彗クロ 2
2-10
必要とされる血液は、一人につき小型のアンプル二本分。
二人の少年のうち、レグル・フレッツェンは明らかに採血初体験に違いなかった。そ知らぬそぶりで強がってはいたが、初心者独特の怖気は隠しきれない。血管に刺し込まれる金属から頑なに逸らされていた碧の目が、アゲイトの見事な手際によってあっという間に処置が終わると、一転してまんまるになったのは少々痛快ではあった。
「これで契約成立かな?」
十分に血液を吸った注射器を片手に、アゲイトは朗らかに笑いかけた。
慣れぬ手つきで清潔なガーゼを傷口に押し当てていたレグルは、ぎょろりと眼球だけを動かして、お気楽な薬売りを上目遣いに睨みつける。不機嫌絶頂。明確な指向性を付与された敵意に、アゲイトは笑みを崩さぬままそろりと半身退いた。
「……勘違いしてんじゃねーぞ。おれらはてめーを信用したわけじゃねえ、てめーの能力と契約したんだ。使い物にならなかったり少しでも妙なマネしやがったらただじゃおかねぇからなっ」
「はいはい了解です」
「……せいぜい背中には気をつけてろッ!」
妙に小悪党じみた捨て台詞を吐くと、レグルは憤然と踵を返して大地をガスガス蹴立てながら道の先へと進んでいってしまった。
アゲイトは赤黒い液体に満たされたアンプルを、子供たちには見えないように鈍い鋼色の堅牢なケースの中に収めながら、嫌われちゃったかなあと苦笑した。そして、直進していく小さな砂煙の手前で、去っていく背中を見送ったまま微動だにせず佇んでいる人影に気づく。
一人残されている白帽子の少年は、採血最中のあたりから直前までの利発な印象に曇りを見せ初め、今では完全に活動を停止させてしまっていた。気難しいレグルに比べればずいぶんと大人びて友好的な少年だったが、考えてみればアゲイトは彼の名前も知らない。
さりげなく、しかし厳重にケースをしまいこみ、アゲイトはどこか茫然として見える背中に呑気に歩み寄った。
「君の相棒くんは手厳しいね。また叱られないうちに、僕らもいこうか。ええと……」
「……“せいなるほむらのひかり”」
少年は、振り返らずに、唐突に答えた。
虚を衝かれたアゲイトの動きが止まる。どこか間の抜けた沈黙ののち、問い返した疑問符も間が抜けていた。
「――え?」
「“聖なる焔の光は失われし記憶を繋ぐ楔を求め、キムラスカの音機関都市へ向かう”」
淡々と、幼さも拙さも感じさせない声音だった。
ようやくとばかりに少年が振り返る。感情の振幅も特別な意図も含まない、日常の延長のような冷めた表情だった。
アゲイトを見上げてくる瞳は、レグルと同じ、森の碧。
「手下なんか寄越さないで、次は一人で会いに来い。……って伝えといてください」
「――」
継ぐ言葉なく口を開けるアゲイトを嘲笑うかのように、痺れを切らした呼び声が前方から投げつけられる。今行くよと返しながら、名乗らない少年はあっさりとアゲイトに背を向ける。山道の先では、そっくり同じ顔立ちのもう一人の少年が仁王立ちでこちらを睨みつけている。
……そう、彼は名乗りはしなかった。だが、レグルと呼ばれる少年が、相棒の名を呼びつけたのを、アゲイトは確かに聞いた。
いつまでもそんな薬箱なんか相手にしてんじゃねぇよ、ルーク――と。
「……あれぇ?」
一人残された『薬箱』の頓狂な呟きが、長閑な山道に尾を引いた。