依傷
一体どれだけ気絶していたのか、俺は急激に揺り動かされた振動で眼を覚ます。
すっかり真っ暗になった世界、雨は少しだけ弱くなっていた。暗闇の中で蠢くものに気付いた俺は、俺を揺さぶった影に焦点を合わせた。
視界に入ったのは、思わずうっと呻くぐらい明るい光だった。かたかたと音を立て、それが付き付けられる。光に眼が慣れてきて飛び込んできた文字は、無機質なのに感情がよく伝わった。
『こんな所でなにをしているんだ、静雄!』
「……セル……ティ……?」
暗闇に融け込む黒のライダースーツ、フルフェイスのヘルメット。俺の数少ない臨也公認の友人、セルティ・ストゥルルソンが眼の前に居た。
何でセルティが此処に居るんだろう。セルティと言って浮かぶのは、新羅。ああそうか、俺を心配した新羅がセルティに俺を探すように言ったのか。
狭いトンネルに身を縮こまらせる俺、そして同じくらい屈みこんだセルティ。二つの異形がこんな狭い場所に押し籠められているが、俺はセルティを見ても何の感情も沸き上がらず、ぱっと手を振って顔を反対側に向けた。
「放っておいてくれ……」
『何を言っている。震えてるじゃないか!』
臨也と関係が深いセルティを見たら、一気に臨也の事を思い出した。眠りながら死ぬなんて甘い事、やっぱり臨也は赦してくれないんだな。そういえばセルティは黒い鎌を生み出せるんだ。死神みたいに。はは、死神のお迎えなんて人間じゃない俺にぴったりじゃないか。
「なあセルティ……」
『なんだ』
「……俺の、首……刎ねてくれねえ……?」
指で自分の首をちょいちょいと叩く。死にたい、と言い、やつれ切った俺の顔にセルティはぎょっとしたような仕草を見せるが、怒りなのか、PDAを叩く手がかなり粗い。
『ふざけるな! 自殺の手助けなんてまっぴらごめんだ。新羅にお前を連れてくるように言われた。これは依頼だから私はお前の意思を無視して連れていくぞ』
「殺してくれよ……もう、……生きる意味が無いんだ……」
このままでは舌を噛み切って自害しそうな俺にセルティは一発殴り、そして何処からか現れた影で俺を拘束した。拘束というよりは保護に近く、まともに歩けない俺を担ぐにはセルティの細腕では不可能で、そのままバイクのサイドカーに乗せられた。
降り注ぐ雨から俺を守る為にわざわざサイドカーに屋根までつけてくれ、セルティの優しさが伝わる。だが俺はまるで死んだように落ちくぼんだ眼をセルティに向ける。
「助けてくれ、セルティ……俺を解放して……」
付き付けられたPDAには怒りが滲み出ていた。
『死が解放なんて私は認めない!! 臨也に好かれたいならどんな手を使ってでも、あの男を掴んで離すな!』
「……」
『生きようとしない奴の助けなんか死んでも嫌だ!』
「……優しいなあ……セルティは……」
その優しさが、俺を殺すんだ。
そう呟いた俺を無視し、馬の嘶きを響かせながらセルティはバイクを操った。
切り替わる町の風景。それを眺めながら既に生を諦めた俺の思考はどうやって死ねば臨也は赦してくれるのかという発想に切り替わっていた。
俺は怪物的な膂力を持ち、頑丈な身体を持つ。だが中学生という未発達な肌は切り裂くには十分だし、人外の力以外じゃ首を刎ねるのは無理かもしれない。あ、セルティには首が無いんだ。少し傷ついてたのかな、ごめん。じゃあどうしよう。失血多量って手があるか。全身の皮膚を破れば死ねるかな。舌も噛み切れるか微妙だからな。新羅に頼んだって自殺薬なんかくれないだろうし。というか、自分で試した事無いけど俺の皮膚ってどのくらい力を込めたら切れるんだろう。
考えていた時に、律儀に信号で止まるセルティ。何気なしに道路に眼を向けると、都合良く雨に濡れた硝子の欠片を見つけた。手を伸ばして拾い上げる。それに気付いたセルティが訝しげな動作を見せるが、俺は躊躇い無く、リストカットでもするようにその欠片で左の手首を引き裂いた。
『何をしている静雄!』
「……駄目だな、こんなんじゃ……」
影が俺の手にある硝子を包む。切れた肌の線から鮮血が伝うのが暗闇でもよく判った。当然だが致死量にはとても届かない。硝子でこの程度じゃ、もっと固くて鋭いものじゃないといけない。それが判っただけでも収穫はあったな、と取り乱すセルティの横で俺は社長が座る椅子に腰かけるように背もたれに寄りかかる。声を持たないセルティは、頑なにPDAを突き付ける視線さえ避ければ意思を伝えられない。俺はそれをすべて拒絶しながら眼を閉じる。
信号が青になり、やむなくバイクを発進させるセルティ。優しい彼女を悲しませる結果になるけど俺は生きられない。俺にとって一番重要なのは臨也だから。
やがて辿りついた新羅のマンション。臨也のよりは劣るけど十分高級感が溢れている。新羅の自宅がある階までバイクを移動させ、影で作ったサイドカーを消滅させる。座り込む俺を無理矢理立たせ、怒りが収まらないセルティはドアを蹴り飛ばす勢いで開け放つ。セルティに引っ張られながら玄関口に上がった俺は自分の服や髪から滴る水滴で床を汚す事を申し訳無いと思いつつ、廊下を曲がる。
「っ、?」
曲がった途端、前のセルティが足を止める。何があるんだろうと額に張り付いた前髪の隙間から、臨也を見つけた。
「あ、……ひっ、」
それだけ零し、思いがけない臨也との再会を脳が拒絶するように、臨也を視界に入れ臨也だと認識した瞬間に俺は恐怖の余り気絶した。
ごとりと重い身体が床を打つ。臨也の声が聞こえない。聞きたくない。俺を否定する言葉、俺を拒否する言葉。そんな言葉はもう、要らない。もう、……たくさんだ。