まだ早い夜の断片
会話の中ではさらりと流されてしまったが、竹下には彼女がいなかった。彼は生まれてこのかた恋人というものを作ったことがなく、そのくせ高校時代、あるいはそれ以前からかも知れないが、女子には非常に人気があった。彼がもてる理由は誰にでも理解できる。サッカーだけでなくスポーツ万能で、夢を持ってそれに打ち込んでいる姿勢にも好感が持てるし、それに容姿も一見素っ気ない性格とは裏腹に、優しげで繊細なところがあった。
だが問題なのはその性格だ。女子は彼の寡黙な態度や陰のある雰囲気に対して何らかの憧れを抱いている場合が多い。だが実際の彼は、寡黙でもなければ陰を背負った男でもなくて、それらは全て彼が女性に対してあまりにもうぶでおくてであることに起因していた。つまり竹下は本当に女子と「話せない」だけで、決してポーズで無口を気取っているのでも、元来の性格で陰を背負っているのでもないのだ。そのことを知らずに女子は「竹下君ってかっこいいね」などと云い、当の竹下はその女子たちに苦手意識を抱いていて、彼女など作る気もなければ作ることもできない、と公言してはばからないのだった。
「いや、おれも女は信じない組に入れてもらおうかなと思って」
「なんだよ、別に俺は、ただ苦手なだけでそういうつもりじゃ……」
「判ってるよ。おまえはちょっとおかしいだけだよな」
北見が茶化すようにはやし立てていると、竹下はつきあっていられないといった体で椅子の背もたれに身体を預ける。そうこうしているうちにビールが運ばれてきて、二人は一旦会話を中断して乾杯した。北見は仲間内の集まりなどではかなり無茶な飲み方をするタイプだったが、竹下はそうでもなく、逆に酒とは距離を置こうとしているようだった。なんでも二十歳の誕生日に先輩にしこたま飲まされ、それで大失態を犯してしまったのだという。どんな失態を犯したのかは教えてもらえなかったが、それ以来彼はアルコールをやや忌避するようになっていた。それに彼は煙草もやらない。だから北見は、竹下の前では煙草を吸わないようにしていた。