いと小さき世界は廻る
2つ目の月が昇って久しい宵の頃。
何の気なしに寝床への道を辿りながら、城之内は大きく息をついた。
発覚した最初はさてどうしたもんか、と思っていた偽金騒ぎも、容疑者が訳のわからない事を言い出した時点であっさりと終わりを告げた。結局肝心な所は分からず終いで、後味は悪い。
だがその事後処理もようやく一段落付いた。あとは今放り込んである男の護送くらいでお役ご免。
いまいちすっきりしない事ではあるが、上からの指示はそれ以上の追求の必要はなし、とのことなので、ここらで捜査は打ち切られる事になるだろう。
何だかな、と思いながらブラブラしていれば、何時の間にか見覚えのある辺りに来ていた。
駐在を出る前に見た時間を思い出し、逡巡したのは僅かな間だけ。
自然と足は慣れた道を辿った。
通り沿いの店の扉からは、そこらで唯一淡い光が漏れている。
カーテンは引いてあるが、扉に掛けられた札が≪OPEN≫なのを確かめると、城之内は躊躇なしに扉のノブに手をかけた。
「お邪魔するぜー」
カランカランと扉に付けられたベルが賑やかに鳴る。城之内の突然の乱入も気にした風もなく、カウンターの向こうでいつもの通り、主が笑った。紅の瞳を細めて。
「――――やぁ、城之内くん。今日はもうあがりなのかい?」
いくつかのランタンが吊り下げられた店の中は、適度な光で満たされ、昼とはまた違った趣きを見せている。同じ店だというのに、昼間と違ってゆらゆらと揺れる炎に照らされたそれらは、はっきりいって得意でない雰囲気を醸し出している。…が、その辺はあまり深くは考えない。考えては、いけない。
「おう、何となく真っ直ぐ帰る気はしなくてなー…」
答えながらも微妙に気は漫ろだ。そんな城之内の引き気味の気分を分かっているのか、遊戯は相槌を打ちながらも、クスリと小さな笑みを漏らした。
「オレはいつでも歓迎するぜ。たいした物はないけど、何か食べていくかい?」
「お、サンキュー!助かるぜー、帰ってもなんもなくてさ」
「それじゃちょっと待っててくれ」
・・・昼とは違う趣き、といえば、その筆頭はこの主ではないだろうか。
店の奥の仕事場兼自宅へするりと消えていくその後ろ姿を見送りながら、城之内はカウンターの傍らに置かれた椅子に腰を降ろした。
「はー…」
いつもの定位置に陣取れば、あまり自覚のなかった疲れでもあったんだろうか、深く息を一つ。
そうした所で、すぐ近くで聞き慣れた軽い物音がした。
「お、そっちのユウギか。お疲れさん」
振り返れば、店の奥から出てきたのか、カウンターの上に小柄な白い猫が乗っている。答えるようににゃぁ、と一つ鳴いてくれた。
珍しい紫の瞳の、店主の相棒の片割れ――――猫の、ユウギだ。
・・・そういえばと天井を見上げれば、いつも梁にいる事の多い、もう一方のユウギの姿がない。…というかランタンの光の届かない上の方は暗いのでいるのかも分からない。
まぁ鳥は夜飛ぶ事が出来ないので出てこないのだろうが。
「そーいやお前も昼間は全然みねぇなぁ…」
ちょんちょんと小作りの頭を撫でてやっていると、温かそうな湯気の立つ皿を手にした店主が戻ってきた。
「昼間はだいたいずっと寝てるみたいだぜ」
「猫だもんな」
サンキュ、と皿を受け取る。豆の入ったトマトベースのスープとバケット。
「生憎これくらいしかないんだ」
「じゅーぶんだぜ。今家帰ってもなんもねーもんな。明日は何か材料買ってこねぇと」
いただきます。
心の中で手を合わせ(皿で手は塞がっているので)一気に掻き込む城之内を、店主はカウンターに凭れるようにして見ている。隣に陣取った猫と一緒に2対の目が面白そうに細まった。
「家に帰れない程だったのかい?」
「…そーでもない。んだけど、ちょっとなー」
「少しだけ舞に聞いた。もう捕まえたって事だったけど?」
「あー…そんなとこまで聞いてんのか…。んー…何か、よくわかんねー事になってんだけどよ…。あ、ごちそうさま!」
完食。
どういたしましてと返した遊戯が皿を受け取ると、ユウギは主の肩に乗り、その空いたスペースに皿を置く。こちらの話に興味有り、といった事だろうか。
本当は一般市民にそう簡単に話してはいけない事ではあったが、遊戯にはこれまで何度も訳のわからない事件だの何だのに一枚噛んでもらっている。それに彼はこういった事を誰にも話す事はない。それを判っているから、城之内もついこんな話をしてしまうのだが。
・・・そう言えば今回の顛末は、よく考えれば彼の範疇であったのかもしれない。
「何処まで聞いた?」
「舞のカジノで偽金が換金された事かな」
私の店で良い度胸だわ、ってかなりお冠だった。
そのお怒りの様は容易に想像付く。城之内はしょーがねぇなぁとぼやきつつも事の顛末を話して聞かせた。
が、それもやはり最後の一線、そのコソドロの動機と手段、になった所でその口も鈍る。
「・・・それで?結局自白したんじゃないのか?」
「それがよー…何かよくわかんねー事ばっか言っててな…」
男はスラムに住む、ケチなコソドロだった。主にスリや空き巣を生業としていたが、そんな派手に動く事もなく、稼いだ金はすべてカジノで使い果たし、また盗みを、というサイクルで過ごしていた。
が、ある日とある家から失敬してきたおかしなツボを拾った所から何かが狂いはじめる。
「金を増やしてくれるツボ、だと」
「…何だい、それ」
「いや、よくわかんねぇんだ。何か変な顔の模様の付いた悪趣味な緑のツボらしいんだが、やっこさんの家さらってもそんなもん出てこなかったし」
「つーか話が支離滅裂でよくわかんねー事言ってるし」
で、こりゃダメだってことで、余罪はさておき、強盗未遂は現行犯だからそっちで片付けようって話になった訳だ。
「お陰で動機もただの金欲しさって事になるしよー…」
まぁ結局は金、なのは間違いないんだけれど、どうにもこう、すっきりしない。
「城之内くんはそのツボが気になるわけだ」
「奴はツボの事は誰にも言ってないとか言ってるし。実際あの偽金、あり得ないくらいの精度だ。なーんにもツテのねぇコソドロが作れるようなもんじゃないのは間違いないんだが…実際そのツボとやらも見あたらねぇ以上、後ろに何かデカイ組織でもあるのか、って点からしか探れなくてよー…」
「・・・で、本部に持ってかれてふててる、ワケだ」
「そーゆーこと」
「大変だね、保安官も」
まぁな、と返して苦笑を浮かべる。
この件に関しては良い事なしだ。結局犯人は捕まえたものの、結果は中途半端だし、慌てて走り回っただけ損だった気がする。
良いとこなしだ。
・・・まぁ、変な疑いがかけられなかっただけ、よしとするか、と。内心思った所で傍らから呼ばれて振り返る。
「・・・そういえば、城之内くん」
「ん?」
人の心を見透かすかのように深い、真紅の瞳が悪戯っぽく煌めいた。
「事務所の舞の机に、綺麗に飾ってあったぜ?」
――――あの紅いバラ。
作品名:いと小さき世界は廻る 作家名:みとなんこ@紺