彗クロ 2
かろうじて捕まえておけたのは、ルークがオリジナルに不遇を強いられ、死を押し付けられ、非業の最期を迎えたという「事実」だけ。そこに至るべく至った発端や一連の経緯などの詳細は、どこの引き出しを覗き込んでも見つかりそうにない。まして、被験者の末路なぞの重要度は最下層だ。たとえ思い出せたとしても思い出したくもない。
顔半分しか振り返らないアゲイトは、難しく考え込むレグルの様子にも気づかず、あははと呑気に笑った。
「ざっくりしたあらすじだなあ、間違ってはいないけど。その調子だと、預言のこともあまりご存知ないご様子で」
「……何度聞いてもよくわかんねんだよな。未来になにが起こるかわかるとか、胡散くせぇ」
「んー、さてさてどこから話したものやら」
アゲイトは首を正面に戻すと、人差し指を教鞭に見立てて上を指し、こめかみのあたりの空気をくるくる拡販してみせた。その語り口はと言えば、庇の下の揺り椅子で孫に昔話をせがまれた老人を思わせるじじむささである。
「むかしむかし、ざっと二千年前、今で言う創世暦時代。資源エネルギーである第七音素を巡って戦乱に明け暮れ、大地も人の心も荒廃していたオールドラントに、とある聖人が忽然と姿を現しました。ユリア・ジュエって名前は、さすがに知ってるよね?」
「そこまで物知らずじゃねーよ」
聖獣チーグルは古に始祖ユリア・ジュエと契約を交わした――とは、長老の昔話に必ずついてくる枕詞だ。もっとも、盟約の詳しい内容などレグルの耳には右から左だったし、実のところユリアという人間がどんな偉業を成し遂げたのかをチーグルたちが一から十まで把握しているかといえば、かなり怪しいものである。
「ユリアという人はね、まあ言ってしまえば予知能力者だったんだよ。第七音素には記憶を蓄積する性質がある。その意識集合体――第七音素の化身であるローレライという意識体は、オールドラント誕生から滅亡までのすべての記憶を保有しているとされる。つまり、この存在を以てして、すべての事象は運命であると証明されてしまった……とも言えるわけだね」
「運命?」
「たとえば、昨日誰と別れて明後日誰と出会うか」
「……ぁあ?」
妙に癇に障る喩えだった。レグルが不穏にこめかみを揺らして斜に睨み上げても、呑気な背中は振り返らない。
「明日は晴れるか十年後は雪か雷か。はたまたレグルくんが結婚するのは今から何年後の何時何分、北の孤独星(めがみのなみだ)が何回瞬いた時か。……なんてことも、惑星が生まれたその瞬間から定められていたことで、第七音素ことローレライはその内容のすべてをご存知だったらしい」
「おちょくってんのか」
「現実として、三年前までの世界はそうだったんだよ。ユリア・ジュエはその仕組みを解き明かし、第七音素に秘められた『記憶』を、人間の手によって解読する技術を編み出したんだ。つまり、これが預言」
『戦後』生まれには眉唾もいいところだ。そんな技術が本当に存在していたなら、世界はもっとマシになっているか、さもなければとっくに破綻していたっておかしくない。
そう思いながらやたらと静かな背後へと同意を求めて目を配ると、ルークは手を繋がれたまま、思いのほかしっかりとした顔つきをしていた。レグルの言わんとするところを正しく読み取って、生真面目に頷き返してくるものだから、レグルは話の真偽を疑う理由がなくなってしまった。決まり悪く前を向く。
「……百歩譲ってマジだとして。そのおエライ預言者サマが何をやらかしたって?」
「平たく言えば人類救済だね。全世界規模の戦争が原因で人類の半数が死滅、大規模な地殻変動を引き起こして大地は液状化、追い討ちをかけるように瘴気という有毒のガスまで発生した。人類は絶滅寸前、もう手の打ちようもない、というところまで追い詰められていたんだ。これを救ったのがユリア・ジュエだった。彼女は預言から読み取った未来に従って、地殻を惑星から切り離し、遥か天上へとまるごと持ち上げたんだ。瘴気に満ちた地上を放棄して、高度三万メートル上空の新しい環境に人類の未来を託したわけだね」
「地面を持ち上げたぁー?」
レグルが思いっきり胡乱に声を張り上げると、アゲイトは教鞭代わりの指をこめかみに置き、振り返らぬまま困ったように小首を傾げた。
「どうやってやったのか、っていう技術的な話はその道の研究者か専門書に訊いてもらわないと。まあとにかく、二千年前には実際にそういうプロジェクトが立案されて、しかも成功しちゃったんだな。晴れて人類は滅びから逃げ延び、以来二千年間、宙に浮かんだ地面の上で暮らしていたんだ」
「実行したやつアタマおかしいだろ……」
「それをさせてしまうのがユリアの凄さであり、預言信仰の恐ろしいところだよ。ただ、内容は聞いてのとおり、その場しのぎの対処療法もいいところだから、実のところ欠陥だらけでね。地殻を支えるシステムの耐用年数が二千年なのに、その膨大な時間の中で知識も技術も失われ、人々は自分たちが空の上で生活しているということさえ忘れてしまっていた。そして三年前、とうとうシステムの破綻が始まった。最初に音をあげたのが、パダン平原を支えるセフィロト――つまり、ここ」
前触れなく、アゲイトが足を止めた。
つられて立ち止まったレグルは、ルークの手を離し、存分に警戒しながら、何もない地平を見つめるアゲイトの隣に並んだ。――あっ、と声を上げたきり、言葉が出ない。
一見、どこまでも平らかに広がって見える黒い地面が、ほんの半歩前で、ぶっつり途切れている。
黒い大地が、巨大なすり鉢型にくり貫かれているのだ。
「ここが、アクゼリュス跡地。三年前にヴァンデスデルカによって崩落させられ、一万人が命を落とした、惨劇の鉱山都市のなれの果てだ」
音叉の形を模した大きなモニュメント。
底光りする音素の輝き。
淀んで漂う瘴気の腐臭。
前に突き出した両手が光を帯びる。
心地よいバリトンが耳元に囁く。
――愚かなレプリカルーク。
寛大にして酷薄な過去の残骸が、寒々しい風の音とともに、大穴の底知れぬ深淵にわだかまる闇へと吸い込まれていった。