No Rail No Life
「肉、何にする」
「え?」
「食い方だよ」
「…皆で食えればなんでもいいよ」
伊勢崎の家長的発言に、日光はくつりと笑った。そして目を細めて腕を組み、冷蔵庫に寄りかかる。
「そうだな。じゃあ…焼肉じゃあもったいねえなあ、鍋かなあ…すき焼きにでもすっか」
「うん。あ、しらたきいれてしらたき」
「あったりめーだろ。後はなあ、春菊と焼き豆腐と…」
「えー、春菊ー?」
「好き嫌いすんな。贅沢は敵だ」
戦前か、というようなことを言って日光は表情を改めた。
「わかってますよーだ…、でも春菊かー…春菊…」
嫌そうに口にした伊勢崎に、すぐに日光も顔を緩める。
「野田にでも先に全部よそっちまえよ。あいつはちょっと野菜中心にした方がいいんだから」
野田が聞いたら泣きそうなことを言いながら、日光は伊勢崎の頭をかきまわした。
「ちょ、なんだよ?」
「なんでもねーよ。さって、ほらほら、弁当できてっからな、さっさと支度していってこい。大師も忘れんなよ」
伊勢崎の頭から手を離すと、日光はエプロンを外しながらそう声をかけた。
「日、」
「にっこー、腹減ったさーなんかちょうだいー」
何となく追いすがろうと呼びかけた伊勢崎の声を遮ったのは、腹を抱えて入ってきた野田だった。朝食からこちら姿を見ていなかったが、十時のお茶のつもりだろうか。…それにはまだ少し早かったが。
「馬鹿、お前何戻ってきてんだ。弁当最初に持たせたじゃねーか、つうか腹減ったってなんだ」
「えー! だって足りないさー! ちょと日光、怒んないでよ!」
無言で拳骨を振り上げた日光から逃げるように野田は身を引く。
「怒ってなんかいねえ。呆れてんだ、このメタボが」
「んなっ! め、メタボ?!」
ひっでえ! と野田は悲鳴を上げた。
「ガリガリウェイクネス時代はとっくに終わったんだぞ日光! 時代は今デブームなんだぞ日光!」
「そうかそうか、デブだとは認めるわけだな。それでそれはメタボと無関係なのか?」
「デブじゃねぇもん! ちょっとぼっちゃりしてるだけだろ! 大いに違う!
ぽっちゃりだとかわいいじゃねーかなんとなく!」
「そうかよ」
日光はあっさり流した。
「なんだよもっと聞いてよー」
つまんないなー、と口を尖らせる野田の様子に笑ったのは伊勢崎だった。
「野田」
「なーに」
「今夜はすき焼きだぞ」
「えっ…マジで?」
「だから腹減らしとけ。和牛だぞ!」
「わ、わぎゅう…!」
野田の目には「肉」という字が見えるようだった。
日光と伊勢崎は目を見合わせて笑う。
「宇都宮ー! 宮様ー! 今夜すき焼きだってー!」
「なんだ宇都宮もいたのか? お前らちゃんと仕事しろ!」
だめだろ、と日光が腰に手をあて叱る、六月のある日の午前中。
「…いいの…?」
目を輝かせてうち震えている埼京の前で、りんかいはいつも通りの顔で鷹揚に頷いた。
「だって、うちでもらってもね…こんなに食べないし」
「でも、でもさ、たくさんあるよ…?」
「そうだね。まとまった量だね」
関心なさそうな態度だったが、埼京はそれには構わず差し出された桐箱を見た。
差出人は東京メトロ。
新木場メイツで有楽町だろうか?
「君んとこはお中元たくさんくるんだろうから、困るかもしれないけど」
「全然! 困るわけないし!」
「そう?」
「そう!」
力説する埼京にりんかいは笑った。
「そう。ならいい」
「…りんかいっ」
「…? なに?」
話は終わったとばかり踵を返そうとしていたりんかいの服を掴んで、埼京は「あのさ」と焦ったような感じで切り出す。
「なに?」
「えっと、あの、あのさ。…一緒に、食べない…?」
「え?」
不思議そうに首を傾げるりんかいから、照れているのか何なのか埼京は顔をそらした。
「えと、だから、さ。りんかいがもらったんだし、ほら、多いし、りんかいと一緒に食べたらその方がいいかな、とか、さ…」
「…君、今喜んでたのに。減ってしまうじゃないか」
「そんなの全然いいもん! …美味しくたってひとりで食べても美味しくないもん!」
力説する埼京は真面目な顔でそんなことを言った。
りんかいは一瞬言葉を失って、多分表情も選びかねたのだろう、なんとなくぼんやりした様子で瞬きを一度だけした。もしかしたら困っているのかもしれない。埼京の反応に対して。
けれどもその一瞬が過ぎた時。
「…そう。じゃあ、今夜」
「今夜?」
「うん。冷蔵庫に入れておく。今夜こられる? 一緒に食べよう」
「…うん! あっ、僕なんかもってくね! 何がいい?!」
「その前に」
りんかいはくすくす笑って埼京の額をぱちんと弾いた。
「何をして食べるか決めておいて。あんまり鍋とかもってないから」
「あ、そうか…うーんとね、…じゃあね、考えて、いるものもってくね! そんでね、鍋とか、ずっと置かせといて」
「…うちに?」
軽く目を瞠ったりんかいに、埼京は当然とばかり頷いた。
「だって、また使うかもしれないでしょ?」
あまりに当たり前のように埼京がいうので、りんかいも、瞬きした後「そうだね」と頷いたのだった。小さく笑いながら。
「おい、お前さぁ」
埼京を見送って、国際展示場付近にて。
「なに」
見た目と中身が一八〇度くらい違うツインテールが腕組みしてりんかいを待ち構えていた。大体予想はついたが、りんかいはとぼけることにした。面倒は嫌いなのだ。疲れることも。
「なにくれてやっちゃってんの、肉」
「なんの話?」
「和牛だって? こっちに回すもんじゃねえの、それ」
いつの時代のヤンキーだ、とりんかいは思わないでもなかったが、ただ肩をすくめてはぐらかした。
「思いつかなかった」
「はぁ? マジいってんのそれ」
「嘘をつくメリットなんてあるのかい」
「そりゃねーわ」
そう溜息をつくと、そこでゆりかもめの興味は失せたらしい。
「それよりさー、今夜あれだ、召集だから」
「珍しいね、こんな時間から決めてるの」
暗に「普段は勝手に脅していきなり呼びつけるくせに」という意味をこめて言ってやれば、ゆりかもめはあくびをしながら答えた。
「お前はな。なんか、逃げるからな、最近」
にやりと笑うゆりかもめはどこまで何を知っているのだろう。
おぼろげに思ったが、表情に出すようなまねはしない。
「そんなことないと思うけど」
今夜はもう予定がある、とは言わずにりんかいは首をかしげた。
「へぇ?」
信じていない顔でゆりかもめはりんかいを見ている。
「悪いけど、仕事なんだ」
それにわざわざにこやかな笑みを作って向けて、けれど後ろ髪ひかれるようなそぶりは一切見せずにりんかいは背中を向けて歩き出した。
「りんかい」
「なに」
呼ばれたので、りんかいは顔だけをそちらへ向けた。
ゆりかもめが愉快げに目を細めていた。
「血統書つきは本気になるとめんどくさいぞー」
「……」
りんかいは少しだけ目を瞠った後、皮肉っぽく笑い返した。
「そう」
「なんだよ、反応ウッスィーな〜」
つまらん、と口を尖らせるゆりかもめにりんかいはひっそりと笑った。
「低血圧なんだ」
じゃあね、と手を振って、彼は今度こそ振り返らず歩き出した。
作品名:No Rail No Life 作家名:スサ