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彗クロ 2

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2-13(8/2更新)



 ………………結局、何をどのようにしてかような顛末を迎えたのか、よくは覚えていない。なにせ生涯最大級の大噴火だった。とにかく思いつく限りの言葉と身振りで筋道立てずに罵りまくったのだけは確かだ。気がついた時にはレグルひとりきり、前のめりに地面を蹴りつけ大穴の外周を先へ先へとひたすら歩いていた。
 ルークを置き去りにした事実にぼんやりとは思い当たれど、発散ままならぬ怒りが、一度ベクトル運動を始めた両足になかなかブレーキをかけてはくれなかった。
 端的に言えば、わけがわからなくなっていたのだ。振り返ってみても、感情が沸点を突き破るまでに体内で巻き起こった激動の推移を、まともに追想できない。いったいどんな言葉に琴線をぶった切られたのだったか、それすらあやふやだ。
 ……そう、確か、「君は人が死ぬことの重大性を理解してないんだね」とかなんとか、そういう主旨の無神経なセリフを浴びせられたのだ。
「……ムカつくッ」
 徹夜明けのごとく目を据わらせて吐き捨てた。歩みは一向に止まらない。止める気にもならない。
 まったく馬鹿にするにもほどがある。あの薬売りだ。想像力貧困のきわみだ。
 この三年間、いったい何人の同胞が無下に死んでいったと思っているのか。種の絶対数が減少するにしたがって膨らんでいくこの不安など、同族殺しが十八番のオリジナルどもが知る由もあるまい。
 それに、森では生死の営みは日常だった。幸いにして育てのチーグルたちはソイルの大樹の庇護の下、レグルの知るこの三年間は一匹の犠牲もないが、死の恐怖とは無縁でいられるはずもなかった。狼どもの悪魔のような遠吠えに身を震わせ、色とりどりのチーグル団子と一緒にうろの隅っこで丸まってやり過ごした夜は、決して遠い記憶ではない。
 レグルは横暴被験者を筆頭に、思いつく限りのオリジナルに頭の中で因縁つけまくった。誘拐犯の軍人二人組に、説教臭い薬売り、比較的懇意にしている顔見知りから、一度しか言葉を交わしていないような顔もおぼろげな誰それ、さらには数回見かけただけで話したこともない村人まで散々とこき下ろすと――たかだか三年の人生だ、あっという間に在庫が尽きた。ならばヤケだと実在非実在に関わらず、名の知れた為政者や有名人、団体、役職と、ひたすら負のマラソンを繋げ、果てはほんのついさっき聞き知ったばかりの歴史上の偉人にまで手をかけるに至ると、理不尽への怒りは鎮火するどころか蓋を持ち上げふきこぼれ始める始末であった。
 だいたいユリアとかいうババア(実際に長生きしたかどうか知らないがとりあえず手頃に罵りたいのでババアだということに決めた)のやることが中途半端なのが、そもそもの元凶なのだ。
 未来を知っていたのなら、ことごとく先回りして後顧の憂えなど徹底的に摘み取ってしまえばよかったのだ。そうすれば、少なくともすべてのレプリカたちは苦しみも悲しみも知ることなく、生まれてくることさえなくて済んだはずだった。
 ……こういうことを言うと「それではお前も生まれてこなかっただろう」などともっともらしく諭す手合いが必ずいるが、そういう戯れ言はこの世界をもっとマシな、生きるに十分値する世界に変える努力をしてからほざけという話である。自ら望んでこの苦界に生まれ落ちたレプリカなどいない。
 惑星預言はユリアにさえ変えられなかったと、あの薬売りは言った。――疑わしいものだ。本当は変えられるものを、手間と利権を惜しんで変えずにおいたのだとしか、レグルには思えない。
 現に、ローレライの見た未来は覆された――ローレライ自身が、かつてそれを認めたのだから。
「……あっ」
 小さくごちて、レグルはとっさに足を止めた。
 そうだ、思い出した。
 未来が――預言が覆されたと断言したのは、ローレライだ。
 あたりは不可思議な緑の輝きが漂う、世界の体内。「驚嘆に値する」そう嘯いて、朧な人型をした炎は空を昇っていた。そのとき、

 ――彼は。

 この

 手の内には

 あの 男

 の

 赤い

 いのちのなごり

 冷えた

 抜け殻



 ――己の被験者の死体を、その手は確かに支えた――



「れぐる?」


 ひどく舌ったらずな声が、
 鼓膜を打った瞬間、目の前を赤く染めた。
 見下ろした両手は、真紅に濡れている。
 発作的に、振り返る。重く生臭い、体液のような空気を、全身がかき分ける。微細な筋肉の律動さえ、振動となって、濁った空間に幾重にも波及していく。まるで、自分自身が音叉になったようだった。
 見開いた目が、背後に立つ者を捉えた。
 必要十分より半歩遠い距離に、少年がいる。呼吸をするのも遠慮がちな佇まい。常に他人の顔を窺わなければ生きていけない、俯きがちな上目遣い。
 目深に被った白いニットの縁から、大きな瞳が覗いている。青空を劣化させたような、朝焼け色の紫色。
 ひどい幻覚だ。
「……レグル? どうか……した……?」
『レプリカ、貴様は、俺が――』
 重なる声。重なる姿。背丈も声音もまるで違う、だが、どちらも見知ったもの。
 陽炎に写し取られたような、そんな儚い幻になってまで。
 レグルの安寧を、彼らは決して赦さない――
「――レグル!?」
 切迫した呼びかけにびくりと肩を揺らした瞬間、知らず後ろへと退いていた足が、大地の縁を掴み損ねた。
 重力が頭を掴んで引き摺り下ろす。いつの間にか崖っぷちに追い詰められていたレグルの身体は、あっけなく空中に投げ出された。
 正面から必死に伸ばされたルークの手は、間に合わなかった。
 世界のあらゆる存在から、突き放された。
 自由落下。
 ほんの数秒、まっさかさまに風をきったら、分厚い闇に没した。


 ――闇の中は嵐だった。
 世界の胎動する音が、嵐のようにざわめくのだ。
 天体がゆっくりと廻る音が。
 宇宙が少しずつ膨張していく音が。
 遥か恒星たちがさまざまに燃え滾る音が。
 決して聞こえるはずのない、けれど当たり前にあるはずの、豪勢で、乱雑で、殺伐たる、摂理の運行。原初の音色。
 ゴォン、ゴォォゥン。頭上を鐘の音が谺する。
 祝福の鐘ではなく、あたかも誰かの命が刑に処されるその合図。
 きらびやかな尾を引いて、銀の輝きが天上を駆けていく。
 闇は語る。あらゆる方向から音の輪を投げかけてくる。古の、秘密めかした、とても懐かしいつらなりを。

 ――メ――――ティ――ス――ラ――――リ――――

「……メティ……?」
 呟きは闇に吸い込まれていく。
 黒い世界は、急激に収縮した。

***

「この手にかけた万という命が、この世界を構成するいかほどのものかと考えることがある。
 あれら烏合が惑星の未来にどれほど寄与する存在かと、まともに捌いていくわけだ。たまにそう割り切らなければ、剣など正気で握れやしない。
 この程度の責任転嫁は誰でも経験済みさ。お遊戯(プライマリー)だな。ガキはいつだって、幼さと正論を盾にして、残酷に我が身を守る。
 人生の本当の始まりは、地獄を知ってからだ。
作品名:彗クロ 2 作家名:朝脱走犯