いと小さき世界は廻る
配達中の札を下げていたのをOPEN、にひっくり返し、遊戯はやれやれと伸びをしながら扉を押しあけた。カラン、と澄んだベルが主を出迎えるように小さく鳴る。
あまりきつい日差しはモノを傷める事もある。天井の明かり取りの窓から柔らかに零れる光が微妙な陰影を描いている。
壁一面、天井まで届くのではないかという棚に飾られているのは、ツボや皿などの古い陶器類から石の原石、貴金属類から何かのゲームのボード盤、見るからに怪しげな仮面や種種様々な人形など、一貫した統一性はないのだが。店は雑然とした中にも不思議と静謐さの漂う空間となっていた。
ここが遊戯の店。
現在、街でもっとも有名な古道具屋、である。
ドアベルの音が鳴ったと同時、カウンターの向こうから白い髪の優しげな顔立ちの青年が顔を出した。
「おかえり、遊戯くん」
「ただいま。遅くなってゴメンね、獏良くん」
いいよ、と答えながら掛けていた眼鏡を外して手にしていた本を閉じる。獏良はにこりと穏やかに微笑むと、白を基調とした長衣の裾をゆらして立ち上がった。
裾に銀糸の刺繍の入った僧侶の衣は、長く伸ばした白い髪と優しげな顔立ちとも相まって、獏良をより中性的に見せている。彼は首から下げた意匠の細かいロザリオを手で抑えて、本来の主に譲るべく木製の低い扉を開けてカウンターから出てきた。
「留守番ありがとう」
「ううん。ごめんね、急に押し掛けてきちゃって」
獏良がやってきたのは、ちょうど返却に出向こうかと用意をしている最中の事だった。後で教会まで出向くという遊戯に、教会では話難いことだから、と留守番を提案したのは彼の方だ。
では交代、と今度は遊戯がカウンターの中に移動して、手にしていた袋をおろすのを待っている間、獏良は天井の明かり取りの窓に目をやっていた。
「もう一人の遊戯くんは一緒じゃなかったの?」
「ちょっと調べ物。もうすぐ帰ってくるんじゃないかと思うけど。もう一人のボクに用事?」
「…そうだね、2人の意見を聞きたかったんだ」
「あー…じゃ、城之内くんたち一緒じゃなくて良かったかも…」
獏良も教会の仕事が一段落した際には、ちょくちょく遊戯の店を訪れている馴染みだ。当然城之内たちとも顔馴染み、ではあるのだが。
――――城之内たちはまだ知らない、言えない、遊戯の持つ秘密の一端を獏良は知っている。そして獏良の抱えた秘密を、遊戯たちもまた知っている。
というより、不慮の事故で知ってしまった、もしくは元々の原因を作ってしまった、と言った方が良いのかもしれないが。
「うーん…そうだね、話いかんによっては、城之内くんたちにも伝えなきゃいけないことなのかもしれないけど…」
どういう結果になるかわからないから、今は保留にしておきたいんだよ。そう言って獏良は笑った。
「んー…じゃ、もう一人のボクが帰ってくるまでもう少し待って貰ってて良いかな。ボクこっち先にやっちゃうから」
「見ていて構わない?」
「どうぞ。でももう一歩離れてくれる?」
言葉に従い、獏良が一歩離れる。
遊戯は先程花屋の娘から譲り受けた石を両手で包むようにすると、そっと目を閉じた。
意識を沈める。
深い、深い所まで。
呼吸を深く、静かに繰り返す。
耳を澄ませて、自分の周りの流れを読むように息をこらす。
音が途切れる。
自分の周りの風の流れの中に、自分の鼓動と、静かに側に立つ獏良の鼓動と、もう一つ。
手の中の石から感じる、小さな鼓動。
普通では感じる事のないはずの、小さな波動を感じ取り、その呼吸に合わせるように、意識を寄り添わせるように、側に。
『・・・君の名前は何ていうの?』
獏良の耳には、この街の言葉ではない響きが聞こえるだけだ。
いつ聞いても、何度聞いても不思議な響きだと思う。
これが「彼等」の言葉なんだろうか。
遙かな昔、その力を恐れた愚かな者たちに追われた、界の狭間に生きる人々の、失われた言葉。
目を閉じて、語りかけるように、詠うように呼び掛ける遊戯が、肌身離さず持つ金の四角錐。それが僅かな光を纏うように輝いているのを目を細めて見ていた。
彼の心は今は深く潜り、手にした太古の石と語り合っているのだろう。
僅かに微笑むようにあげられた唇が、ふと息を付いた。
瞼が震え、ゆっくりと深い紫の双眸が現れる。
視線は真っ直ぐに掌の中の石に向けられ、そうっと彼は囁くように耳慣れない言葉で呼び掛けた。
『・・・・・・。』
パキン、と何かが割れる高い音がした。応えるように一瞬光が弾け――――そっと手を開けば、僅かに砕けた岩の欠片と、その中で明るい飴色に輝く石が1つ。
2人は、同時に詰めていた息を吐き出した。
「・・・キレイだね」
「うん」
「このコは、何ていうの?」
「【ドリアード】だって、言ってたよ」
よろしくね、と小さく声を掛けると、残りの岩の欠片を払い落としてそっとカウンターの上に置く。岩の中から出てきた琥珀は艶やかな輝きを放っていた。
じっと目を凝らして覗き込めば、琥珀の中に小さな影があった。
教会にあるような、祈りを捧げる聖母のように手を組んだ小さな、影。
彼女が、そうなんだろう。
人ならざる者の声を聞く者たち、か。
教会の奇跡とも、魔術師たちの呪いとも違う、異なった力。
異界との門を開き、異形の者たちと心を通わせてそれを使役する力。
異端と呼ばれて恐れられた力――――召喚。
遊戯が見せたのは、その門を開く鍵となるもの(この場合はこの琥珀なんだろうか)を固定化させるもので。
ただ中に籠められた者を喚ぶだけしか出来ない、弱体化した現在の召喚師達と完全に一線を画す。
本来なら協会側に報告し、査問に掛けなければいけない立場にあるはずだったが。獏良にとって、遊戯が何であろうと別に良いじゃないか、という境地にいたってから、もうだいぶ経つ。
このような力を持つ者は例外なく、教会かギルドの監視下に置かれている筈なのに、その中に彼等と思しき者の名はない。
何故滅んだはずの召喚の力を持っているのか。
何故この街で古道具屋などしているのか。
そして、もっとも不可思議なのは――――。
カタン、と小さな音が頭上から聞こえた。
はたと我に返って見上げれば、明かり取りの仕掛け窓から、ちょい、と梁に乗る鳥の影。
王のご帰還だった。
「おかえり、もう一人のボク」
「おかえり。お邪魔してるね」
カウンターの上に舞い降りた隼は、獏良を見上げると返事を返すように頷いてみせた。
「ギリギリだったね。危なかった」
カウンターの上に零れた砕けた石の欠片を片付けながら遊戯が笑う。
振り返った遊戯の視線は、僅かに高い宙空を見上げていた。まるでそこに誰かがいるように。
そうして何度か頷くような素振りを見せると、壁に掛けられた時計を見上げて、少々申し訳なさそうな表情で獏良を振り返った。
「ごめん、獏良くん。ちょっとタイムリミットなんだ。あとの事はもう一人のボクに聞いてくれる?」
「うん」
トン、とカウンターの上に乗っていたユウギが床に降り立つ。
獏良はそこからまた一歩下がった。
仕掛け時計の鈴が時を告げる。
昼と夜とか切り替わる時間。
太陽が沈み、1つ目の月が昇る。
作品名:いと小さき世界は廻る 作家名:みとなんこ@紺