ビリオン・センズ・ベイビー
人が物のように売り買いされていくことに憤りを覚えたが、では物のように簡単に命を奪ったのは誰なのかと言われると困ってしまう。自分はそんなつもりはなかったと言っても、それは加害者の論理だ。被害者には、現われたのが人買いか殺戮者である軍かという、ただそれだけの違いしかなく、未来を奪われることにはそう大きな差はないかもしれなかった。
しかしそんな感傷に酔うほどロイは弱くはなかった。後悔に目をくらますことは簡単で、それだけに逃げ場にしてはいけないことだと知ってもいた。
「…さて、次は、滅多に手に入らない貴重種です!」
マイクの声にロイは指をはじいてしまいそうになった。種、とはどういうことだ。
だがそれも、つれてこられた人間を見たらそれどころではなくなった。いますぐに会場全体に火をつけたくなった。
どよめいている理由はわからなくもない。
壇上につれてこられた少年は、…いや、生き物は、とても同じ人とは思えず、誰でも触れたいと思わずにいられないような、そんなあやしい魅力を放っていた。たとえ身を滅ぼして手に入れたいと、そう願わせてしまうような、そんな魔性を。
「…は、」
ロイは思わず呻いて頭を抑えた。
確かにあれは「彼」だろう。だが、どうしても別人に思えて仕方なかった。
白いゆったりした、古風なローブのような衣装を身に付けさせられた、小柄な、白い人物。いや。金色の人物。
蜂蜜のような、いやそれよりもなお眩い金色の髪に、伏せられた同色の長い睫。その下にはめ込まれた黄金の瞳。普段はぞんざいに結われているはずの髪はさらりと梳られて流され、輝きをほしいままにしている。端正な顔は幼さを残しているが、美しさにかわりはない。
そしてローブからのぞく鉛色の手足が、アンバランスな魅力を加えている。白い裾から覗く、薄く色づく白い素肌と、皮膚が薄くなっているのか赤みが濃い膝の継ぎ目はいっそ官能的でさえあり、照明を弾く鈍色もまた奇妙に艶めいていた。
そして。
その首には、どんな醜悪な趣味だろうか、首輪がされ、そしてその中央にあの銀時計が吊り下げられていた。
軍の狗。なればこそ、か。
ロイは腸が煮えくり返りそうなほどの怒りを感じたが、逆に怒りが大きすぎてかえって冷静になってしまった。冷静にというか、冷酷と言うのか、そこは判断が難しいところだが。
既に開始が告げられていた競りはロイの周囲でどんどん値を吊り上げていく。ロイは、静かにその中に割って入るべく手を伸ばした。
「一千万」
一瞬、あたりが静まった。が、それは本当に一瞬だった。機械鎧と銀時計、金髪金目で正体がわかった人間もこの会場にはいることだろう。買い取った後の予定など聴きたくもない。
「三千万」
何か薬でも使われているのか、壇上のエドワードに動きはない。まったくいつまで寝こけている、ミルク粥くらいでは済まさんぞ、と八つ当たりのように思いながらロイも値を吊り上げていく。
「五千万」
カフスとタイピンを無意識に弾きながらロイは動揺の欠片もなく口にする。天然のカラーダイヤはとてつもなく高い。だが手放すことになっても惜しいとは思わない。どんな高価な宝石も、エドワードには換えられない。
「七千万」
もはやロイと競っているのは一人だけだった。どんな人物かはわからなかったが、負ける気はなかった。
「一億」
ざわ、と会場がどよめいた。
少年は動かない。
組織の人間がロイに近づいてくる。落札が決まった。
ロイはエドワードしか見ていない。
「ふたつで一億分の価値がある」
エドワードが背中を押されて壇上を降りてくる。勿体をつけてカフスを外しながらロイは呟く。実際の金額は知らないが、そんなことを教えてやる義理はない。というより、いずれにせよくれてやるつもりもなかったが。
彼の目は、エドワードだけを見ている。
「お客様はお目が高い。確かに磨けばまたとない宝となるでしょう」
媚に満ちた追従が遠くで聞こえた。
ロイは近づいてくるエドワードから視線を逃さず、カフスを外した手を、再び握り締めた。
ミスター? という声はもはや聞こえなかった。席を立ち上がるとカフスを握りしめたままの拳で男を殴り飛ばし、階段状になっている席を一気に駆け下りると、連れてこられるエドワードを腹から掻っ攫って、そのまま外へと駆け出していく。予想外の事態に一時場は騒然としたが、そのあたりは組織も一応素人ではないのですぐにも追っ手がついた。だが、いずれも発火布をつけた焔の錬金術師の敵ではない。
建物を破壊しないよう、かつ入り口だけは器用に塞ぐようにして、ロイは「荷物」を抱えながら出口まで走る。
中の騒ぎを聞きつけて、本隊が突入する手はずになっている。合流してしまえば、ロイの仕事は半分以上が終わりのはずだ。
「…しつっこい!」
ロイは半身になって容赦なく追っ手の体だけが吹っ飛ぶように、その足元を狙って爆撃を起こした。こうなってくると、「荷物」が大人しくしてくれていることだけが救いだった。これで暴れられた日には確実に逃走の妨げとなっていただろう。
「…ちっ」
ひとまず追っ手をまいて、ロイは、目に付いた部屋に身を潜めることにした。単純に視線の先にあったからだが、ドアを蹴破ってみて顔をしかめた。組織やオークションの質を考えればおかしくもないのだろうが、飛び込んだ部屋の奥にはベッドがあって、その上では忙しく肥満した体を動かす男がいたからだ。下にも誰かいるのは勿論聴かなくても解る。わかりたくもなかったが。
「な、なんだ、きさまは!」
男が慌てて振り返り、ロイにがなりたててきた。だが肩に担いだ状態の少年を確かめると、好色な笑みを浮かべて舌なめずりした。
「なんだ、部屋を間違えたか? ここはVIP専用…」
その台詞で、ロイは、自分が同類だと思われたことを理解した。彼は黙って空いた方の手を上げると、容赦なく指を弾いた。
男の体の下には、まるで人形のように無反応な娘がいた。放心しているように見える。どうせ乱入するなら間に合ってくれたらよかったのに、とロイは一瞬思ったが、今からでもまあ遅くはないかもしれない。
ぷすぷすと焼け焦げた男が何もいわず部屋の隅に転がると、まだ随分と若そうな娘は半身を起こした。その身は中途半端に乱されていたが、下着はつけているように見え、妙な話だがロイは少しだけ安堵した。本当に少しだけ。
「東方司令部だ。組織を検挙しに来た」
娘は怪訝そうな顔で首を傾げた。それに、ロイは困ったように眉をひそめる。
今目の前の娘を助けなくてはいけないと感じるのは、肩に担いだ少年の無事を誰より祈っていたせいだと気づいていた。重ねてしまわずにいられないのだ。もしもこの娘のように、誰とも知らない人間に彼が買い取られていたと思うと血の気が引く。今ここで助けたのが彼でなくこの娘であったことに一瞬ほっとした自分は最低だと思った、そういう背景がある。
「…これから皆逮捕される。…君も服を着ておいで。もう大丈夫だ」
作品名:ビリオン・センズ・ベイビー 作家名:スサ