彗クロ 2
「昨日、あまりたちの良くない人たちに絡まれたんです」
失言に焦るレグルを、ルークが冷静にフォローした。青年はまた何度か睫を上げ下ろしすると、端正な顔をいかにも人がよさそうに曇らせた。
「それはよくないな。この一帯も、一時期ほどじゃないとはいえ、治安はあまりいいとは言えないし……でも野党や山賊の類なら、わざわざ子供の後を尾けたりはしないと思うな」
聞き捨てならない箇所はあったが、レグルはぐっとこらえて沈黙を保った。当たり障りなく受け答えるのがルークの役目になりつつある。大人相手の交渉事に、妙に物慣れているのだ。
「そうですね。昨日の今日なので、ちょっと敏感になりすぎていたみたいです」
「まあ、用心に越したことはないだろうけどね。……それにしても君たち、確かセントビナーの子だろ? なんで南ルグニカくんだりまで? ピクニックってわけじゃなさそうだし。親御さんは? 一緒じゃないのかい?」
「親はいません。友達を捜してるんです」
きっぱりとした言葉にレグルは仰天して目と口をめいっぱい開いたが、ルークの一瞥に制されて抗議の言葉を呑み込んだ。
……必要以上にナイーブになることはないのだと、わかってはいる。しかし……あまり表立って公言してほしくなかったような……胸中にもやもやとした何かがわだかまる。
「家出人かい?」
「……わかりません。昨日からずっと姿を見かけないんです」
「それは心配だな。その、『たちの良くない人たち』とやらが関わってなければいいけれど」
「俺たちも、それを心配しています」
「そうだとしたら余計に、子供だけで捜し回るのはよくないな。通報はした? 軍か町の自警団に任せたほうがいいよ」
「……軍は信用できません。自警団も、無理です。俺たちは、親なしのはぐれ者なので」
きょとんと丸められた空より淡い水色の眼差しがルークとレグルの顔を一往復すると、ふと虚脱するように頭上を仰ぎ見た。なるほどね。青年は呆れたように呟く。
キムラスカ、マルクト、ダアト。各三国に属するすべての人民には、未登録のレプリカを発見した際、通報する義務がある――骨の髄に叩き込まれた警戒心に火種が放り込まれたのを自覚し、レグルは全身に緊張をみなぎらせた。瞬時にして次にとるべき対処が頭の中を駆け巡る。手は自然、腰へと伸びる。
かちゃり。鍔と鞘が触れ合う思いのほか大きな音に、レグルは全身を粟立てた。それは確かにレグルの左手がたてた音に違いなかった。
切迫してくると、本来の利き手で腰に帯びた木刀に触れるのがレグルの癖だ。だが、いつもなら木製の慣れた感触が触れるはずの場所にあったのは、当然ながら硬質な刀の鞘だった。
他者を切り裂き、退けるためにある、確たるちから。
ふいに、自分が何をしようとしていたのかを思い知って、レグルは愕然と凍りついた。
……そうだ、この男を危険因子と見なし、より確実な安心を確保するならば――万難を排するという理念は実力行使に取って代わる。刃を向けて脅すだけでは意味がなく、かといって対処を放棄し尻尾を巻いて逃げ出すのではまた意味をなさない。確実に口を塞ぐためにとるべき選択肢は、初めから、ひとつきりだ。
手のひらがどっと汗をかいた。為さねばならぬことを悟りながら、けれどレグルは一歩も動けない。「お前と、お前の護るべきもののためには手段を選ぶな」――長老の言葉がぐるぐると頭の中で幾重もの輪を描く。
「なんだか雲を掴むような話だね。二人きりじゃあ大変だ。僕も何か手伝おうか?」
「いいんですか?」
レグルの葛藤など知る由もなく、間抜けなほど友好的な会話は続いていた。至極素直に男を信用しているらしいルークの声音が、胸に刺さる。
男は少し同情的に笑っている。てらいなく他人の懐に入れてしまう、そんな素朴な人柄がうかがい知れる笑みだった。
……この男に密告する気はないのかもしれない。いや、あるいは親切を装って味方のふりをして、あとでしらっとした顔で闇市や役人に突き出すつもりなのかもしれない。レグルの中を猜疑と躊躇が順繰りに押し寄せる。気持ちを一箇所に捕まえて置けない。
「たいしたことはできないけどね。そうだなあ、商売がてら簡単に聞き込みしておくぐらいなら」
「いえ、とても助かります。俺たち、街中は苦手なので」
「じゃあ、まずは峠を越えようか。行き先はアクゼリュス方面でいいのかな?」
「はい。とりあえず東ルグニカに戻りたいんです」
「ちょうどいいや、僕もそのルートで北上するつもりだったんだ。また狼たちに嗅ぎつけられないうちに出発しよう。――と、その前に、先に訊いといたほうがいいかな。行方不明のお友達の名前と特徴は?」
「歳と身長は俺たちと同じです。髪は砂色、目は紫。――名前はメティ。メティスラヴィリ」
……血が、沸騰した。
「――やめろっ!!」
たまらずレグルは怒鳴りつけていた。鞘を掴んだ手は離せないまま。
なぜか、とても嫌だったのだ。ルークと自分以外の他人の存在を受け入れてしまうのが。自分たちのことを少しでも誰かに知られてしまうのが。ルークが、あまりにも簡単にメティの名前を口にしたことが。
突然の勘気に振り返った大小二人の、きょとんと他意もなく見つめ返してくる表情が、いっそうの疎外感と焦燥を煽る。レグルは精一杯の虚勢をひねり出して、男を見上げる視線に力を込めた。
「テメェに教えてやることなんかなんもねぇんだよこのムダお節介っ!」
「ちょ、レグ――」
「おれたちの問題はおれたちで解決すんだ、野次馬は口出しすんなっ、とっとと失せろッ!!」
叩きつけるように吐き捨てて身を翻し、レグルはルークの制止も聞かずに早歩きでその場を離れた。決して走り出しはせずに、しかしこれ見よがしに肩を怒らせわき目も振らず前のめりに、右足と左足が先へ先へと争うように山道を蹴りつけながら目的地への距離を縮めていく。握りしめたままの鞘が、汗でじりじりと滑って気持ち悪かった。
思ったままに吐き出すだけ吐き出しても、胸中にうずを巻いたもやもやは簡単には消えてくれなかった。目の前に突きつけられていたはずの選択肢を、わけもわからず心臓を焦がした怒りを口実にして放棄した事実が、色鮮やかに胸を塞ぐ。
何もかもを振り払わんと正面を睨みつけるようにして必死に手足を動かすレグルが、遥か頭上をよぎった紙鳥に気づけるはずもなかった。