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それは刹那にも似た

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 こういうとき、伊作にはかなわないと実感させられる。文次郎や小平太が認めない、いや、目を向けようとしない伊作の強かさ。その彼の視線がすぐに留三郎の方に向かうのは、準備のためもあれば、動揺する長次の顔を見ないためだろう。もちろん、長次自身、見られたくもない。
 上級生のやりとりを不思議そうに見上げる後輩の口に薬を押し当て、些細な抵抗など無視して飲ませてしまう。
「……ご迷惑を、おかけしてすみません」
 嚥下の後、はじめて出てくる殊勝な言葉。それには三者三様の溜息が漏れる。
「本当にね。今度僕らにご馳走してもらうから、覚悟しておくように」
 困ったように伊作が笑って、火鉢から爆ぜる音が聞こえた。それは、あまり嬉しくない音として、嫌に耳に残る。
 ―我慢強いな。
 それは、滝夜叉丸に対する印象の中に常にある単語のひとつだが、これほど感じた夜もないだろう。
 猿轡を噛み、悲鳴らしい悲鳴など上げなかった。もちろん先に飲ませた薬で多少痛みに鈍感になっているとはいえ、簡単に耐えられるものではなかったはずだ。
 焼けた肉と血の臭いに今更吐き気を覚えるほどではないが、やはり後輩のそれは気分がいいものではない。ぐったりとした滝夜叉丸の、顔に浮かぶ汗を拭ってやる。
「あとは、様子を見るよ。……あまり傷跡を残しちゃダメな子だから、最低限しか焼いてないし…」
 火傷用の塗り薬をたっぷり肩に塗布して布を巻く。その手際も慣れたもので、本当に六年の中に伊作がいてよかったと胸を撫で下ろす。
 戻ってきた喜八郎は、案の定、小平太を見つけられなかったらしい。そんな心配げな後輩に、伊作は安易に優しい言葉は使わない。代わりに留三郎が肩を叩いてやるあたり、ここのふたりもいいコンビである。
「あいつ、ひとりで大丈夫か?」
「一応、仙蔵に声をかけておこう」
 喜八郎をひとり部屋に戻らせても、こうして心配をする。これが最上級生の正しい姿といえば、その通り。
 考えてみれば、長次は後輩になにか世話を焼いたり心配したりということがほとんどない。図書委員会は五年生の不破雷蔵がしっかりしているし、それより下の後輩の世話もほとんど彼がしているようなものだ。
 ―これでは、小平太を笑えないな。
 荒い寝息を立てる滝夜叉丸を見下ろし、苦笑する。気ままにやっているのは、お互い様。少しばかり、振り回す度合いが異なるだけなのだろう。
 少しの贖罪の気持ちと、先輩としての義務感。それは長次にだってあるのだ。
 臭いのきついこの部屋から別の部屋に移る相談をしている伊作たちに、声をかける。
「私の部屋を使え」
 ここに小平太がいれば、彼もまた必ず同じことを言う。
「長次!? でも、いいのかい?」
 驚く伊作に頷きを返すと、立ち上がる。滝夜叉丸を運ぶにしても、まずは部屋に戻って蒲団を敷く必要がある。
 そうして伊作も付き添い部屋を移れば、熱の出始めたらしい滝夜叉丸の首筋を冷やしてやる。留三郎は仙蔵のところへ話に向かい、おそらくそのまま小平太たちを探しに行くのだろう。
 伊作を先に寝かせて、こちらは滝夜叉丸の様子を見ながら板の間に寝転がる。彼の傷は、自分でやったと言ってはいたが、伊作の見立ては誰かが放った鋭利な手裏剣の傷だという。
 これが山賊をはじめ外部の者の行為ならば、滝夜叉丸とて必ず報告している。そこは、生真面目な彼の性格を考えれば当然だ。だが、言わずに秘めていたということは、相手はこの学園の者ということになる。だが、ケンカにしては、度が過ぎている。
 ―いや、そうでもないか。
 頬に深く残る傷跡を撫で、苦笑が漏れる。頬がぱっくり裂けたこの傷をつけた張本人は、本当に今どこの山を走っているのか。可愛がっている後輩の困っているときに駆けつけられなくて、どうするのだ。
 苦しげな声に身体を起こし、温くなった手ぬぐいを替えてやる。冷たい感触に、潤んだ瞳がさまよい揺れる。
「……水を、飲むか?」
 声をかければ、唇が震える。それを合図と見て湯飲みに入った水を口元に運んでやる。ただ、うつぶせに寝る相手が上手く飲めるはずもない。
 仕方ないと指を濡らし、乾いた唇をなぞってやる。それを数度繰り返せば、赤い舌がちらりと指を舐めてくる。
 ―身体を起こして飲ませるべきか。
 それは苦痛を伴う行為だろうから、少し迷う。迷うままにまた濡らした指で唇を拭ってやれば、今度は小さく頭を振る。
「……………で」
 聞き取れないほどの小さな声。痛いだろうに、首を何度も振りながら起き上がろうと腕をついて、呻く。
「滝夜叉丸?」
 寝ぼけているのか。崩れる身体を支えてやれば、左手が嫌だと押しのけようともがく。
「放せ…っ! もう、嫌だっ」
「滝夜叉丸!?」
 名を呼んでも、反応はない。ただ嫌だと首を振り、見開かれた瞳からは大粒の涙が溢れていく。
「こんな、家……平家など、滅んで、しまえば、いい…っ」
 こちらの声など届いていないのだろう。夢に囚われたままの後輩の唇に、気つけとばかりに湯飲みのふちを押し付ける。
 半分は口の端を伝い落ち、口腔へ落ちたその半分で激しくむせる。その振動で酷く肩が痛んだのだろう。長次にすがるように身体を曲げて苦痛に呻く。
「……長次? 滝夜叉丸!?」
 さすがに目を覚ました伊作が慌てて飛び起きると、苦しげな滝夜叉丸の顔を覗きこむ。
「なにやってるのさ! ちょっと、大丈夫?」
 寝かしつけようと腕に触れるその手に、また滝夜叉丸は嫌だと身をよじる。その原因が長次にあるとばかりに睨む友人に、言いがかりだと答える。
「夢に、囚われているようだ」
 先ほどから様子がおかしいと続ければ、ああ、とひどく納得したように伊作が頷く。
「……痛み止めに少し、強い薬を使ったからね」
 ふたりの腕から逃げた滝夜叉丸は、嫌だとか触るなだとか、うわ言を叫びきながら褥で丸くなって泣き続けている。
「乱太郎から聞いた話なんだけどさ」
 触ることを諦めた伊作は、落ちた手ぬぐいを拾い上げながら呟く。
「夏休み明け、学園長先生たちともめたらしいよ。滝夜叉丸。なんでも平家の忍務をしたって」
 そんな話は小平太からは聞いていない。詳しくと視線で促せば、首を振られる。
「僕が知っているのはそれだけ。乱太郎たちも、偶然、学園長先生の部屋の掃除に行って知ったみたいだし……。長次もきり丸から聞いてない?」
 後輩たちは色々なことを話すが、そんな話はやはり聞いたことがない。語られないことにショックを受けながら首を振る。
 ―いや、滝夜叉丸の話を私に言わないことは、構わないことではないか。
 そうは言ってみても、やはりショックなことは変わりない。自分は、いつもなんでも話を聞くポジションにいたと思っていたからなおさらだ。
「そっか。きり丸は強い子だもんね」
 だが、伊作はこちらの無言を別の意味で取ったらしい。
 利用はするけれど、あまり他人に頼ろうとしない。ひとりで生きることをある程度強要される子供は、みなそういう面を持っているから。
 ―ああ、滝夜叉丸もそのひとりだな。
 伊作のフォローに隠された裏の意味に、頷くしかない。
 すすり泣く声の間で流れる沈黙。不意に、伊作から笑ったような気配がした。
作品名:それは刹那にも似た 作家名:架白ぐら