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「やんごとなき読者」(夏コミ新刊サンプル)

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「──先生?」
「え……あっ──」
 考え事をしていたせいだろう。姿勢が不自然に傾いた望を久藤が呼んだ、と気付いた時には、望は脚立の梯子から足を踏み外して転び落ちようとしていた。
「危ない……っ」
 がくん、と落下感。そうして──不思議な浮遊感。落下の痛みを待ち構えるしかなかった望の体は、久藤の腕にしっかりと抱きかかえられていた。
「――先生、大丈夫ですか?」
 彼よりも上背のある望の体を軽々と抱き留めて、案じ顔で久藤が望を呼ぶ。
「はい──ありがとう……」
 ゆっくりと頷いた望に、ほっと安堵した表情を見せて、久藤は望の体をそっと床に下ろした。足に力が入らなくて、絨毯の床にぺたりとへたり込むような格好になる。
「良かった──」
 絞り出すように久藤はそう云った。そして、もう転ぶ心配も支える必要もなくなった望の体から解けて離れるだろうと思われた久藤の腕は、離れることはなく──むしろ更に強く、望の体を抱きすくめていた。
「え──」
 腰と背に、きつく絡みついた腕の感触。抱き寄せられて、体のあちこちが彼の胸に、肩に、足に触れていくのを感じる。
 震える自分自身の吐息が、彼の短い黒髪を微かに揺らすのが見えた。
「久藤、くん……」
 どくどくと鼓動が高鳴る。身じろぎもままならないほどに望をきつく捉える腕の強さ、間近に感じる──人の体温。
 こんな──こんな風に、誰かの気配を自分のすぐ傍で感じた事なんてない。
「先生……好きです」
 望の体を強く、強く抱きしめたまま、久藤は震える声でそう告げた。
「あ──」
 真摯な声音。その言葉の中に篭められた思いの熱さに、望は息を呑んだ。