No Rail No Life
【STRESS/ストレス】
――熱を出している時はろくな夢を見ない。
うなされて目を覚まして、東海道ははっとした。一瞬そこが自分の部屋であることがわからなかった。
夢は過去の映像の繰り返しだ。しかも、たいていは思い出したくもない過去の。体調が悪いときはいつでも、誰でもそうだというけれど、自分の場合大体決まっている。
はとの分際で――
耳をふさいでも声は内面からするのでふさぎようもなかったけれど、とりあえずは頭を振って、東海道はのろのろと枕もとの水を手に取った。口の中がぬるりとして気持ち悪かったが、喉が渇いていたのだ。
と、こんこん、と控えめなノックの音がした。
「…誰だ」
「ぼくです、長野です」
「長野か…」
東海道はよろけそうになる足元に気を払いながら、ドアを開けるべくベッドを立つ。そうしてドアを開けば、最初に目に入ったのは目線まっすぐのところに見えた濃緑の制服。
「…?」
長野はそんな、見上げるほど大きいなんて事はない。
「東海道、大丈夫?」
目線の先の胸板の主の声が初めてした。頭上からの声に顔をしかめ、そうしてあえて上ではなく下を見れば、大丈夫ですか? と無心な瞳で問いかける長野がいる。
「…たばかったな上越…」
ぽつりと呟き、東海道はとうとう上を見た。そこでは上越がにこにこと笑っていた。彼は、笑顔で刺してくる男なので東海道は眉根を寄せた。
しかし長野を伴ってきたことからしても、上越は何も、夏風邪なんだって? と東海道をからかいにきたわけではないようだった。
「アイス食べられる?」
「…バニラは?」
「あるよ。長野はクッキー&クリームだよね」
「はい」
まずはバニラアイスを長野に手渡す。不思議に思い瞬きした東海道の前で、長野はバニラの蓋を取り、中のシールをはがした。そこで紙ナプキンを下にしいた状態で、とうかいどうせんぱい、と呼びながら差し出す。
「…あぁ…、ありが、とう」
「いいえ」
長野はついでスプーンを袋から出して東海道に渡した。それも受け取り、東海道は瞬きした。しかし長野は笑うだけだった。
三人でアイスを食べながら(上越は、カフェオレ味)長野と上越はちょっとずつ質問したり、他愛のない話をしたりなどしていた。
「この時期の風邪ってさ」
ぴくり、と東海道が反応する。
大方、夏風邪は馬鹿がひく、とか言われると思ってるんだろうなあ、と上越は他人事のように思ったけれど、そんな捻りのないことを言うのは彼のプライドが許さなかった。陰険には陰険なりのプライドというものがあるのだ。そんなスマートでないことは言わない。
「暑くて汗かいたりするから、余計に治らないっていうじゃない」
「そうなのですか?」
ほわ、と素直に驚く長野に、そうだよー、と上越は軽く答える。
「疲労が原因のことも多いよね。まあ、君の場合は、疲労が八割だろうけど」
ねえ、と東海道の顔を覗き込めば、困ったような顔をしてもごもご口ごもっていた。たいそうわかりやすい。
「まあ、さ。本格的に壊さなくてよかったんじゃない? 夏休み前にさ」
「なつやすみはおおいそがしですものね」
うんうん、と長野が大人ぶって頷くのがおかしくて、東海道はついつい噴出してしまった。きょとん、とした顔で長野が「とうかいどうせんぱい?」と首を傾げる。
「な、なんでもない」
「…。熱は?」
話題を変えるように、さらりと上越が尋ねた。ほとんどさがった、と東海道が答えれば、そう、よかったね、と返ってくる。
「座薬いれなくちゃいけないかと思ったよ」
「ざやく!」
わぁ、と長野が悲鳴を上げた。どうやら彼は座薬をいれられたことがあるらしい。東海道は心底長野に同情した。自分だって、あればっかりは御免こうむる。
ふたりはアイスを食べてからしばらくいたけれど、やはり長居はせず腰を上げた。そして、帰りしなのことだ。
「東海道先輩」
鍵をしめるべく立ち上がっていた東海道を振り向いた長野が、くいくい、と袖を引いた。しゃがんでください、というお願いに、軽く膝を落とした東海道の頬にやわらかな衝撃がくるのはすぐだった。
「…ながの?」
ぽかんとして名前を口にすれば、ふふ、と笑い子供は得意げに言うのだ。
「おまじないです」
「…おまじない?」
はい、と頷いた長野は内緒話をするように声を潜めて、こう、教えてくれた。
「ちゅってすると、いやなゆめを見ないんです。ほんとうです。ぼくは、とってもきいたんです」
誰にしてもらったんだ、と普段の東海道なら聞いたかもしれないのだけれど、瞬きした後彼が言ったのは、そうか、ありがとう、という小さな礼の言葉だけだった。
作品名:No Rail No Life 作家名:スサ