煉獄
ex. S.S.- 1
「今日からは、別々に帰りましょう。仲のいい友人や部活の仲間との時間も大切にしてください」
六月最後の月曜日の朝、いつもどおり並んで学校に向かう途中、昭二さんは控えめにそう言った。
毎日一緒に帰っていたのにどうして?と疑問に思ったけれど、考えてみれば昭二さんにだって僕以外の人達との交友関係がある筈だ。僕のわがままがその妨げになっていたのかも知れないと思うと、ただ申し訳なかった。
心細かったけれど、これ以上昭二さんに迷惑をかけてはいけないと思って頷くと、昭二さんは寂しそうに笑った。
「でも、たまにはふたりで帰りましょうね?」
いつもじゃなくていいからと慌てて付け足せば、昭二さんは驚いたように目を丸くする。
僕は何か、変な事を言っただろうか。
「……そうですね。修一君が部活の無い日に、週に一回くらいは、一緒に帰りましょう。少し遠回りして、公園に寄ってもいいですね」
一瞬後には陰の無い笑顔を見せてくれた昭二さんに、僕は安堵した。
(笑っていてください昭二さん。貴方が笑っていないと僕は不安になるんです)
今日は誰と帰ろう。昭二さん以外の誰かを誘おうと、真っ先に思い浮かんだのは友人の斉藤の顔だった。
斉藤も今日は写真部に出ているだろうから、迎えに行ってみようか。
任された原稿と格闘しながらそんな事を考えていると、日野先輩に肩を叩かれた。
「え?何ですか?」
「聞こえなかったのか?今日はもう終わりだ」
「あ……もうこんな時間だったんですね」
見回せば他の部員は既に帰ってしまったらしい。時計を確認して唖然としていると、日野先輩は呆れたような顔で僕を見た。
「その集中力は見上げたものだが、周りが見えなくなるようじゃダメだな」
「はい、すみません……すぐに片付けますから!」
「ああ、ゆっくりでいいよ。慌てる必要は無い」
日野先輩は厳しいけれど、それはちゃんと僕達後輩の為を思っての事で、それは時々こうしてかけてくれる優しい言葉にもあらわれている。面倒見がよくて、僕の成長を自分の事のように喜んでくれる、とてもいい先輩だ。
まだ先の事だけど、僕も三年生になったら日野先輩のような先輩になりたいと思う。
優しさに甘えてばかりじゃいけない。僕は日野先輩をお待たせしたくなくて、急いで帰り支度を整えた。
「今日は荒井は迎えに来ないのか?」
やっぱり部室の前に昭二さんの姿はなかった。日野先輩も不思議に思ったのか首を傾げる。
「今日からは、別々に帰ろうって事になったんです」
「へぇ」
日野先輩は一瞬驚いたみたいだったけど、すぐにどこか納得したような表情で頷いた。
「じゃあ、今日は俺と帰ろうぜ。それとも、もう誰かと約束したか?」
「いえ。いいんですか?」
「いいも悪いも無いだろ。おかしな奴だな」
「はは、そうですね」
日野先輩は、豊富な話題で僕を楽しませながら、結局荒井さんの家まで送ってくれた。
そういえば、日野先輩とこうしてゆっくり話すのははじめてだった。それまで気付かなかった先輩の新たな一面、僕には思いもつかないような物の見方など、新しい発見の連続だ。
きっと、昭二さんはこういう事を言いたかったんだな。
日野先輩を見送りながら、僕は胸がじんわりあたたかくなるのを感じた。