死人に口なし
屈辱@臨也
目的地に着いたのか、バンはゆっくりと停止した。臨也は両手を握り締め、視線だけで辺りを伺う。そこは寂れた波止場だった。人気は全く無く、他に仲間が待っているわけでもなさそうだ。淀んだ海水が、日を照り返しながらうねっていた。
「おい、出るぞ」
車内の温度が上がってきた頃、黒髪の男が言った。男達が扉を開けると、生温い空気と共に、磯の匂いが鼻についた。三方の扉がほぼ同時に閉められ、気圧で耳が痛む。車内には臨也一人だ。このままどこかへ行ってくれれば良かったのだが、すぐに黒髪の男が臨也側の扉を開いた。出ろ、と動作で促される。
背後で扉が閉められる音を聞きながら、臨也は周囲を見回した。海か建物、近いほうに走るつもりでいたが、こうして見るとどちらとも距離がある。
一瞬の躊躇を経て、臨也は動いた。
「おい!」
驚いて静止に入った黒髪の男に、持っていた刃物を一閃して牽制する。臨也は、窓枠の僅かな出っ張りに足をかけて、一気にバンの天板へ駆け上がった。男達が唖然として臨也を見上げる。
臨也は口元のガムテープを引き剥がした。息苦しさから開放され、ほっと息を吐く。
ボンネットの無い車高二メートルのバンは、臨也に有利だった。男達はそれぞれ獲物を取り出したが、手を出しあぐねて固まっていた。臨也はゆっくりと潮風を吸い込み、男達を見下ろした。
「いやぁ、残念! ボディチェックが甘かったね! 手を縛って安心した? 俺がこういう事態を想定して無いと思ったのなら、アンタ達は本当に、詰めが甘い。だからこうして次々ボロが出るんだよ」
臨也は軽い調子で話しながら、片足を曲げて立ったまま靴の踵を触った。その奇妙な動きに、男達は警戒を強める。臨也は踵部分に指をかけ、引き抜いた。臨也が手にしたものを見て、男達がぎょっと目を見開く。
それは、小型の隠しナイフだった。
最初に手を縛っていたロープを切ったのは、ベルトの背中側に仕込んでいた細身のナイフだ。カッター程度で戦闘には向かないが、こうした状況では十分に使える。臨也は車中でロープを切り、その端を握りこんで、ずっと縛られたフリをしていたのだ。臨也はその他にも、いくつか隠し武器を所持している。
「余計なこと考えないで、さっさと逃げれば良かったのに。昨日の死体だって、モノはなくても捜索願が出る。深夜の撤収時に見られたってことは、現場近くに住んでる人だろう? 近くで強盗と失踪が同時に起これば、警察は関連を疑うよ。あの家の長男がギャングのリーダーだったことも、その敵対グループのアンタ達のことも、きっともう調べ始めてる」
臨也は今まで黙っていた鬱屈を晴らすように、一方的に話し続けた。それは殆どが憶測だったが、金髪の男が激昂して臨也に反論した。
「だとしたら、お前だってタダじゃ済まないだろうが! 死体方付けたお前もよぉ!」
「さぁ? 知らないなぁ。……よく考えてみてよ。アンタ達だって、俺が何をしたのか知らない。死体を所定の場所に置いて、それから?」
臨也はにやりと男達を見下ろした。実際、男達に名前を出されれば、捜査の手が臨也にも伸びるのは確かだ。だから、そのための保険として運び屋を介したのだ。
一時の開放を得て、臨也はこれからの行動を考える。
――――――やるしかない、か……。
結局、車中でひたすら繰り返した考えと、同じ思考をなぞった。こうなった以上、どうすることも難しい。中途半端に怪我を負わせれば、捕まった後に傷害だと名指しされるだろう。正当防衛が通っても、何故臨也を誘拐することにしたのか、刃物を持っていたのか、どんどん薮蛇だ。
汗で滑るナイフの柄を握り締めながら、臨也は自嘲気味に微笑んだ。視線が一瞬海を捉える。
――――――……俺も結局、普通の人間ってことだな。シズちゃんみたいに、ぷっつり切れて暴れられたら、楽なんだろうけど。
昨日の死体が脳裏に浮かぶ。あれは刺殺体だった。臨也が手を下しても、同じようになるのだろう。頭では分かっていても、実行する踏ん切りがつかない自分を、臨也は確かに感じていた。
しかし、臨也が動く前に、唐突に空気を切り裂くブレーキ音が響き渡った。男達が一斉に振り向く。臨也も音の発生源に目を向けた。
そこにいたのは、見覚えのあるライダースーツだった。臨也は思わず目を丸くする。そして、その後ろに跨っている人物を認識して、考えるより先に、叫んだ。
「黒バイク!!」
口の利けないセルティは、返事をすることもない。しかし臨也は構わず、無口な運び屋に対して声を荒げた。
「何やってんだ! 何を連れてきた!!」
臨也の中で、静雄に電話をかけられたことは、既に終わった話だった。静雄が携帯を握りつぶして終わりだろうと、そう思い込んでいた。
「何だぁ? てめーら?」
キャップの男が、場にそぐわない頓狂な声を上げた。
「あれじゃね? 後ろの金髪。平和島静雄」
「いや、早すぎるだろ。……でも同じ制服だな」
「あの黒い奴は何だ?」
男達が、突然の闖入者に疑問を浮かべるが、誰も答える者はいない。臨也はギリギリと、静雄とセルティを睨みつける。
「シズちゃんも、いつからそんなお人好しになったんだい!? 冗談じゃない! 君に助けに来られるなんて、虫唾が走る!!」
臨也はこんな状況にも関わらず、我を忘れて怒鳴り散らした。腹の底から、我慢ならない激情が湧き上がってくる。
「……別にお前助けに来たんじゃねぇ!」
それまで黙っていた静雄が、吠えるように口を開いた。
「じゃあ何しに来たのさ!!」
「セルティが行くって言うんだから、しょーがねぇだろうが!!」
「何でセルティが出てくるんだよ!!」
「新羅が行けっつったからだろ!!」
「だから何で新羅が!!」
「あー、めんどくせぇ! ……なぁセルティ、あの車のとこにいる奴らだろ? あれだったら、ぶっ飛ばしていいよなぁ?」
不毛な言い争いに、先に痺れを切らしたのは静雄だった。セルティが僅かにヘルメットを揺らしたのを確認して、静雄はバイクを降りた。拳の間接を鳴らしながら、ゆっくりとバンに歩み寄る。
「あれだろ、あんた達、俺に電話した奴らだよな? 思い出したらむかついてきたわ。お前らのせいで、こんなめんどくせぇことになったんだよなぁ? だから、これは正当防衛ってことでいいよな?」
静雄は口元だけを歪ませて笑みを作った。その表情が危険だと判断出来るのは、今は臨也だけだ。臨也も僅かに口元を引きつらせる。
「やっぱあいつだってよ、平和島静雄」
「人質いねぇし、やばくね?」
「獲物あんだから何とかなるだろ……おい、お前は折原見とけ」
金髪の男と黒髪の男が、それぞれにナイフを構えて静雄を向かい討とうとする。その様を滑稽に捉えながら、臨也はキャップの男を見下ろした。
――――――もう、最悪だ。さっさと退散して、後で手を打とう。
思考とは裏腹に僅かの安堵を抱きながら、臨也は一人目の男が吹き飛ばされる音を聞いた。