いと小さき世界は廻る
「・・・結局、なんの事だか判らなかったね」
「・・・そう、だな」
彼にしては珍しく歯切れが悪い気がする。何か気付いた事でもあるのか、それとも、心当たりはあるがまだ事態の全体を把握していないので語りたくないのか。
多分後者だろう、と獏良は当たりをつけた。
奇妙な同居人は気が済んだのか、鏡の中に引っ込んだまま出てくる様子はないし、ついでにあの口調ではすぐに被害を被る、という訳でもなさそうだ。
じゃ、ま、いいかな。
下手に首を突っ込んで、ややこしい目に合うのは最初だけで充分。
「そろそろ戻るよ。…何か判ったら教えてくれるかな」
それだけで言いたい事は伝わっただろう。
小さく苦笑めいた物を閃かせると、もう一人の遊戯はああ、と短く頷いた。
「さて、と」
それじゃ、と手を振り教会へと帰っていった獏良を見送ると、扉に掛けた札をひっくり返して《close》に。
そのまま鍵も掛けてしまうと、厚いカーテンを引いた。
店内が闇に閉ざされる。
肩から降りて音もなく着地した白い猫が店の奥へと行くのを追って、慣れた足取りで店内を横切った彼は、カウンターを越えて奥の部屋へと移動した。
店と続きのその部屋は、持ち込まれた品の修理等を行う作業台が置かれ、壁に設えた棚には薬品や様々な道具が置かれている。
相棒の仕上げた今日の戦利品を作業台へ置くと、彼は部屋の隅の簡素なソファに身体を沈めた。
『…どうして獏良くんに言わなかったの?』
声なき声は真上から。
目を開ければ、ソファの背もたれの上に座った猫がじっと見下ろしている。
「・・・多分関わりないだろうと思ったからな」
『じゃ、何か本部の方から聞いてきたの?』
「ああ」
目を凝らせば猫の傍らに人の姿がぼんやり浮かんだ。
この四角錐に触れている者にしか見えない、相棒の姿だ。
夜の間は猫の姿に封じられている相棒を、要である四角錐を通してだけ、現実にはない姿と声で感じる事が出来た。勿論逆もしかりで、昼間は隼に封じられたもう一人の遊戯の姿と声は、同じく錐の所有者である遊戯にしか見る事も聞く事もできない。
お互い以外の誰にも見る事も聞く事も出来ないので、普段通りに話していると、傍目には動物と和気藹々と話しているようにしか見えない。流石にそれは目立ってしまってよろしくない。別に声を出さなくても側にいれば会話は出来るのだが…一旦声を使う事に慣れてしまえば、今更変える事は出来なかった。
よって誰かが近くにいる時にはなるべく会話はしないようにして、お互い動物らしく振る舞っている。
猫と隼を飼う、変わり者の古道具屋。
それが表向きの2人の遊戯の顔だった。
「…そう言えば一つ気になってたんだ」
『何?』
「昼間のあの花屋、城之内くんが何か気にしてたんだが」
『…ああ、あそこね。店員さんと仲良くなったらしくてね、本田くんがよく通ってるみたいだよ。アイツが花似合うガラかよ、なんて城之内くん笑ってたから』
「成る程な。…さしずめ本田くんの"花"は店員のあの子って訳だ」
『・・・もう一人のボク、あれ以上海馬くんの話振られるのが嫌で、途中で無理矢理話変えたよね』
城之内の話の途中で飛びたった事を指され、もう一人の遊戯は僅かに眉を寄せた。
「相棒が道覚えてるか心配だったんだ」
『そういうことにしておいても良いけど』
最初の邂逅が拙かったのか、城之内とは別の意味でもう一人の遊戯は海馬と折り合いが悪い。
もっとも向こうはどういうつもりだか知らないが、事ある事にもう一人の遊戯を指名でして呼び出し、あれやこれやの厄介事を吹っ掛けてくる。それは互いが互いの泣き所を掴んだ上での契約のようなものが大半だったが、上からの束縛を嫌うもう一人の遊戯からすれば、納得いかないものらしい。
結果、別に不利益を被るわけでもなし。トータルでしてみれば良いお客さんだと思う。
ついでにハタで見ている分には仲良く喧嘩しているようにしか見えない、というのは遊戯と海馬の弟のモクバとの秘密だが。
そういえば城之内の気にしていた事の顛末を聞いていない。
今の状態では話してくれそうもないが、そのうち折りを見て聞いてみようと心に決めて、遊戯は改めてもう一人の自分に向き合った。
『結局本部の方の問題って何だったの?』
すっかり別の方向へ気が向きかけていたが、そうも言っていられない事になっているのを思い出した。
「さっきのバクラの話が絡んでるんじゃないかとは思うんだが…こいつだよ」
そう言ってもう一人の遊戯が鼻先に差し出してきたのは、くたびれた紙幣が2枚。
このドミノの街をはじめ、広く流通するこの国の基本紙幣だ。
どうも本部から持ち出してきたらしいが…。
『…これが?』
「良く見たら判るぜ。こいつは何処かがおかしい」
身体を起こしてソファに胡座をかくと、そこに2枚の紙幣を良く伸ばして広げて置く。
ヘッドから飛び降りた遊戯はじっとその2枚を見比べた。ざっと見た感じ正規のものっぽい。精巧なニセ物とも思えないが…。
『あ』
「…判ったか?」
『通し番号が全く同じ…。…それに』
ああ、とその後を受けてもう一人の遊戯は頷いた。
「魔力の残り香を感じる。こいつは作られたもんだ。――――人間以外の手で」
『…バクラくんの感じた波動って、これを作った時のかな』
「どうだろう。アイツは『広まる』とか言ってた筈だ。…誰が契約したのか知らないが、こいつの複写はまだ断続的に続いてるんだろう」
ひらり、と本部から拝借してきた紙幣を揺らす。
城之内と本田の後を追って行った本部では、そう表だっては問題になっていないようだった。
なのに、あれだけ本田が慌てて城之内を呼びに来たのは、偽金なぞ出回った日には、せっかく軌道にのりだしたばかりの統一貨幣経済の信用の根幹を揺るがしかねない事件かも知れないということと、もう一つ。
ふ、と一つ息を付く。
…確かに、バクラの言うように完全に関係ない事態ではなくなった。
「見つかった場所が問題なんだ、相棒」
『場所?…コソ泥さんが持ってたんじゃなかったっけ』
「まぁそうなんだが…そのコソ泥が言うには、カジノで両替した金だと言ってるらしい」
『カジノって…まさか…』
「舞の所のカジノだそうだ」
『ええーッ!?』
白猫はしっぽの毛を立てて驚いた。更に丸くなってしまった猫の紫の瞳を見つめながら、もう一人の遊戯は少々重々しく頷く。
「城之内くんたちが焦るのも判っただろ?」
…ああ、うん。
判るには判ったけど。
『結構、困った事になってるねぇー…』
「界渡りの魔物が関わってるなら、放っておく訳にもいかないしな」
『でも、手掛かりがこれだけじゃ、どうしようもないね…』
「広まれば巻き込まれるかも、とかバクラが半端なことを言ってた訳だ…」
2人は顔を見合わせて困ったように笑った。
城之内も本田も、獏良も大事な友人の一人でもある。舞もそうだ。彼等に関わる事でもあり、そしてもう一つ。
この世界に生き残った『召喚者』として、この話から手を引くわけにはいかなかった。
事態がどう動こうとも、結局やることは変わらない。取りあえずは、早めにコトが判った事を幸運と受け止めるしかなかった。
「・・・とりあえず、一度行ってみるか」
作品名:いと小さき世界は廻る 作家名:みとなんこ@紺