双子時々ドッペルゲンゲル、処により一時兄
「人に使われるのが厭なら、使われないように立ち廻れ。虐めも一緒だ。虐められないように立ち廻れ。俺の妹ならやられる前にやってやるぐらいじゃなきゃ……」
イザ兄は私たちの頭から手を離すと、ふわりと笑う。何時ものイザ兄だ、でも、口から出る言葉は、容赦なく私たちを硬直させる。
「父さんにも母さんにも余計なこと云うなよ? 人生の半分以上かけて折角作り上げたキャラクターなんだ。種明かしにはまだ早い」
じゃぁね……。最後にそう残して、イザ兄は出ていった。ばたんとドアが閉まる音が完全に消えて暫くしてから、私の身体はぶるりと震える。クル姉も同じだったようだ。
私たちは無意識に手を繋いでいた。怖かった。もう本当に、誰も信用しては不可ないのだと、私たちは悟ってしまったから。誰も、自分以外の他人を真っ当になど見ていないのだ。そうして自分の良いように解釈して、カテゴライズする。お父さんもお母さんもそうだ。
其れに、お父さんもお母さんも、イザ兄がしているように、親と云う仮面を被って役を演じているに過ぎないのかも知れない。だから仮面が剥がれると、今日のように私を責める。
私は無意識に、目の前の自分を見た。『私』が不安そうに私を見つめている。私は思わず、『私』を抱きしめた。
「……お願いだから、私のこと見捨てないで」
そう云えば、『私』は私の身体を黙った儘、でも力強く抱きしめ返した。
其れから、私たちは出来るだけ行動を共にした。誰も信用など出来ない。私たちは、日々怯えて過ごした。
そんな或る日、クル姉がお母さんのスカーフにジュースを零した。テーブルにつまづいて、椅子に掛けてあったスカーフにコップの中身をぶちまけたのだ。私は其れを見て、何とはなしに「……噫、私が怒られるんだな」と思った。いけないことをするのは、うちでは私と決まっているからだ。
イザ兄が作り上げたように、私の家でのポジションは確立されている。
「如何せあなたがやったんでしょう?」
あの日のお母さんの言葉が、其れを顕著に物語っていた。
零れたジュースを拭きながら、私は如何やってお説教の間を過ごそうか、考える。すると、クル姉が泣きそうになりながら、私が怒られるのを心配してくれた。
「仕方ないよ、大丈夫」
私がそう云えば、クル姉は何かに気が付いたように、身体をぴくりとさせると、私を引き摺るようにして部屋に向かう。
「クル姉如何したの? 痛いよ……」
「同(私たちは同じ顔)」
「うん、そうだね」
「……騙(きっと、ばれない)」
そう云うと、クル姉は私に服を脱ぐように云い、箪笥から違う服を持ってきて、其れに着替えろと云う。其れから自分も服を着替えた。
其の服は、唯一私たちが持っている全く同じ服だった。
黙っていれば、殆どの人が私たちの見分けが出来ないくらい、私たちは似ている。其れは、お父さんとお母さんも例外ではなかった。クル姉は其処を狙ったようだった。
自分の子供も見分けられないのに、怒る資格など無いとクル姉は云う。余程、此の間お母さんが私だと決め付けたのが気に喰わなかったようだ。クル姉の意外な一面を見た気がした。
同じ顔、同じ髪の長さ、同じ服。何処から如何見ても私たちは完璧な双子で、黙って向かい合えば、まるで鏡を見ているようだった。
何を云われても口を利かないこと、お母さんがクル姉は部屋に戻るようにと云えば、すぐに私が部屋に戻ること。怖いくらいに、クル姉は私に念を押した。
「絶対に、叱らせない。自分を叱らせる」
そんな決意が漲っているようだった。
クル姉の為すが儘に、髪の毛を梳かされていると、お母さんが帰ってきた。そしてリビングのスカーフを見たのだろう。すぐに私たち二人の名前が家に響き渡った。
お母さんの前に、クル姉と並ぶ。するとお母さんは少し困った様子を見せた。其れはそうだろう、私とクル姉の見分けが付かないのだから。
でも、怒ることは止められないようだった。「誰がやったの?」と怒鳴る。私たちは約束通り黙った儘、其れを聞いた。
何回か其れを繰り返した後、お母さんはとうとうあのセリフを云った。
「マイル、如何せあなたがやったんでしょう?」
吐き気がした。お母さんは何時も優しい仮面を被っていた、只の人間で、其の他大勢のように万能でないことがありありと見えて、気持ちが悪かった。えづきそうになるのを必死に堪えていると、お母さんがまた口を開く。
「クルリは部屋に行ってなさい」
約束の合図だ。私は少し躊躇ったけれど、クル姉が小さく私の足を蹴ったから、黙って一人で部屋に戻った。
……ぶたれたりは、していないだろうか。部屋に一人座りながら、私はクル姉の心配をする。とりあえず、今まで怒られることはあってもぶたれたことはない。だから大丈夫だとは思うが、見えない処でのことなので、私は酷く心配だった。
確かに、スカーフを汚したのはクル姉だ。でも、お母さんは私がやったのだと思っている。
もしクル姉だと始めから分かっていれば、ああいう怒り方はしなかったのかも知れないことを考えると、酷く怖い。クル姉が私としてこっ酷く叱られるのも嫌だけれど、お母さんが本当に私とクル姉を差別するのを目の当たりにするのも怖い。
私は一人、膝を抱えて震えていた。
「……あれ? やっぱりだ」
背中を向けていたドアが急に開いて、イザ兄が顔を出した。
「お前ら何したの? つーか何してんの?」
其の言葉に、私は息を飲んだ。イザ兄は私たちのしていることに気が付いている。
「……分かるの?」
私が聞けば、イザ兄は当然と云ったような顔で、「分かるに決まってんだろ? お前はマイルであっちがクルリだ」と云う。其れから、「自分の子供も見分けが付かない人なんかと一緒にすんな」と鼻から息を荒く吐いた。
私はびっくりした、イザ兄も如何せお母さんたちと一緒だと思っていたから。けれどイザ兄はやっぱりイザ兄で、ちゃんと私のお兄ちゃんだった。
「まぁ、うん。所詮父さんも母さんもフツーの人間だから……」
如何して私たちがこんなことをしたのかを説明すると、イザ兄は自分の髪の毛をいじりながらそう呟いた。
「人間、……だから?」
そう聞き返せば、イザ兄は、うん、と頷く。
「いいかマイル。人間てのは誰一人完全じゃないんだよ。どっかが良けりゃ、どっかが悪いもんだ。だから、まぁ、お前たちが今怒っていることも、仕方ないことと云ったら仕方ないんだよね。得意不得意ってのは皆あることで、父さんと母さんは、まぁ子供を見る目があまりないと云うか……。其れに日本人だしね、こないだ話したろ?」
そう云うと、イザ兄は眠そうに欠伸をした。
「人間てのは完全じゃないから、だから一人じゃ生きていけないんだろうね。お互いに補い合える仲間を探してるのかも。其の辺が全く面白いね、人間は」
イザ兄は、喋り終わると徐に立ち上がり、私に手を差し伸べる。
「こないだのお詫び。今から母さんをぎゃふんと云わせてやるよ」
イザ兄は不敵な笑みを浮かべる。ほら早くしろよ、と云うイザ兄に手を引かれて、私は部屋を出た。
「母さん、何を怒ってるのさ」
「あぁ、帰ってたの? お帰りなさい」
機嫌の悪そうな声で、お母さんはイザ兄に、私がスカーフを汚したのだと説明した。
作品名:双子時々ドッペルゲンゲル、処により一時兄 作家名:Callas_ma