うしろの正面
理解し難い答だった。思わず顔を顰めると、日野は口元に自嘲を滲ませる。
──はじめは、「直に快復する」と言われた。そのまま一年が経過し、「まだ望みはある」と慰められた。そしてまた一年弱……遂に「これ以上は手の施しようがない」と判断された。
──その時の俺の気持ちがわかるか?身体に戻ろうとしても見えない力に弾き飛ばされ、かといって彼岸へ渡る決心もつかない俺の気持ちが……。
──わかるわけないよな。お前は生きている。死にかけたこともない。
──だが、こう考えたらわかるんじゃないか。自分を慕ってくれる可愛い後輩に自分が培ってきたものを教えることが出来ない。落ち込んでいるあいつを慰めてやることも、いい記事を書いたと頭を撫でてやることも出来ない。伝えたいことを伝えられない。抱きしめたいときに抱きしめられない。それでも、いつかは、目が覚めたら──。
──俺はそんな希望さえ打ち砕かれた。ならば、と思ったんだ。俺が逝くべき場所に、坂上も連れて行けばいい。同じ存在となれば触れられる。あちら側の世界で共に過ごすことができる。生前してやれなかった何もかも、果たしてやれる……。
──お前ならわかるだろ?坂上だって、はじめは怖がるかもしれないが、きっと受け入れて……
「ふざけるなっ!」
境遇に同情し黙って聞いていれば、日野が並べ立てたのは自分勝手な理屈と言い訳だ。
ふつふつと込み上げる怒りを抑えられず、綾小路は怒鳴りつけた。
「医者に見捨てられた? それで諦められるのか。お前のこの世に対する執着は、その程度なのか。
僕だったら、絶対に投げ出したりしない。身体に戻れるまで、何度でも挑戦する!
坂上君は、お前の目が覚めるのを待っているんだ。絶望的な事実を突き付けられながら、それでもお前の意識が戻ることを信じて願ってるんだ!
それを、その想いを踏み躙るつもりなのか!?」
脇に置いていた鞄から素早くあるものを取り出し、それをしっかりと手にはめる。
──あ、綾小路?何だそれは……。
「霊体に触れることができるグローブだ。風間に一万円で譲ってもらった」
──何だって? 正気か?
「少なくともお前ほど狂ってはいない。さぁ日野、歯を食い縛れ」
──ま、待て綾小路、暴力はよくない。話し合おうじゃないか。な?
「幽霊に痛覚は無い、筈だっ!!」
綾小路の拳が、日野の顔面にめりこむ。日野は悲鳴をあげる間もなく、自分の身体の方へと背中から倒れた。
「あっ……」
日野の霊体が、すんなりと身体に吸い込まれていく。
呆気にとられていると、横たわる日野の瞼がふるりと震えた。
「ひ、日野……?」
ゆっくりと開いた瞳はぼんやりと天井を見つめ、それから綾小路を映す。
「……君は、誰だ?」
「あ……っ」
綾小路は慌てて部屋を飛び出し、坂上達を呼び付けた。
それから数日。朝比奈から連絡があり、日野は夏休みいっぱい体力の回復に努め、二学期からは二年生として学校に復帰するという事を聞かされた。
──日野は、生霊として過ごしていた間の記憶を失っていた。
見知らぬ後輩の坂上に泣きつかれ困惑する日野の様子を思い出し、綾小路は苦笑する。
だが夏休みが明ければ、彼が再び綾小路の敵となるのは時間の問題だろう。
──ならばせめて、休暇中に坂上との交流を深め、少しでもリードしておこう。
朝比奈からの通話を切った後、綾小路はようやく聞き出した坂上の電話番号をプッシュした。
[09.01.06 - Colpevoleより再録]
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