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「やんごとなき読者」(夏コミ新刊サンプル)

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「だったら次は別の作家を──少し時代は下りますが、こちらも気に入るかも知れません。これも全集ですけれど、この表題の作品はお勧めですよ」
 久藤が取り出したのは、臙脂色の布張りの装丁の本で、先日望が読んでいたものより少し厚かった。幾人かの作家の短篇が何本かずつ収録されたもののようだった。
 本を持った右手をすいと差し出されて、受け取ろうと腕を伸ばす。
「ありがとう──」
 手渡される本を受け取る──案外重い。そう思った途端に、厚い本はつるりと望の指先をすり抜けた。
「あ」
 絨毯敷きの床に鈍い音が沈む。取り落とした本を、久藤が慌てた様子で屈み込んで拾い上げた。
「……先生、すみません!」
 拾った本をすぐに棚の空いたところに置いて、久藤は眉根を寄せた不安げな表情で望の目を見つめた。
「大丈夫ですか? 足に当たったりしていませんか?」
「え……ええ。大丈夫です」
「良かった──手や指も何ともないですか?」
 心底からの安堵の表情。そうして、まだ少し案じ顔の久藤が、望の手指を大きな掌でそっと支える。望は自分の鼓動が僅かに強くなるのを感じた。
「すみません。僕が重いですって云わなかったから」
「そんなことはありませんよ。私が取り損なってしまっただけです」
 これまでに、望の前でこういった失態をした人は何人かいる。いずれもさっきの久藤と同じように青ざめて、申し訳ありませんでしたと平身低頭した。
 慣れているはずの状況を、けれど今日は違うと望は感じていた。
 彼の言葉は、貴人の前で失態をしたこと、それによって叱責を受けること、失脚するかもしれないことを恐れての詫び文句ではない。
 彼は、真実から自分のしたことで望が傷つきはしなかったかどうか、そればかりを案じてくれている。そう分かったから。
「私だって、本が重いものだということくらいは分かっているんですよ。前に百科事典を持ち損なったこともあります」
 よく考えれば偉そうに云うようなことでもないことを得々と語ってしまって、望は言葉尻に思わず唇を笑ませた。
「久藤くんがあんまり軽々と持っているから、同じ調子で持とうとしてしまったんですね」
「僕は慣れているから──先生は、小さい手をしていますね。僕と同じようには持てなさそうです」
 そう云われれば、望の手を支える久藤の掌は、両の手で望の手をすっぽり包み隠してしまえるくらいに大きい。背丈は望より幾分低い久藤だが、ひょろひょろとした望より余程力はあるのだろう。
「陛下……どうかなさいましたか?」
 不意に図書室の控えの部屋の扉がノックの音を立てる。隣で控えていた時田が、物音を聞きつけて気にかけたのだろう。
「あ……すみません」
 慌てたように、久藤が望の手から指を外した。
 温かかった久藤の手が離れると、なんだか急に指先がひんやりする。
「なんでもありません。少し本を落としてしまっただけです」
「──お怪我はございませんか?」
「大丈夫です。床に落ちただけですから。そのままそこにいてください」
「かしこまりました」
 扉から離れたらしい気配の控えの間の方に目を遣って、望は久藤に笑いかけた。
「時田がずっと張り付いていると久藤くんも落ち着かないでしょう? 今日はあそこにいて貰っています」
「そうですか……なんだか申し訳ないですね」
「こんな風に外の方をお招きするのは初めてですから、心配しているのでしょう。慣れればきっと構わないでおいてくれます」
 それはそうと、と望は先ほど久藤が棚の上に置いた本へ手を伸ばした。
「久藤くんがお勧めしてくれた本を読んでみましょう。見せてください」
「はい、先生。重いですから気をつけて」
「ありがとう」
 厚い全集本を、今度はしっかりと両の手で受け取る。布張りに箔押しの表題が書かれた表紙。
「では、私はそこでこれを読んでいますので、久藤くんは好きに本を選んでいていいですよ」
「ありがとうございます──見せて頂きます」
 嬉しそうな様子に眼を細めて、望は窓際に設えたソファに掛けて、示された作品を読み始めた。
 二ページ、三ページ読んでみただけで、彼が薦めてくれる作品には間違いがないと思わされる。
 言葉が美しく、即座に物語世界に引き込まれる力を持った作品を、彼はいくらでも知っているのだろう。
 引き込まれて先へ先へと読み進め、少し目が疲れてふと顔を上げると、背の高い本棚の上の段の方の本を取ろうと、備え付けの脚立に乗って本を選んでいる久藤の姿が見えた。
 思わず気になる一節があったのだろうか、脚立に立ったまま本を開いて、そのまま暫し読み耽っている。文字に没頭する、真剣な横顔。
 少しの間その横顔を見つめて、そうして望も読みかけの本に目を戻す。
 古い図書室の空間は、交わされる言葉もなく、ただひたすらに静かで張りつめている。それが、望には何とはなしに心地よかった。