欠けた彼女と混濁した彼と
欠けた彼女と混濁した彼と +
「この時期だとどこが良いですかね」
旅行のパンフレットを眺めながら彼はそう呟いた。
『どこだろうと少し遠出になるな』
別のパンフレットを見ながら彼女が返す。
『ていうか、帝人は酒を飲む口実が欲しいだけだろ』
「そうです」
2人の手からバサリ、とパンフレットが投げ出される。最初から行く気などないのが丸分かりだ。
『やっぱり休日は家でゴロゴロするに限るな』
「ですね」
2人は言いながら片づけを始めた。
彼女も彼も人間ではない。彼女、セルティ・ストゥルルソンは『首』を失くしたデュラハンであるし、彼、竜ヶ峰帝人は蛇妖を食って不老を得た元・人間である。20年前、池袋へ来たばかりのセルティと、日本各地を逃げ回っていた帝人が偶然出会い、昨年までは手紙等のやり取りで細々と繋がっている希薄な関係であったが、再会してみると、何が気に入ったのかは皆目見当もつかないが帝人は池袋に住み着こうとしていた。池袋に仲間らしきものがいないセルティにとって、帝人は貴重な存在なのだろう。構いたくて仕方ないらしく、以来、セルティの休日は凡そこんな様子だ。首のない妖精と元・人間は岸谷家で小市民の如く、ほとんど何もせずに過ごしている。
「……あ」
その日も岸谷家で休日を満喫していたところ、帝人が不意に声を上げた。何だ、とセルティが観ていたDVDを一時停止して振り返れば、
「鱗が剥がれました」
顔の一部に鱗を浮き上がらせた帝人が剥がれ落ちた鱗を拾い上げてヒラヒラと振って見せている。
『ギャー!?』
ヘルメットを外していたため、切り口から溢れる影がボフン、と爆発し、収束するやセルティは隣室にいる新羅を呼びに走る。戻ってくると帝人の顔中に鱗は広がり、それを見たセルティの影は再び爆発した。
『大丈夫か、帝人!?』
「もしかして、脱皮みたいなもの?」
「みたいですね、何年かに一度なるんですよ」
慌てるセルティを他所に新羅も帝人も冷静だった。
「他人様の家を散らかすのも何ですし、僕、帰りますね」
「いや、その顔でどう帰るの。脱皮直後の鱗は柔らかいと思うし、このままここにいた方が良いよ」
「屋根とか伝えば大丈夫ですよ、きっと」
「臨也と静雄が出くわして、どこかで殺し合いしてるかも」
「…………すみません、お言葉に甘えます。新聞紙とかありますか?」
あるよ、ちょっと待ってて、と新羅が新聞紙を取りに行っている間にもう一枚、ペリ、と剥がれた。本物のヘビみたいに一度に全部剥ければ楽なのに、と言いながら帝人は着ていたシャツを脱いだ。ペキペキと音を立てて背面に鱗が浮き出てくる。
「何か刺青みたいだね」
戻ってきた新羅が興味深そうに言った。新聞紙を受け取った帝人は2~3枚を広げるとその上に座り込み、ベリベリと躊躇なく顔面の古い鱗を剥ぎ落とす。
『痛くないのか』
「あんまり痛くないです。残しておくと痒いし」
全部剥いだかどうかを手で触れて確かめ、残っていないと判断すると首の鱗を剥がし始めた。やはりベリ、と躊躇なく。咽喉から胸骨の上にまで生えている逆鱗を避けているところをみると、その部分は生え変わらないようだ。逆鱗の近くを粗方剥ぎ終えると、ザカザカと顔面の時より更に荒っぽく落とし始める。下にある皮膚が傷つかないのかとセルティが手を出しかけると、
「あ、背中、手伝って貰って良いですか」
届かないんですよね、と頼まれてしまった。それは大丈夫なのか、と手を引っ込めようとすれば、
「僕もやって良い?」
と新羅がベリリ、と良い音を立てて剥がし始めた。お願いします、と帝人も気にせず自分の腕の鱗を削ぎ落としている。
「お腹はないんだ?」
「そうなんですよ、内臓詰まってるのに危ないですよね」
腹から脚にかけては生えないらしい。背中は新羅に任せておいて腕、胸、肩、と剥がし終えた帝人はズボンを腿まで捲り上げて、それまでと同じように作業する。
「セルティ、これ、梱包材のプチプチを潰す感覚に似てるよ、楽しい!」
新羅にそう言われてしまうと、小市民の娯楽を体験しないわけにもいかず、要は好奇心に負けて、いい年の大人2人が少年に生えた鱗を剥がしまくる、というシュールな画が出来上がった。
そして約1時間後、
「今回はお二方の協力で早く終わりました、ありがとうございます」
幾分スッキリした表情と若返ったような気がしないでもない肌で、帝人は頭を下げる。広げた新聞紙の上には直径5cm程のほぼ透明な鱗がザラザラと落ちていた。形の良いものを一枚、手に取って光に透かしてみればシャボン玉のように色を変える。ちょっとしたガラス細工のようにも見え、そしてどこかで聞き及んだ迷信を思い出す。
『帝人、コレ、どうするんだ?』
「捨てますけど」
『じゃあ少しくれ!』
言いながらセルティは影で作り出した財布を出して、その中に鱗を詰める。
「あの、セルティさん?」
何をしているのか、と首を傾げる帝人にセルティはPDAを向ける。
『日本ではヘビの抜け殻を財布に入れておくと金が貯まるんだろ?』
「いやいやいや!? 確かに僕は蛇かも知れませんけど、それ抜け殻じゃないですよ!」
『でも帝人は金持ちだし、肖るって意味で悪くないと思う』
「憑きもの筋なんかに肖っちゃいけません! それにセルティさんの方が稼いでるでしょ!? 僕が肖りたいくらいです!」
『み、帝人の方が稼いでる! あと死神に肖るなんてどうかしてるぞ!』
因みにセルティの収入はその時の仕事の危険度がどれだけ高いかによって変わり、帝人のそれは本業である互助会の仲介業にどれだけ客がつくかによって変わる。とりあえず2人とも迷信云々に頼って劇的な変化が出る額の収入ではない。
「良いんです、セルティさんは恰好良いから肖っても! とにかく鱗は今すぐ財布から出して下さい! 逆にお金が逃げますよ!?」
『嫌だ!! 何かガラス細工みたいだし気に入ったから手伝い料として貰っておく!』
「な!? ならこの間の白バイからの逃走のナビ代とか取りますよ!?」
『……いくらだ?』
「影で作った何か、下さい。肖るんで」
『だから死神に肖ってどうするんだ!?』
言い合いは日没まで続いたという。
作品名:欠けた彼女と混濁した彼と 作家名:NiLi