それは刹那にも似た
教えて欲しいと訴える視線は、はたしてどこまでを問うているのか。傷を焼いたところまでは覚えているというのだから、それ以前の説明は不要だろう。
―確かに、気がついて誰かと寝ていれば、なにかあったと思うのは当然か。
見上げるのも辛かろうと、こちらも添い寝するように腕を枕に横になると、うつ伏せる滝夜叉丸の背を優しく叩く。
「……辛いと、子供のように泣いていた。それだけだ」
隠してもなにもならない。ありのままに伝えれば、ひどく驚いた顔をして、すぐにしまったと顔に浮かべる。
―こんなにころころと表情を変えることもできたのか。
つい感心するように見ていれば、頭を下げられない代わりに瞳が伏せられる。
「…………。…お見苦しいところを、お見せしました」
きれいに取り繕った、滝夜叉丸らしい謝罪。普段の長次ならば、それで流していただろう。だが、今日は違う。
それもそうだ。これほどいくつもの顔を見せられて、その上、この後輩の気晴らしを小平太が苦手としているのならば、手を出さないわけにはいかない。
―義務のようなものだ。
それが忍術学園の最上級生の役目ならば、長次とて逃げる気はない。知らず、その役目から一番遠いところにいたという自覚もある。
だからこそ、自然と言葉が口をつく。
「無理をするな」
泣きたいとけば泣けばいい。こうして誰かとひどくケンカをするよりも前に、当り散らせばいい。
それを伝える掌は、不要とばかりに突っぱねられる。
「別に無理などしていませんよ。ご心配ありがとうございます」
「お前は、ひとりで泣くのか」
四年間、小平太にしか懐かなかった子供は、やはり差し出された手を拒む。だから仕方なく踏み込めば、滝夜叉丸の顔がはっきりとこわばる。
「それが、普通でしょう」
強気で言い放つ声も、語尾が震えては意味がない。それでも、これまでならば気づかぬ振りをしただろう。それも後輩を思いやる行為のひとつなのだから。しかし、今はそういうときではない。
「ひとりで泣くなということだ。泣きたければ、友か誰かを頼れ。それが強くなることに繋がる」
この不器用な子供に、息抜きの仕方を教えるのが、長次の役目らしいのだから。
「泣きたくなったら、ここに来るといい。小平太か私がいる。それにお前には心配してくれる友もいるだろう」
昨日、必死になって駆け込んできた喜八郎の顔を思い浮かべながら懇々と説くが、聞きたくないと滝夜叉丸は首を振る。
「無理ですっ」
「無理ではない。我ら六年も、五年も、みなそうして強くなってきた。……強く、なりたいのだろう?」
忍術を学ぶだけなら、別に学園に通う必要はない。でも、学園という箱庭の中で共に学ぶ仲間がいる。そのことが何倍も人を強くするし、教えてくれるものだってある。
「……ひとりでは強くなれない」
「なってみせますっ! 私は、ひとりで誰にも負けない忍びに、なるのですっ!!」
迷いや苦しさを、なにかに当り散らすことでしか発散できない可哀想な子供は、己を守る殻にこもって泣き叫ぶ。
―悩みの大小はあれど、後輩に向き合い続ける友人たちに頭が下がる。
まだひどく痛むだろうに、部屋から逃げ出そうとする滝夜叉丸を捕まえると、蒲団にくるんで縛り上げる。伊作は安静にといったが、これぐらいならば許容範囲だろう。
「離してくださいっ!!」
「しばらく反省してろ。昨晩、お前がどれだけまわりに心配をかけたと思っている」
自分たちの部屋に駆け込んできた喜八郎。夜更けにも関わらず、怪我の治療をした伊作。便宜を図った留三郎。おそらく仙蔵も、喜八郎のフォローに回っているはずだ。
そんな風に、滝夜叉丸の怪我でどれだけの人間が振り回されているのか。頭を冷やして考えろ―それは本来ならば、小平太が言うべきことかもしれないが。
そう、本人が望む望まないに関わらず、こんなにも滝夜叉丸の世界は広がっている。
おとなしくなった蓑虫を軽く叩けば、鼻を啜る音が聞こえた。
* * *
滝夜叉丸のことを目で追うことが増えたのは、使命感もさることながら、長次が彼のケンカ相手を一番抑えやすいポジションにいるということもあるだろう。
小平太は小平太らしい手段で、滝夜叉丸をかまう。ヘロヘロになりながら屈託なく笑う顔を見れば、効果は出ているらしい。そのどちらも見ている伊作は、問題ないと頷く。
すぐには無理でも、滝夜叉丸にはあと二年は時間がある。
だから卒業までの間、よい方向に行くよう見守るだけである。……そのはずだったのだが。
粗末な小屋には、屋根裏などという立派なものはない。それでも気配を消して忍び込めば、土間の隅で疲れて眠る子供たちと、そこから離れた場所でうごめく男が見て取れた。そこから続く部屋にも、人の気配がある―。
東西を繋ぐ街道沿いとその近隣で、人さらい集団が活発に活動している。それをどうにかしてくれという依頼を受けた忍術学園は、日替わりで忍たまたちを囮として歩かせては、人さらい集団の出現を待った。
定時連絡が途絶えた囮役の忍たまの後を追えば、人さらいのアジトが判明する。それはよく用いる手段であるから、誰も反対しない。そうしてアジトごと人さらい集団を壊滅させる。忍術学園にすれば、多少の危険はあっても難しい任務ではない。
方々に散って作戦に従事していた忍たまにたちに集合がかかったのは、作戦開始から半月後。滝夜叉丸と皆本金吾の囮ペアが捕まった夜だった。
「偵察は、私と小平太、長次。四年生と五年生の半数は新たな山賊に備えること。残りの五年生と六年生は、待機。木下先生の指示に従うように」
指揮を取る伝蔵が方針を伝えると、全員が頷く。
人さらいのアジトから脱出して、朝には援軍が到着することを伝えた金吾は、伊作が安心させるようについている。小平太としてはそちらも気になるのだろう。金吾の頭を何度も撫でている。
「小平太、行くぞ」
長次が声をかけ、伝蔵と共に走り出す。小平太もすぐにそれに並ぶ。
「嫌だな」
微かな呟きは、金吾の報告を聞いたからだろう。
―滝夜叉丸先輩が、見張りの気を引いて短刀を渡してくれたんです。ずっと先輩、泣いていたのに……。
泣きながら最後に加えられた言葉は、嫌に重い。だから偵察には滝夜叉丸の関わりの深い小平太と長次とが選ばれた。普段ならば、仙蔵や身軽な五年が指名されるところだ。
伝蔵の合図で、崖に隠れるように建つ小屋の裏手に回る。そこから様子を伺い、中へと忍び込む。
―小平太!
偵察を忘れ、たまらず飛び出そうとした友人の腕を掴めたのは最初から予測していたからこそだ。
伝蔵がちらりと確認の視線を寄越すので、大丈夫だと頷いてみせる。土間に転がされている滝夜叉丸も、矢羽音に気づいたらしく視線を泳がせ、己に圧し掛かる男にわからぬように指で合図を送ってくる。
―奥の部屋に、五人。
それと同時に、男の耳元で声を上げる。
「……ンッ…も、う…勘弁して、ください…」
甘えるように、懇願する声。それは偵察するこちらの物音をかき消すための行為だろう。しかし、なんと胸の悪いことか。長次ですらそう感じるのだから、小平太はもっと我慢しているに違いない。