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それは刹那にも似た

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 それに少し文字を詰め込んだ頭を休めることも大事だ。集中すると時間を忘れるタイプではあるから、こういうなにもしない時間も必要だと自覚している。
 そうこうしているうちに、滝夜叉丸が本を手に戻ってくる。待っている長次の姿を見て慌てて走り出すあたり、かわいいものがある。
「お待たせしてしまって、申し訳ありませんっ」
 これまでの棒を背に入れたような礼とは違い、ガバッと音が聞こえそうな勢いで頭を下げる。その後頭部をぽんと撫でて、部屋に入る。
 数拍遅れて、失礼しますという声と共に滝夜叉丸が部屋に入る。戸を後ろ手で閉めるようなことはせず、一度座って両手で戸を閉める。目上に対する礼儀にかなった仕草に、小さく息を吐く。
「机が必要ならば、小平太のものを使うといい」
 片付けられたままのそれを指差し、さっさと自分の文机に向かう。あれこれ世話を焼くタイプではないし、この場合焼かないほうが正解だろう。
「わからないことがあれば、聞け」
「はい。ありがとうございます」
 背を向けたまま言えば、また一礼したのだろう。少しくぐもった声が返される。
 ―せめて一刻程度で戻って来ればよいが。
 最終日だから滝夜叉丸も待つといい、当然小平太もそれぐらい読んでいるだろう。朝まで戻らない可能性も捨てがたい。
 ―隣に声をかけておくべきだったか。
 かといって、今更中座すれば、ひとりで部屋に残されることをこの後輩は良しとしないだろう。
 ようやく背後で聞こえる紙をめくる音に、内心で溜息をつく。小平太も、体育委員会のあれやこれをこの部屋に持ち込んでくれるな。
 だが、きっとこの先こういうことは増えるのだろう。来年も、お互い委員会は持ち上がりなのは予想に易い。それもそのはず、高学年で委員会を変える者は少ないのだから。
 ぱらりとページをめくる小さな音。それを聞きながら、いずれ近いうちに小平太に団子をおごらせることを決意する長次だった。

* * *

 廊下などで出会えば、後輩は先輩に会釈をする。それが忍術学園のルールであるし、礼儀である。もちろん滝夜叉丸とて例外ではない。
「こんにちは、中在家先輩」
 それが立ち止まって一礼に変わったのは、五年のとき、小平太を待つために部屋に留まらせてからだろう。最初こそ驚いたが、あれで恩でも感じたのか。ちなみに小平太と伊作は、昔からちゃんと挨拶を貰っている。
 こちらも顎を引いて挨拶を返すと、紫色の忍服はすぐに横をすり抜けていく。
 一学年上がって、体育委員会委員長となった小平太のフォローに忙しいのだろう。それに、忍術学園の四年生はなにかと切り替わる時期だ。「最近、滝夜叉丸が荒れてるんだ」と珍しく溜息混じりにボヤいていた。四年生が原因で、派手なケンカが起きるのも毎年恒例だ。
 だから、夏休み明けのまだ日中は残暑の残る夜更けに、ドタドタと派手な足音を立てて部屋に飛び込んできた後輩がいてもそう驚かない。
「七松先輩!」
 闖入者である綾部喜八郎は、おそらく四年生の中でも、もっとも知名度のある忍たまのひとり。仙蔵が手塩にかけて育てていることでも、六年の間では有名だろう。
 そんな彼が、血相を変えてなぜ小平太を呼ぶのか?
 その疑問は、ふと見た彼の手にあるらしい。まだ乾いてない血は、小平太に関わるなにかなのだろう。また、あの男はこの部屋に面倒を持ち込む。
「……七松先輩はどこです?」
 部屋を見渡し、喜八郎が問う。それには知らないと首を振る。もっともおそらくは文次郎と裏々山あたりまで行っているのだろうが。こんな時間まで戻らないのであれば、確実に朝までコースだ。
 口汚く罵って、喜八郎が踵を返す。それを捕まえたのは、先輩としての義務感でもあり、おそらくは……滝夜叉丸関連だろうから。でなければ、喜八郎がここに小平太を呼びに来る理由もない。
「血がついている」
「…滝夜叉丸のですよ。あの馬鹿を保健室に叩き込まなければならないんです。邪魔するのはやめてくれませんか」
 案の定の答えに、やはりなと息を吐く。自分たちも、もちろん経験はある。穏健派と言われる長次も小平太とは流血沙汰の派手なケンカをしているし、文次郎と留三郎が教師も巻き込んだ取っ組み合いをしたのも、四年のときだ。
「私が行こう」
 喜八郎の返事も待たずに走り出す。そうして四年長屋の滝夜叉丸たちの部屋に入れば、酷い血臭に眉をしかめる。
 随分酷いけがをしているのは、いわずもがな。だが、当の怪我人は長次を呼んできたことが不満らしい。
「中在家先輩を呼んできて、ご迷惑がかかるだろう…」
「うるさいっ! 僕になら迷惑をかける気だろう」
「いつも私にかけているんだ。お互い様だ……っ」
 小平太と滝夜叉丸の会話はなにかと見てきたが、同級生とではまた違うらしい。そんなごく当たり前なことに驚きを覚えるあたり、なにかおかしいものを感じる。
 しかし、このまま付き合っているのでは埒が明かない。
 問答無用で滝夜叉丸を肩に抱え上げると、驚いてこちらを見る喜八郎に声をかける。
「行くぞ、綾部」
 背負い上げた後輩の抵抗は微々たる物で、走り出せばそれすら止む。忍服を肩から背中まで変色させているのだ。傷みに耐えるので精一杯だろう。
「先輩、保健室あっちですよ」
「……新野先生は困るのだろう。伊作がいる」
 道中で教師にバレたらそれまでだが、ケンカで出来た怪我など、保健室に行きたがる忍たまはいない。しかし滝夜叉丸たちは運がいい。いくつもの技術を身につけた伊作がいるというだけで、その恩恵にあずかれる。
 もっとも、その当人にしてみれば頼られるのは複雑ではあるだろうが。
 溜息と共に出迎えた保健委員長は、慣れたものでてきぱきと指示を出す。その顔が、訝しげに歪む。
「滝夜叉丸、この傷はどうしたの?」
「……手元を、誤りました」
「でもこれ、戦輪の傷じゃないね。短いけど、とても深いみたいだ」
 手ぬぐいで血を拭いながら目を細める。
 彼の邪魔にならないようにと覗き見れば、右肩から鮮血が溢れているのがわかる。巻き込まれて治療を手伝う留三郎の眉間にもしわが寄る。
「綾部は小平太を呼んで来て」
 そういって体よく後輩を部屋から追い出すと、伊作は改めて滝夜叉丸に向き合う。
「よく聞いて、滝夜叉丸。この傷は焼いたほうが早い。嫌なら新野先生にお願いするしかないけど、たぶん先生も同じ判断だと思う」
 普段、傷を焼くなどということはめったにない。ぎょっとして思わず顔を上げれば、留三郎もまた同じ反応でこちらを見る。だが、当事者たちは淡々としたものだった。
「構いません」
 確かに傷を塞ぐにはそれが早いだろう。戦場では聞く話だ。ただ、こうもあっさり決まるのは、いいのだろうか?
 こちらの迷いなどお構いないように、伊作は長次の肩を軽く叩く。
「滝夜叉丸に飲ませて」
 少し間の笑みと共に、渡される丸薬。見れば唇が小さく「大丈夫だから」と音もなく言葉を紡ぐ。
作品名:それは刹那にも似た 作家名:架白ぐら