ジャンクヤードにて
それから起こったことを、臨也は正直、感情という新しいものに飲まれて良く記憶できていなかった。
ただ、竜ヶ峰博士への報告の際、このプログラムは素晴らしいものだけれど、基盤システムにかなりの負荷を強いること、そして基礎人格形成をフレキシブルに設定しなければ対応できないことを、臨也はきちんと伝えたはずだ。博士は良くわかったと答えたはずだった。
だから、あの日起こった出来事はもしかして、博士の起こしたことなのではなかったのかもしれない。
博士は何人か助手を持っていたから、その中の誰かが勝手に行ったことなのかもしれない。
いずれにせよ、もしそうだったとしても、彼らはもうすでにこの世にはなく、同じように博士も亡くなったのだ。あの、真夏の暑い日の午後。臨也がフィール・プログラムを得てから6日と8時間21分経過していた。
「じゃあ臨也さん、これはどうですか?」
「うーん…?帝人君にはそういう、赤っぽい色は似合わないんじゃないかな」
臨也が「感じる」機能を得たことで、がぜんはりきったのは帝人だった。竜ヶ峰博士はどちらかといえば、適応するかしないかについてにだけこだわっていたふしがある。適応してしまった後の臨也には特になんの調査も行われず、代わりに帝人が、色々と質問を投げるようになった。
その日も確か、たんすの中からTシャツをひっぱり出してきて、どれが自分に似合うかを臨也に決めさせようとしていた。
「ほら、やっぱりさっきの緑がいいよ。帝人君らしい色だ」
「そうですか?でも、臨也さんが言うならそうなのかなあ」
人間らしい態度をとると、帝人が喜ぶ。臨也はただのアンドロイドだけれど、こんな風に嬉しそうに笑う帝人を見ることが楽しかった。ずっとこんな風に、笑いあっていければいいなとさえ、思っていたのに。
熱い午後の屋敷に、ガタガタと大きな音が響いたのはその時だった。
「・・・?臨也さん、なにか」
「うるさいね、これ、研究室からかな」
ガラスの割れる音、何か固いものが壁にぶつかる音、重いものが倒れる音。まるで誰かが暴れているような物音が大きく聞こえてきて、臨也と帝人は顔を見合わせた。
「様子を見に行ってくるから、帝人君はここにいて」
立ち上がった臨也を追いかけて、帝人は、
「僕も行きます」
と言う。しかし、アンドロイドが暴れているのだとしたら少し厄介なことになる。
「危険だから、君はここにいなさい」
「嫌です、行きます。臨也さんが守ってくれるから大丈夫です」
研究室には、帝人の父親がいる。気になる気持ちも分からなくもない。
臨也は仕方がないねとつぶやいて、帝人を腕に抱えて歩き出した。いざというとき、そのまま走って逃げるためだ。
研究室に近づくにつれて、物音はだんだん大きくなっていった。慎重に研究室を覗き込んだ臨也の目に映ったのは、この家で使われている数体のアンドロイドたちの姿だ。
けれどもとこかおかしい。
それらは寄ってたかって床に向かって何かを投げつけたり、椅子をたたきつけたりしていて、その床には・・・。
床、には?
「・・・っ!」
臨也はそのまま急いで研究室のドアを閉じると、帝人をぎゅっと自分に押し付けて視界をふさぎ、そのまま走りだした。ドアを閉じた幽かな物音を拾われたらしく、研究室からアンドロイドたちが追いかけてくる気配を感じる。
「臨也、さん!?」
「黙って!」
階段を飛び降りるようにして一階に降り、そのまま玄関をぶち破って外に転がり出ると、すぐ後ろから迫ってきた他のアンドロイドたちが意味不明の機械信号を飛ばしながらその辺にあるものを臨也に投げつけてくる。
冗談じゃない、あんなもの当たったら、帝人が。
「帝人君!走れるよね?」
「は、はい!どうしたんですか!?」
「あいつら暴走してる」
短く答えて、臨也は門扉から帝人を外に出した。情報漏洩を防ぐため、頑丈に作られているその門を、内側から手早く閉じる。
「暴走って・・・!?」
戸惑う帝人に、臨也は叫んだ。
「警察に連絡!それと、できるだけここから離れて!」
「でも、臨也さんは!」
「俺は護衛用だから平気」
いいから早く!
臨也の声に押されるように、小さな足音が必死で遠ざかる。それを確認してから臨也は、自分を取り囲むように近づいてくるアンドロイドたちからどうやって逃げようかと、3秒思案した。
この症状は、知っている。
前に旧型のアンドロイドに無理やり新プログラムを入れたとき、やっぱりこんな風になって暴れたことが合った。博士が言うには、新しいプログラムの負荷に耐えられなくなって暴走したのだそうだ。臨也は大抵のプログラムを受け入れられるようにできているから、適応できないという状態を想像できなくて、不思議な思いをしたことを覚えている。
だが、あのときは一体だけだったから、周囲が取り押さえることができた。
今回は、今この場だけで五体はいる。
「・・・洒落になんない、よねえ!」
臨也は地面を蹴った。右手のアンドロイド二体の間をすり抜けて、庭の方へ出る。あの中では一番旧式なのがその二体だったからだ。スピードでは、臨也のほうが勝る。なんとか捕まる前に包囲網を抜け出して、時間稼ぎをしなくてはならないと、通信信号を切る。アンドロイド同士をつなぐことができるこの信号は、切れば自分の位置を悟られない代わりに、相手の位置も掴めなくなる諸刃の刃だが、制御を失って暴走しているアンドロイドたちを少しでも混乱させることができればいい。
時間を稼がなくてはならない、と臨也は思う。
研究室の床。
投げ出されていた手足。
広がっていたあの、赤いものの正体を、知らないほど無知ではなく。
そして、あれらが自分を次のターゲットとして定めたというのならば・・・流石に集団で来られたら、いくら護衛用を兼ねていようとも臨也一人で相手をするには辛すぎる。
帝人を守らなくては。
臨也がその時考えていたのは、それだけだ。
帝人君を、守る。
臨也はこの6日間、退屈をしたことがない。帝人のくれる感情はどれもとても楽しくて、帝人が笑うとただただ嬉しくて、たまらなくなる。この感情をなんというのかはよく分からない。でも、臨也はすでに「分からない」ことを受け入れられるくらいに、フィール・プログラムに適応していた。
そして今や、主だからという理由からではなく、それよりももっとずっと強い理由で、帝人の命を守りたいと思っている。
・・・たとえ、この身と引き換えにしようとも。
手のひらが震えた。
「・・・笑っちゃうよねえ、帝人君」
君のせいだ、と臨也は、震える手のひらを握りしめてつぶやく。
主を守るためにアンドロイドが自らを犠牲にするなんて当たり前のことなのにね。
なのに、怖いよ。
君のあの手のひらにもう二度と、触れられないのかと思うと。
・・・怖い。
衝撃も、ブラックアウトも。
痛かったし怖かった。でも、それ以上に。
サイレンを鳴らしながら到着した警察のアンドロイド対策部が、暴走するアンドロイドたちを取り押さえている間をすり抜けて、駆け寄ってきたその顔が。
「臨也さん・・・っ!」
泣きそうな目をした、その、顔が。