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【 「 MW 」 】

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いつの日か、その手に





「神の御手を借りずに、人の子が人の子を救えるのでしょうか?」

 賀来は神学校に在籍していた頃に、一度だけ、ある神父にそう訊ねたことがある。
 相手はラテン語の指導を担当していたイタリア人神父だった。すでに東京の山の手教会に助祭として赴任が決まり、指導への御礼を兼ねての挨拶を終えた時、ふと口を突いて出た問いだった。
 礼拝堂は夕方のミサを終えたばかりで、周囲を神学生が行き来していた。
「ブラザー・賀来。それは――」
 初老のイタリア人は、賀来が発した唐突な問いに、すぐさま何かを言いかけた。だが不意に口を噤むと青い目で賀来を見つめる。その鋭い目で賀来は、我に返った。
「あ、その、……ブラザー・レグレンツィ。どうか突然の愚問をお許し下さい。大変失礼いたしました」
 あやふやな思いつきを言葉にした自らを恥じ、賀来は慌てて頭を下げて立ち去ろうとしたが、それを老神父が静かな声で引き留めた。周囲を気にするように見回してから、信徒席へ座るよう、勧める。
 あまり人付き合いのうまくない賀来は、神学校でも他の神学生と親しくなることはなく、それは神父相手でも変わらなかった。だが、そのイタリア人神父は何かが違っていた――彼の徳がとても高く、それ故に近寄りがたかったからだと気付くのは、自らが司祭に叙階されたあとだった。
 やがて礼拝堂が静まり返る。
 ひとつだけ聞いてもいいですか、と神父が改めて訊ねてきたので、賀来はうなずいてレグレンツィを見つめた。彼の最初の印象が、鋼のような姿だ、と思ったことを、今さらながらに思い出す。
「その人の子とは、具体的な誰か、なのですか?」
 瞬間、脳裏を過ぎったのは、もう長いこと会っていない友人の姿だった。
 賀来は動揺して両手を握り締める。
 先ほどの問いは思いつきだと思ったが、単なる思いつきではなかった。切実に答えを欲していることに気付かされて、賀来はしばし黙ったあとに、うなずいた。
「はい。わたしの古い友人です」
「ブラザー・賀来。あなたはまだ若い。神の力を疑うこともあるでしょう。ですが、わたしたちの本分を忘れてはいけません。まずあなたが信じなければなりません。神の力を、神の行いは常に慈愛に満ちていることを」
「……はい」
 うなずいて相づちを打ったが、賀来は苦い失望を味わった。何度も似たような言葉を聞いた。最初に言ったのは村越神父だった。それに結城が「神が慈愛に満ちているのなら、なぜ人は苦しむのか」と反発したことを思い出しながら、立ち上がる。
「ブラザー・レグレンツィ、貴重なお時間をいただきまして、誠にありがとうございました。今までのご指導に深く感謝いたします」
 深々と頭を下げて、背を向ける。
 老神父の声が追いかけてきたのは賀来が扉の前にたどり着いた時だった。
「ブラザー・賀来。わたし個人として話すことを、聞いてくれますか」
「――――」
 戸惑い、振り返る。
 立ち上がった長身の神父は厳しい顔をしていた。
「人は迷い、苦しみます。その迷いや苦しみを、神の言葉と神の慈愛を伝えてやわらげるのがわたしたちの役目です。ですが、ブラザー・賀来、迷える子の中には、地に立つ人の言葉しか信じられない人間もいるのです」
 凛とした声が続く。
「もし神の御力を借りず、人を救いたいと願うのであれば、その時に力になるものはひとつしかないと、わたしは思います」
 それが聖職者としての言葉ではなく、彼個人の考えだと気付いて、賀来は息を止めた。
 神に仕える者と個人の線引きは非常に難しい。厳格すぎて、時に頑強になるというイタリア人の老神父があえてその線を越えたことに驚いた。
「あなたが神の慈愛のごとく、救いたいと思う人を心から愛することです、ブラザー・賀来。救いたいと願い、祈ることはわたしたちが考えるほどに、崇高であるばかりではないのです。時にはとても手酷い裏切りにもなります。どうかそのことを忘れずに、我が息子よ」
 長い経験に基づいた彼の言葉を、その時の賀来はしっかり受け止めるどころか、理解することすらままならなかった。だが賀来は、最後に強固な聖職者の枠を出て、彼が見せてくれた姿に感動した。
 しばらく言葉も返せずに立ち尽くしてから、ゆっくりと深く頭を下げて謝意を示し、賀来は礼拝堂から退出した。
 結城に再会したのは、十日後のことだった。
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作品名:【 「 MW 」 】 作家名:池浦.a.w