君への涙
──太陽暦460年。
瞬きの紋章特有の歪む時空の圧迫感と共に宙に放り出されたフッチは、慣れた動作で受け身を取った。膝を付き嘆息する。
「またか……今度はどこに──って、」
こめかみに手を当てながら瞼を開いた先には、のんびりと瞬くビッキーが居た。
「あれあれ?? あなただぁれ??」
「誰って……」
まさか、と周囲を見渡す。過去に過ごしたあの石壁造りの城──
「──十五年、前だ」
すんなりと、そう理解出来てしまう自分が憎い。いや、この場合は喜ぶべきなのだろうか。
姿は違えど主の匂いを嗅ぎ取ったのか、ブライトがその背に張り付いてくる。後ろ髪を食まれ、自然天井を仰ぐ形になった。空へ、風へ、遠く想いを馳せる。ルック──ここには君が、居る。
そのとき、転移の風が頬を髪を撫ぜた。淡く光を散らす風の中から姿を見せたのは──
「ちょっとビッキー。時空が歪んだ気配がしたけど……またやらかしたんじゃないだろうね」
尻拭いする僕の身にもなりなよ、と悪態を吐いたあと、ルックは胡乱気に目の前の青年を睨んだ。
「誰だいあんた。……その竜冠、」
目を細め、何かに気付いたようにルックは嘆息した。ブライトが肯定するように一声鳴く。
懐かしい、今は敵となってしまった少年を認めた途端溢れ出しそうになる涙を堪え、フッチは精一杯の笑顔を作った。
「フッチだよ。──十五年後の」
「へー! 十五年後のフッチ!? 本当に!?」
事を荒立てないようにと内密に向かった先で、ぺたぺたと遠慮の欠片もなく全身を触られる。キラキラと眸を輝かせる彼は同盟軍の軍主リオウその人だ。フッチは苦い笑みを浮かべてそっとリオウを引き離すが、けれど彼の興奮は冷めやらない。
「へー! へー!! すごい! あの美少年がこんなことになるなんて!!」
「美少年って、」
「その格好……ってことは竜洞に戻れたの?」
逞しく成長した騎士然とした姿に、その辿り着いた先の未来が容易に知れた。
「ええ、おかげさまで」
リオウの満面に笑みが広がる。我が事のように喜びを露わにして、あれもこれもと続けて問うた。
「じゃあさ、じゃあさ、ブライトは!?」
それには、くちびるに人差し指を添えてそっと微笑むことで応える。
「あまり未来のことを話すのは憚られるので、断言は避けます。それに──僕の居た世界とこことは、正確には違う軸のようですし」
「? なんで??」
「十五年前に、時空を超えた記憶がないからです」
「ああ、なるほどなー。えーっと、ぱられるわーるど?てヤツ?」
うんうんと頷きながら、リオウは腕を組み首を傾げた。そうして思い付いたように手を叩く。
「そうだ、折角だからみんなに会ってかない? こんな面白いこと滅多にないもの!」
キラキラと輝く眸が眩しい。言いながらフッチの腕を掴み今にも駆け出そうとするリオウを何とか引き止める。
「いえ……こちらへの影響もありますし、遠慮しておきます。──ああでも、少し……ルックと話がしたい。構わないかい」
最後の問いは、窓辺に寄り掛かり静かに瞼を伏せているルックへ向けて。自身の名が出たことに不快気に一瞥する視線が絡んだ。
「何で僕なのさ」
答えはない。先に折れたのはルックだった。
「──煩いのが居ると面倒だ。僕は部屋へ戻るよ」
嘆息し、ロッドを振るう。転移の風が柔らかに舞った。
その言葉を了承と取って、フッチはルックの元へと向かう。何も聞かずただ手を振って見送ってくれたリオウに、小さく会釈をして。