたとき、通り過ぎていた三橋が振り向いた。目が合う。
その途端、三橋の顔がぱっと輝いた。教科書を落としそうになりながら阿部の方にばたばたと駆け寄る。
「よく気づいたな」
「な、なんとなく」
えへ、と笑う。その髪をぐしゃぐしゃに掻き回して撫でてやりたかったけれど、他人の目が気になって阿部は手を引っ込めた。代わりににっと笑う。花井は気持ち悪いと言ったけれど、三橋は嬉しそうだった。
「次、音楽?」
「うん」
教科書と、アルトリコーダーが腕の中から覗いている。どんな顔をして吹くのだろうと想像するとそれだけで頬が緩む。
「今日、ミーティングの日だよね、部活」
「そうだな」
「な、投げたいな」
頬を赤らめて三橋が言う。投げたい。硬球をきゅんと投げてあのミットに収めたい。阿部君に、投げたい。いろんな気持ちが伝わってくる。
全部それを受け止め切る前に、廊下に予鈴が響き渡った。三橋が慌てて顔を上げた。移動教室は3階上で、慌てて三橋は走り出した。
「三橋っ」
呼びかけると、律儀に止まって振り向く。
「今日、お前んち、行っていい?」
そう聞くと、ぱっと三橋の顔が綻んだ。少し前のため息なんて全部吹き飛んでしまうような笑顔だった。
§
「つっ、つめてっ」
くしゃみを一つすると、三橋は心配そうに覗き込み、それからぷっと吹き出した。
「なんだよ」
「阿部君、頭に葉っぱついてる」
へっくしっ、ともう一回派手に阿部がくしゃみをすると、それで三橋は慌てて阿部の手を引いた。
「とにかく、風呂入らなきゃ」
「でも、廊下濡れる……」
「あ、あとで拭くからっ」
阿部は回る頭で考える。なんでこんなことになったんだっけ。そうだ自主錬と称して二人でストレッチしてジョギングして、帰ってきて投球練習に付き合って、ぼんやりオレたち付き合ってるんだっけ、とか変なことを考えたのがよくなかった。せいぜいいつも手を握るか、軽くキスするぐらいでそんなことをしているよりボールを触っている方が断然長かった。息が上がるほど球を投げて真っ赤になっている三橋の頬に触れてその唇にキスでもしてやろうと思った途端、足が滑った。あっと思ったときはすでに池の中だった。
慣れないことはするもんじゃない。三橋に背中を押されて入ったバスルームで、阿部はコックを捻りながら考えた。ぐるぐるした頭に熱いお湯が降りかかる。あともう少しだったのに、クソッ。
「あ、阿部君、ここに着替え、置いとくね」
ガラス戸の向こうに三橋の声が聞こえる。おう、と声を掛ける。両親はまだ帰っていないようで、三橋が不器用にあれこれ立ち回っている。
ここはいい匂いが立ち込めていて気持ちがいい。いつかくれたシャンプーの匂いだった。擦りガラスの向こうの三橋の動く様子をぼんやりシャワーを被りながら見ていると、よろよろと歩いて出て行く三橋がいきなりステンと転んだ。
どすんと音がする。
「み、三橋大丈夫か?」
「だいじょ、ぶ。床濡れてたから……」
そう腰を摩りながら三橋は顔を顰めた。阿部は慌ててその肩に触れる。なんともなさそうだ。ほっとする。
「肩は大丈夫だな。手首は?どっか捻挫してない?」
「だいじょう……」
三橋の言葉はそこで途切れた。思わず阿部はぎゅうとその体を抱きしめてしまっている自分に気がついた。濡れている体で、裸のままで。はっと顔を上げると、三橋と至近距離で目が合う。にこ、とすぐそばの目が細くなる。
「ご、ごめん。濡れちゃうのに」
「おそろいだね、ずぶぬれ」
えへへ、と三橋は口角を上げた。その口元を見ながらキスしていいかと聞くと、恐る恐るその手が背中に回った。ぎゅ、としがみつかれる。
これが現実だって、オレにちゃんと分かるように、もっと強く腕を回してほしい。阿部は痺れる頭で考える。背中に三橋の短い爪が立つ。ぎり、と皮膚に食い込んだ。
ざぁ、とシャワーが全開なままなのは、しんとした中でいるのが耐えられないからだ。浴室中がもうもうと暖かい湯気で曇っている。くちゅ、と濡れた音がするのはどこからなのか、反響する頭の中ではもう判断もつかない。
「口、開けて」
言うと三橋は素直に小さく口を開いた。それでもやっぱりまだ怖いのか、背中の指が小刻みに震えている。怖い?と聞くと少し迷って僅かに首を縦に振った。
「オレも」
阿部だって余裕があるわけでもないし、経験があるわけでもなかった。どうやったらいいかなんてちゃんとわかってるわけじゃない。心臓はばくばくいってるし、頭は暴走しそうだ。
正直にそう言うと、三橋は「おそろいだね」ともう一度笑った。
阿部はふうと息を吐くと、もう一度深く口付けるために三橋の背中をタイルの壁に押し付けた。冷たさに三橋が思わず声絵を上げる。開いた口の中にずるりと舌を差し入れる。三橋の口の中はひどく暖かかった。はぁ、というため息にも似た息遣いとぴちゃと濡れた音が交互に耳に入る。
「あ、べく」
三橋が名前を呼ぶ。頭の中に湯気が入り込んだみたいに真っ白になる。薄い胸板に手を這わせると、すでに立ち上がった突起が指に触れる。軽く押すだけで舌の隙間から小さな悲鳴が上がった。
「気持ちいいの?」
「あっ、ぁ、わかん、な……」
そのまま飛沫に濡れた腹を撫でる。下腹部まで手を下ろすと、三橋は身を捩って抵抗した。勃ち上がったものに触れられるのを嫌がる。
「大丈夫だって。いやがんな」