うしろの正面
#4
「同学年……?」
それはおかしい。
朝比奈は、自分が入学して以降に亡くなった新聞部員はいないと言っていたではないか。
だが──と、綾小路は思い直す。質問の途中に朝比奈が見せた不可解な態度。彼は何かに思い当たり、それを綾小路に告げずに飲み込んだのではなかったか。
仲間である日野の死について、彼自身うまく心の整理がついていないのかもしれない。だからこそ、部外者である綾小路の詮索を嫌ったのだろうか……。
「それじゃあ、君は朝比奈とは仲がよかったのか?」
「ああ、そうだな。同学年の部員の中では、あいつと一番気が合ったよ。あの頃の仲間で今でも時々会いに来てくれるのは、あいつだけだ」
「会いに?……あっ!」
どういうことかと尋ねかけてハッとする。
──そうか、墓参りだ。
気まずい思いで口を噤むと、それに気付いた日野は淋しげに苦笑を漏らした。
気にするな、と示すように話を逸らす。
「──朝比奈は、鍵を返す時のことは考えていなかったらしいな。しっかりしているくせに妙なところで抜けているのは変わらない」
「え? ああ……そういえば、僕が返しに行くのはまずいかもしれないな……」
「部員の責任問題になるからな。……俺が君の気配を消してやるよ」
「そんなこともできるのか?」
「言ったろ、俺は新校舎の主みたいなもんだ」
いいからそのまま返してみろと促され職員室に恐る恐る入ると、誰ひとりに気付かれることなく返却することができた。
「ほらな」
日野は得意げに胸を反らす。
「すごいな。……便利だが、悪戯に使わないでくれよ?」
「ははっ、風間でもあるまいし、そんなくだらないことに使わないよ」
「風間? ……まさか風間望のことか?」
「ん? ああ」
「知り合いなのか」
「そうだな、事故以前はまったく面識がなかったが……あいつにも俺が視えるらしい」
そう言われてみれば、風間自身がそんなことを自慢げに主張していたような気もする。
風間の事を考えると頭痛がしてくるようで、綾小路は必死で彼のことを頭から追い出した。
しかし、風間の事を考えたせいで大川の事まで連想してしまう。
「……日野」
ふと、思いついたことがあった。
「何だ?」
「僕の事を三流以下だと言ったが、君はどうなんだ。大川を退ける力はあるのか?」
坂上に取り憑いた悪霊についてはまだわからなくても、大川の事なら判断がつく筈だ。
問い詰める綾小路に日野は一瞬目を丸くし、そして笑い出した。
「な、何がおかしいんだ」
「クク、あわよくば大川も祓ってもらおうという魂胆か? それは虫がよすぎるな、綾小路。
確かに、大川ごときを蹴散らすのは造作もないことだが、俺は君の守護霊じゃない。
そうだな、君が新聞部員になるというなら話は別だが」
「……もういい、わかった。君には頼らない」
「賢明だな」
新聞部に入るのが嫌なわけでは無いが、他力本願を見破られたことが恥ずかしかった。
隣でふわふわと浮遊しながら笑いを噛み殺している性格の悪い守護霊を睨みつける。
「恐い顔をするなよ。せっかくの色男が台なしだぜ?」
「余計なお世話だ」
日野がもし生きていても友人にはならなかったに違いない──と綾小路は思った。
部活が無いのだから、坂上も恐らく既に帰宅しているだろうと当たりをつけて坂上の家を訪ねたが、呼び鈴を押しても坂上どころか誰も出てこなかった。
「留守、みたいだな。日野、悪霊の気配は感じるか?」
「いや……霊道はあるが、此処自体には何もいないな」
「霊道……霊の通り道か」
「そうだ。よく知っているじゃないか。こういう場所は心霊現象が起こりやすいんだ。といっても、鳴神学園には負けるけどな」
「あれ、綾小路さん……?」
門前で話し込んでいると、背後から呼びかけられた。坂上だ。
「さ、坂上君」
「どうしたんですか?」
「ちょうど近くを通り掛かったから、寄ってみたんだ」
「そうですか。……お一人ですよね?誰かとお話されていませんでした?」
「き、気のせいじゃないか?」
笑ってごまかしながら、綾小路は胸が締め付けられる思いだった。坂上の肩にあった黒い影が、その細い首までも覆っていたのだ。
直視できずに顔を上げ、綾小路は更に息を呑んだ。
「坂上君……目元が赤い」
「!!」
「泣いていたのか?どうして……」
「な、何でもありませんから。僕はこれで」
「坂上君!?」
引き止めようと伸ばした手は空を掻き、坂上はそそくさと家の中に引っ込んでしまった。
「いったい何があったんだ、坂上君……」
「見てわからないのか?」
坂上がいる間気配を断っていた日野が再び現れ、呆れたような顔を見せる。
「ありゃ、好きな奴のことで何かあったんだろうな」
「……好きな、奴?」
「はは、何だよその間抜けな顔は。坂上だって年頃だ。恋ぐらいするだろ」
「それは、そうだが……」
坂上に好きな相手がいる──おかしいことではない筈だが、何故か胸にしこりができたような感覚だった。
「それで、悪霊のことは何かわかったのか?」
「あの影だけでは何とも言えないな。やはり本体を見ないことには……」
「そうか」
「しばらく様子を見よう」
「急いでくれ。坂上君に何かあってからじゃ遅いんだ!」
「わかってるさ」
日野は不敵に笑うと、そのまま空気に溶けるように消えてしまった。
「ひ、日野!?」
(俺は坂上についている。君はもう帰るんだな、綾小路)
「ついている、って……」
(四六時中、つまりトイレの時も風呂の時も傍で見守るってことだ)
──何だそれは。
「プライバシーの侵害じゃないか!」
(霊相手に何言ってんだ?君こそいつまでも他人の家の玄関先に突っ立っていたら怪しまれるだろ)
「くっ……」
色々と文句はあるが、引きさがらざるをえなかった。
──こんな時、坂上の家にお茶でもどうかと招かれるような間柄であればよかったのに。
連日の訪問ですっかり親しくなったつもりでいたが、それは一方的なものでしかなかったのかもしれない。快く受け入れてくれたのは建前で、本当は迷惑だったのではないか。
──辛いことがあったなら、相談してほしい。
苦しいことも悲しいことも、坂上の全てを知りたいと思う。そして、この手でそれを除くことができれば、と。
翌日の放課後、綾小路は新聞部に向かいかけた足を止め、慌てて図書室に入った。坂上が中にいるのを見かけたからだ。しかもその姿は昨日よりも更に黒い影に侵食されていた。
(日野は一体何をやっているんだ!?)
無力な自分を棚に上げて憤慨してしまう。
「坂上君」
「あ、こんにちは、綾小路さん。また大川さんから逃げているんですか?」
「まあ、そんなところだ」
「大変ですね」
無駄だとわかっていながら、坂上の肩に手を伸ばす。影を振り払っても、やはりすり抜けるばかりだ。
「綾小路さん?」
「坂上君も、何か悩みがあるんじゃないか」
「え……」
「話してほしい。君の力になりたいんだ。……それとも、僕じゃ頼りにならないのか?」