No Rail No Life
中央と初めて会ったのは、大晦日の御茶ノ水だった。繋がったのは夏だったのだが、その前に会いに行ったのだ。大晦日だったのは、中央が御茶ノ水駅を作ったのが大晦日だったから、と、そのまま初詣に行こうなんて考えていたから。…多分そんな理由だった。もうかなり昔のことで、正確には覚えていないけれど。
何と言っても大晦日だ。当然寒かったのだが、寒さなど感じていないような淡々とした様子で佇んでいた中央のことを、総武はよく覚えている。
何しろ昔のことだから、今よりもずっと寒くて、それなのにそんな様子がまるでなかった中央に、なんか武士みたいな奴だな、と総武は思った。
事故が多かろうと何があろうと、中央は喚いたりしない。感覚が麻痺しているんだろうと言う向きもあり、それはなくはないだろうが、そうではないだろうと総武は思うのだ。
そうではなくて。恐らく、彼は強いのだと。
「中央!」
なぜかこちらに声をかけることもなく踵を返してしまった中央を追い掛けエスカレーターを駆け登った。
オレンジの背筋が伸びた背中は少しも振り向かない。
だが、振り向かないなら振り向かせるまでだ。
総武はさらに速度を上げ、ほとんどタックルの要領で中央に飛び付いた。
「捕まえたぞ!」
「…?!」
前のめりになりそうなくらいの勢いで歩いていた中央は、背後からタックルをかまされてつんのめり、顔面から床にダイブした。咄嗟に腕で顔をガードしたのは素晴らしい運動神経だ。反射神経かもしれないが。
「なんで逃げんだよ!」
背中にのしかかった総武が逃がすまいと体重をかけてくる。まるでプロレス技を決められているような感覚に陥りながら、中央はどうにか身をよじり、背中にまたがっている総武を見上げた。
「…総武」
なんと言ったものか言葉に詰まって名前を呼んだ。そうしたら、総武は屈託なく笑ったのだ。
「まったくさー、なんで逃げんだよ?」
首を傾げて聞いてくるのは、本当にそう思っているのだろう。
なんだか気にしているのが馬鹿馬鹿しくなって、中央はちょっとだけ笑った。
「…。なあ、中央飯食った?」
中央の表情を見届けてから、総武はゆっくり立ち上がり、下敷きにしていた中央に手を貸しながら尋ねてきた。
「…いや、まだ」
「オレもまだ。な、食いにいかね?」
全くもってわだかまりのない顔で言われ、中央は内心で白旗を振った。
「行く」
頷けば総武は一度目を細めた後頷いた。
中央が何を気にしているのかはわからない。だが多分わからなくてもそれはしょうがないのだ。だって、総武と中央は別のものなのだから。どんなに近くても、似ていても。
「中央」
「そ、…!」
でも。
唐突に中央の手を捕まえて引っ張りながら、思う。
でも、別のものだからこうして手を繋ぐことだって出来るのだと。
だから、別のものであることは、むしろ喜ぶべきことなのだ。
きっと。
「…何食べる?」
手をひかれながら、少しだけ照れ臭そうに尋ねた中央に総武は笑った。
「ラーメンと餃子、半ライスつき」
「…っ、」
「中央?」
スープを一口すするなり口を押さえて静かにバタバタしだした中央の向かいで、総武は目を丸くした。
しかしすぐに意を汲むと、黙って水を差し出す。中央は涙目になりながらそれを掠うように受け取り一息に飲み干した。
「っ、はっ…」
「…」
総武は黙って中央のドンブリを見た。赤い。ラー油に麺が浮いてる、といっても過言ではないだろう。
総武は中央を見た。
「…らに」
涙目に噛んだ口調に。
総武は反対側を向いて盛大に吹き出した。
「…らんらよ!」
「ぶはっ! …お、おまっ、おかしっ、おかしすぎだよ!」
ヒーヒー笑い転げる総武から、ふて腐れた様子で中央が顔をそらす。
「噛んでるし!らに、って、こっちがナニだよ〜」
笑いすぎて滲んだ目を拭った総武を、中央はちらりと見た。悔しく思いつつ。
そうしたら下睫毛に水滴がのっていて、ラーメン屋だということも忘れて頭が白くなった。
白く、なって。
「…!」
店の奥、死角となったテーブルに押し込まれたことは、今にして思えば運命だったのかもしれない。
中央は顔を寄せて、相変わらず笑っている総武の息の根も留める勢いでくちづけていた。
下唇を舐めて離れ、上目使いに様子を伺う。
総武はぽかんとした顔で、瞬きもせずにいた。
けれど段々事態が理解できてきたのか。
むっとした顔になると、自分のドンブリを持って、同じテーブルだから無駄なのに、中央の対面から微妙ーに位置をずらした。
けれど中央には総武の耳が赤くなっているのがよく見えていたので、頬杖ついて総武がこちらを振り向くのを待つ。
「…『らに』すんだ」
ずずず、と碗に直接口をつけてスープを啜った後、とうとう覚悟を決めたのか総武が顔を上げた。
中央は珍しいくらいにこやかに笑う。
「口直し」
決まってるだろう、と涼しい顔して言ったのに、総武は思いきり舌を出した。
「アイス食べない?」
「…」
「あ、チョコ食べるか」
「…」
「そうだ、ガムだよな。食った後だし」
「…」
中央が何を話しかけようと、総武は答えようとしない。
食事から帰ってきたらしいふたりが休憩室の一画でそんなことをしているのに出くわしたのは京浜東北だった。
「…なにしてるの。新しいプレイ?」
淡々とした口調に、それまで黙りこくっていた総武がきっ、と顔を上げた。微かにだけれど目元が赤い。
おやまあ、と京浜東北は瞬きする。
「君達、東京駅で追いかけっこしたって? …たまたま上官ホームから遠いからよかったけどさ、もう少し考えてね」
僕を困らせたいの?と溜息をつく京浜東北は、上官ではないまでもどこからか何か指摘を受けたのかもしれない。
中央は曖昧に笑って、そうだな、すまないと短い肯定と謝罪を返した。
が。
「何謝ってんだよ」
「総武?」
「…? 総武…?」
怪訝そうに眉根を寄せた京浜東北と、不安げに手を伸ばした中央の前で、総武はテーブルを叩いてガタン、と立ち上がった。
椅子がひっくり返り、中央も慌てて立ち上がる。京浜東北は瞬きしただけだった。
「中央の! バーカ!」
いーっ、と子供みたいな威嚇をして走り去る総武に、中央はぽかんと息を飲んだ。
「…追いかけないの?」
京浜東北は冷静さを崩すことなく問い掛けた。
「…、そ、そうだな、すまない」
はっとして駆け出そうとした中央に、京浜東北がもう一度声をかけた。
「中央」
「なに」
「雨降って地固まるって、昔の人はよく言ったものだと思わない?」
微かに笑ったように見える顔に一度だけ瞬きをして、中央はそれから、ありがとうと口にして背中を向けた。
黄色い背中を追いかけながら、今までを思い返していた。色々なことがあった。自分にも、相手にもだ。
だが総武から深刻な悩みを打ち明けられたことはなく、いつも軽い冗談に紛らわされてしまっていた。
けれども、だからといって、彼が悩まなかったとは思わないし、辛いことがまるでなかったとも思わない。そんなはずはないのだ。
作品名:No Rail No Life 作家名:スサ